護持の碧(沙季)
ずっと、憧れていた。
その、大きな手や広い背中や、まっすぐなまなざしに。いつか、父のようになりたいと。王の隣に立ち並ぶその背をいつも追いかけていた。
碧仁(あおと)の父親が王として国を治めていた当時、沙季(ざき)の父は国や民、王を守る護衛隊の隊長として出仕していた。護衛隊隊長は代々世襲制ではなく、その時々の護衛部隊の中から優秀な者が選出される制度になっていため、護衛隊隊長の息子だからと幼いうちから出仕していた沙季も、隊に入れば隊長の息子という立場での贔屓はなく、他の少年たちと厳しい訓練を共にし、兵の一人として扱われた。
そんな中、沙季が初めて碧仁と対面したのは、沙季の歳が9を数えた時だった。ブルーグレーの髪と、それより一層濃い藍の瞳を持つ皇子はまだ4つ。
「碧仁だよ、沙季」
いつにない穏やかな表情で息子を紹介する暁王の表情は、まさに父親のそれで、訓練中に突然訳も聞かされぬまま、謁見の間に連れてこられた沙季はその表情にきょとんと瞬きをする。沙季が状況を飲み込めないまま、今度は碧仁に対して沙季が紹介された。王の傍に控えていた沙季の父が、息子に対し厳しい視線を向ける。
「沙季、若の御前だぞ。挨拶もまともにできないのか?」
言われて初めて、自分が棒立ちのままであったのを自覚したのか、あたふたと沙季が礼を取る。それを、視線だけで押しとどめて相変わらずにこやかな表情のまま、暁王が碧仁の背をおし、一歩沙季のほうへ近づけた。
「今日から、お前の臣下だ、碧仁」
驚いたのは、碧仁だけではなかった。
「王? それはどういう……?」
驚愕に目を見開き、沙季が問う。暁王が答えるより早く、沙季の父が口を開いた。
「聞いたとおりだ。お前は、若と一番年も近いからな」
「え、でも……」
「臣下といっても難しく考える必要はないんだよ、沙季。まぁ……遊び相手だと思ってもらえれば」
沙季にとっては、子守になってしまうかなと笑う王の瞳は、碧仁と同じ濃い藍で。
「……はぁ」
返す沙季の言葉は、ため息とも合いの手ともいえない曖昧なもの。
「碧仁も、もう4つになるし、本格的に訓練を積ませようかと思ってね。組手の相手には、暫く物足りないだろうが、沙季は隊の中でも最年少ながら武芸の腕は中々というからね。……聞いてくれるかな?」
にこやかに話しかける王の表情とは対照的に沙季の心には暗いものが落ちる。
(子守かぁ…)
と胸中で呟いた声が聴こえたわけでもないだろうに、すかさず父から拳が飛んでくる。
「……っ!」
突然の衝撃に耐えられず、体を傾がせ思わず拳で叩かれた後頭部を手で押さえた沙季は、かろうじて顔をしかめるのだけは我慢した。そんなわが子の様を、沙季の父親は横目で見据えると、厳しさを滲ませた声音で叱責した。<br />「王からの願いだぞ、即答せんか」
父の剣幕に恐れをなしたわけではなかったが、反抗しようものならもう一発くらい叩かれるのを覚悟しなくてはならないと、これまでの父親との付き合いからくる経験で察した沙季は、素直に自らの父の言葉に従う。
「……おれ……私でよければ、僭越ながら」
「うん、頼む」
護衛隊隊長とその息子のやり取りを苦笑いを浮かべつつ見守っていた暁王は、沙季の返答を聞いてほっと安堵の笑みを浮かべる。
「ちなみに、隊の訓練も容赦はないからな。優先されるは若のお相手だが、ゆめ訓練を怠るな」
父からの通達に、今度こそ沙季は隠しもせずに顔をしかめた。
それからの沙季の生活は、まさに碧仁を中心に送られることとなる。朝、朝食を終えたら碧仁を部屋まで迎えに行き、訓練場へ向かう。そこで、基本の組手などを教える傍ら、自身も隊で出される訓練メニューをこなす。時々気が向いたときは年長の隊員たちが、碧仁の面倒を見てくれることもあった。休日も、なぜか付きまとう碧仁を無下に扱うことも出来ず、すっかり懐かれてしまった様子で、めっきり子守役が板についてきたと影で評判になっているのを知らないのは当人である沙季ばかり。とは言っても、周りの隊員たちから見ればいずれも子供にあることには変わりなく、さながら仲の良い兄弟のようにも見えた。
その日も、午前中は碧仁と共に訓練などで時間を過ごした沙季だったが、午後は碧仁の方が勉強があるとかで(皇子ともなると、いかな4歳児とはいえ、色々と英才教育、というヤツがあるらしい)、今その時間、中庭で訓練の合間に休憩を取るのは沙季一人だった。沙季とてまだ幼い身であり勉強をしなくても良いというわけではなかったが、その量たるや、碧仁のそれに比べれば微々たるもの。
久々の一人の時間に、ちらりと沙季は頭の中で休憩の残り時間を確認し、まだ少し余裕があることを確かめてから、手近な木陰にごろりと身を横たえる。梢からもれる木漏れ日は柔らかく、吹き渡る風は穏やかだ。暫くは体を横たえたまま、先ほどの勉強の内容などを頭で反芻していた沙季だが、数刻もしないうちにゆるり、と睡魔が体を支配する。ふぁ、と欠伸を一つ零して、目を閉じたその時、ふと、耳に入る音があった。そのままの姿勢のまま耳をすませていると、どうやらそれは数人の子供の話し声らしかった。
その会話の端々に、最近すっかりなじみと成った少年の名前が聴こえてくる。碧仁さま、と幼い声で呼ばれる様を聴こえてくる会話から想像して、微笑ましく思っていると、相対する少年の声は、思いの外硬い。
(あれ?)
