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愛ある場所にて、キミと(キリと雪花)

 暖かな日の光が射しこむ窓辺に立ち、窓の外をぼんやりと眺める青年が1人。黒い髪は短く、耳の上あたりのひと房だけが肩につくぐらいの長さを持ち、編みこまれている。年のころは20と少しというところか。ヘーゼルブラウンの瞳は何の感情も移さないまま、ぼんやりと窓の外の景色に向けられている。窓の外――青年の視線の先――では、5つくらいの、青年と同じ色の髪と瞳を持つ少女と、銀色の髪に赤い瞳の15、6歳ほどの少女がなにやら話しこんでいる。銀髪の少女の顎あたりで切りそろえられた髪が時々風に舞ってふわりと揺れる。膝を折り、幼い少女の視線にあわせるように細身の身体をしゃがみ込ませて銀髪の少女は無表情ながらも真剣に自分より年下の少女が一生懸命話す言葉に耳を傾けているようだ。

 二人の少女の様子を、眺めたまま動かない青年の背後から、こちらも青年と同じ色の髪と瞳を持つ女性が近づく。青年よりもいくつか年上にみえ、髪の毛は耳が隠れる程度の長さ。手には盆を持っている。盆の上に乗せられた湯のみには温かなお茶が注がれているのか、湯気が立ち上っている。すぐそばまで近寄っても、こちらに気がつく様子を見せない青年に、女性はちらりと小さく笑う。

「ずいぶん、熱心ね? キリ」

 声をかけられれ、ようやく背後にたつ女性の気配に気づいたのか、キリと呼ばれた青年が振り返る。

「……姉さん」

 キリは、ばつが悪そうな様子で顔をしかめる。キリに姉さんと呼ばれた女性――ユウリ――はそんな弟の様子に先ほどよりははっきりを笑みを浮かべ、手に持った盆を差し出す。

「飲む?」

 差し出された盆の上に乗る湯のみをちらとみて、キリはうんと頷く。

「……いただきます」

「どうぞ」

 まだ若干笑みを浮かべたままの姉の様子に、キリはちらりと姉の顔を睨むが、ユウリはさして気にした様子も無く盆に乗っていたもう一つの湯のみを手に取ると、身近にあった卓の上に盆を乗せる。両手で湯のみを包み込むように持ちながら、ユウリも先ほどまでキリが熱心に眺めていた窓の外の光景に目をやる。窓の外では、未だ二人の少女が何かを話している。黒髪の少女はユウリと同じくらいの髪の長さで、よく見れば面差しも似通っている。

「游伊(リュイ)、前に会った時より、又大きくなってる?」

 ユウリが窓の外に視線を向けたのを感じたキリが静かに訪ねる。

「そうね……子供の成長は早いから」

「……そうだね」

 キリたちは『斎』と呼ばれる一族である。この世のモノならざる『獣』と呼ばれる存在と交信ができ、自らの血肉を死後『獣』へ与えることを条件に『獣』を使役することができる唯一つの一族。獣と契約した時点或いは、幼い間に契約した者は憑依した獣が成長したと見なした時点から獣の持つ甚大な力のおかげで成長が緩やかになる。ゆえに、一族のものは軒並み長寿であり、成人した者は中々年をとらない。

 ただ、まだ獣と契約していない子供の成長は日々移ろうものであり、そこは他の一族と何も変わらないのだが。

「……あの子が、キリの?」

「そう、新しい『獣』」

 ユウリが指差す先には、銀髪の少女。

 『斎』の民が従える『獣』は本来、この世界には存在しない異次元の存在故に、この世界ではその本来の姿を保つのが難しい、とうのが定石だ。そのため、『獣』たちは契約後は『斎』の民の血肉に住まう。――憑衣するとも言うが。そのため、通常は『獣』の姿を肉眼でみることは難しい。唯一の存在――王の『獣』を除いては。

 王の『獣』は、その名の通り、『斎』の民の王である存在にのみ従う『獣』であり、また全ての『獣』の頂点に君臨する存在でもある。よくも悪くも実力や能力がものを言う社会である『獣』たちにとっては、王の存在は絶対である。王の『獣』は、契約後も血肉に住まうことは無く、王の側に付き従い、王のみを守る。そして、王が王たる役目を終える時には共に死ぬ。『斎』の民の王は世襲ではなく『獣』が選ぶ。