不思議に思いつつ、四つん這いになった沙季は、木の陰から見付からないようにそろりと声のした方を伺う。すると、同じ年くらいの少年少女数人とあるく、碧仁の姿がそこにはあった。だが、いつも訓練所で自分や、それ以外の護衛隊の面々に見せるような表情とは違い、どことなく壁を感じさせるような顔。
訝しがりつつ眺めていると、周りを囲む少年少女たちの態度に沙季は気付いた。
(……なんか)
その姿は、まさに王城で時々見られる光景で――主に、大人たちの間でだが――強いもの権力のある者へ、媚びる気持ちが滲んでいる。
その様に沙季は、自らで気付かぬうちに、眉を顰めさせる。
そんな彼の様子に気づかぬまま、目の前で繰り広げられる幼い子供たちの、大人のようなやりとり。いつも訓練場で見せるような無邪気な笑顔を見せることなく、碧仁は淡々とそれに答える。見るに耐えなくなった沙季はそっと目をそらし、静かに後ずさる。しらず溜め息をつきながら、しばしその場にとどまる。少し下がったその場所からは茂る木立に覆い隠されて、碧仁達の姿は見ることが出来ない。そのままどうするか逡巡したものの、結局沙季は立ち上がる。わざと大きな音を立てて。
「若!!」
がさがさと、いっそわざとらしく枝を揺らしながら現れた沙季の姿に、碧仁が大きく肩を揺らし、一拍後、驚きに目を見開いたまま沙季の方を振り仰ぐ。
「沙季……?」
不思議そうに問いかける碧仁の声に、沙季は答えを返さず、ずんずんと碧仁の傍に寄ると徐に、教材などを持っていない方の腕――左腕を掴む。
「王がお呼びです」
できるだけ、神妙な表情を装って沙季が碧仁に告げると、心当たりがない呼び出しに、警戒するかのように掴んだ左腕がかすかに震えた。その様子にありもしない呼び出しを口実にしたことへの罪悪感がちらりと沙季の胸をよぎるが、とりあえず理由は後で話せばよいと勝手に結論付け、碧仁の周りを取り囲んでいる――恐らく、父親或いは母親の立場は城内でも相当高い位置にいるのであろう――子供たちには目もくれず歩き出す。突然の出来事に、子供たちが何も言わないのをいいことに沙季は歩みを止めずに進む。
子供たちの姿がみえなくなったろころで、碧仁は沙季に掴まれたままの左腕をそっと引っ張る。
「父上は、なんて?」
碧仁の至極最もな質問に、沙季は、あーと口の中でモゴモゴとうめき、空いている左手で己の項辺りを手で押さえる。そして、碧仁の左腕を掴んでいた右手もパっと放し、碧仁を正面に見据える位置まで回りこむと、勢い良く頭を下げた。
「……すいません」
突然の沙季の行動に、碧仁はきょとんと目を瞬かせる。
「王がお呼びだっていうのは、嘘なんです」
「え、嘘?」
「……はい」
「…………なんで」
なんでと問われて、沙季は返答に困る。単に、何時もより表情を固くして会話する碧仁を見ていたくなかったからだとは、本人を目の前にして言えるはずも無く(気恥ずかしいというのが主な理由だ)。かといって、うまく誤魔化せるほどの機転は持ち合わせていない。
「なんとなく」
ぼそりと答えた沙季の表情に、何を思ったのか碧仁はそうかと一言呟いて、先に立って歩き出す。
「若っ」
先を行く背中を思わず呼び止める。振り向いた碧仁に、一瞬何を話そうか、沙季は迷う。
「明日の朝も、何時もの時間に迎えに行きます」
「うん」
結局、出た言葉は、沙季の心によぎったものとは違ったけれど、頷く碧仁の表情には先ほどには見られなかった笑みが見える。そのことに、内心でホっと息をついた沙季は、そのまま再び歩き出した碧仁を、今度は引きとめはしなかった。此方に背を向けて遠ざかる幼い後姿に、振り向かないでと祈りながら、すい、と流れる仕草で礼をする。それは、この国に伝統的に伝わる、従うものから主への敬意を込めた一礼。そう、沙季の父親が、かの王に対してするのと同じ。
父のようになりたいと、願う気持ちに変わりは無いけれど。もう一つ、心の中で追加する。オレは、若を護れるようになる、小さく呟いた沙季の、声は風に舞い、空へと吸い込まれていった。
(20101212初出)(読みきり 関連:E・den、フライハイト 碧仁と沙季 「護ると決めた」)
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9歳児がありえない老成振り……当初の予定では、4歳児と9歳児の微笑ましいやり取りで終結するはずだったのですが……アレ? そして、オチもヤマもない話になってしまった……ドラマティックな展開なんて無い日常からうまれる何かを書きたかったのですが……力不足