「ずいぶん、可愛らしいのね」

 ユウリが、その外見を見て、正直な感想を漏らす。その言葉に、キリも苦笑を返す。

「なんでも、能力が高ければ高いほど外見が美しかったりするらしいよ……あとは、彼らの年齢が反映されてたりするみたいだけど」

 つい先日、同じ言葉を当の本人に投げ、返された台詞をキリはそのままなぞり、ユウリに伝える。そうなの、とユウリが湯のみを口元に運びながら答える。キリの元に王の『獣』である少女が現れたのはつい、数日前のこと。それまでは、キリはごくごく普通の『斎』の民であり、ごくごく平凡な日々を送っていたのだ。そして、それはこれからも続くはず、だったのだが。

「まさか、こんなことになるなんてなぁ」

 キリのぼやく声に、ユウリがちらりとキリを見る。

「氷花(ヒョウカ)だって、突然選ばれたっていう話よ」

 するりと姉の口からこぼれた名前に、キリの動きが一瞬止まる。ユウリの口から出た名前は、キリの一つ前の王の名前。キリの名付け親でもあり、幼い頃には、目の前でその生き様を見ていた時期もあった人。いつしか、姿を見なくなったが、自分の元に新たな『獣』がきたということは、つまり。

「……氷花は、最後、どうやって死んだのかな」

 思わずつぶやいた台詞に、ユウリが目を見開く。

「え?」

「だって、そういうことだろ。オレの前にあの子が居るってことは」

「……そうね」

 キリの言葉に、ユウリの手に力が入る。ぎゅうと両手で湯のみを握りしめたまま、ユウリは視線をわずかに落とす。自らの死に際を悟っていたのか、最後の姿を見たものは無く、彼女は彼女の『獣』だけをつれて遠くへ行ってしまった。その最期を看取りたかったのは、一族のものだったら誰でもそうだったろうけれど、彼女はそれを許さなかった。己の中の『獣』が深く嘆いたときに、その死を悟っただけで。

「オレは、王になんてなりたくない」

 視線を落としたままのユウリの耳に、キリの小さな声が届く。思わず仰ぎ見る――キリはユウリより10センチほど身長が高い――そこには、泣きそうな表情をしたキリが居た。

「望んでなかった、そんなこと。あいつが……氷花がずっと王をやってれば良かったんだ」

 しぼりだすような声に、ユウリは湯のみを卓に置き、キリへと歩み寄る。右手を伸ばし、今は高くなってしまった弟の頭をそっとなでる。

「あの子が言ったんだ……王の最期は、王の『獣』が王を食べるんだって……王の最期は『獣』が決める。それは、王にふさわしくなくなったって判じた時だって」

 頭をなでられるままに、キリがぽつぽつとつぶやく。

「氷花が王にふさわしくなくなったなんて、そんなわけない」

 ユウリは、その台詞に苦く笑う。

「……そうね」

 どうやら、ユウリの弟は自分が王になることを是と答えてしまえば、氷花が喪われたことが決定的になってしまうということを恐れているらしかった。

(喪ったものは、戻らないのに)

 胸中での呟きは、勿論口に出すことはしない。幼い頃を共に過ごし姉とも慕った相手が“ふさわしくない”などと評された事が悔しかったのだろう。

(きっと……)

 ユウリは思考を言葉にはせず、ただキリの頭をなでつづける。キリは、されるがまま、じっと立ち尽くしている。

(きっと、私が氷花を慕うよりももっと切実に、この子は氷花を慕っていたのだ)

 王という存在、氷花という存在への尊敬だけでなく、それは、きっと名付ければ恋とか愛とか呼ばれるものだ。だから、氷花が居なくなってしまってから少なからぬ時が流れているのに彼は氷花を忘れる事ができないでいる。

 どのくらいの時間、そうして無言で居ただろうか、窓を向いていた二人がふと視線を転じると外には先ほどまで居たはずの少女たちの姿がない。あれ、と窓辺に寄って外を見渡していると、キリたちの背後に位置する扉が勢いよく開いた。

「ただいまっ」

 転がり込むような勢いで室内に飛び込んできたのは、先ほどキリが游伊と呼んだ少女だ。その後に、銀髪の少女が遅れて続く。少女たちにユウリがふんわりと笑みを浮かべた顔を向ける。

「外は寒かったでしょう? 暖かいものを用意しましょうか」

 ユウリの台詞に、游伊がうん、とはじけるような笑顔を見せる。

「母さま、私、蜂蜜湯にして! 甘いやつ!!」

「はい、はい……そちらは?」

 腰元にまとわりつくように跳ね回る己の娘――游伊――に苦笑を浮かべつつ、ユウリは入り口扉付近で歩みを止めたたずむ少女へ視線を向ける。問われた少女はぱちりと瞬きを一つした後、キリへと視線を向ける。が、その表情からは何の感情も読み取れず、視線を向けられたキリは小さく肩をすくめる。そこでユウリが助け船をだすべく言葉を差し挟む。

「お茶か、游伊と同じで良ければ、蜂蜜湯を。……甘いのはお嫌いですか?」

 ユウリの問いかけに、銀髪の少女はふるりと頭を振る。

「……わからない」

「え?」

「ヒトの形を取るのは初めてで……、ヒトの食べ物も初めてだ。……スキ、とかわからない」

 少々うつむきがちに答える少女に、どうやら困っているらしい事を察したユウリは思わずくすりと笑う。その声を聞いたのか、少女が顔をあげ、まっすぐユウリを見つめるが、ユウリはそれぐらいではひるまない。逆に、ますます笑みを深くする。

「では、蜂蜜湯を用意しましょう。游伊が好きなんです。……どんな味か、ご賞味くださいな」

 そうして、一続きになっている奥の方――台所がある――へと姿を消す。その背をぽかんと見送った少女へ、游伊が近づく。

「コッチ、座ろう?」

 游伊は少女の手を引き、先ほどユウリが盆を乗せた卓の周りに並べてある椅子へと少女を導く。途中でちらりとキリを見やり、立ったまま飲むのはお行儀が悪いのよ、とい言いおく事も忘れない。その言葉にキリは苦笑をこぼし、オレはもう終わったから、と言い訳めいた台詞を返す。そのまま、自分の湯のみと先ほどユウリが卓に置いたままの湯のみ、盆を持ち、ユウリの後を追って台所へと足を向ける。游伊たちが居る場所とは特に扉で仕切られてる訳ではないが、それぞれが独立した部屋となっている台所では、ユウリが水を火で温めているところだった。

 キリの姿をちらりと見てから、ユウリは視線を火の方へと戻す。

「刹那(セツナ)と、ずいぶん違うのね」

「……うん」

 氷花の『獣』。氷花が最期に連れて行った唯一の存在。氷花の命を奪った存在。キリは湯のみをことりと水場へ置き、盆を棚へしまう。それから台所の壁にそろりと寄りかかり目を閉じる。左手でこめかみを押さえる。兄のようだと思っていた存在。少女をみるたびに、二人を思い出す。少女の髪を瞳の色は刹那を連想させたし、少女の細い背中や真っすぐな視線は、氷花を思い出させる。違う存在なのだと言い聞かせても。

「キリ?」

「……うん」

「私たちの王は『獣』が選ぶの」

「知ってるよ」

「選ばれたのは、誰?」

 ユウリの言葉に、キリが目を開く。そこには、いつに無い厳しい視線の姉の姿。

「選ばれようと、そうでなかろうと、そこには意思が介在できる余裕はないのよ……だって、あなたしかいないって、そう言われてるんだもの」

「……」

 キリは再度目を閉じる。しゅんしゅんと、水が沸騰する音が小さく聞こえている。

「氷花が、言ったわ」

 ユウリは、煮立った湯を火から遠ざけ、湯のみへと注ぐ。こぽこぽと二つの湯のみに湯が注がれる音が聞こえた。それから棚を空ける音。ガラス瓶を空ける音。蜂蜜を入れたのか、湯のみをかき混ぜる音。

「次に選ばれるとしたら、キリしかいないだろうって」

 キリががたりと目を見開き、台所の壁から身を離して直立する。

「……え?」

 もしもの話よ、と笑った少女の笑みがユウリの眼裏に浮かぶ。

「もしもの話を、したことがあって。もし、次の王が選ばれるとしたらって、氷花が突然言い出して」

 思えば、あれのあたりから彼女は覚悟を決めていたのだろうか。いや、それとも王になったその瞬間から覚悟なんてとっくにしていたのだろうか。

「王は永遠ではないから、必ず次ぎに渡すべき相手が居るから、それはきっとキリだろうって」

 キリならいいと思っているのよ。そういって少女は笑った。王とはとても思えない外見で、でも、誰よりも気高い空気で。でも、一番渡したくないわ、と少女は続けて言った。王としてのアタシはキリがいいって言う、でも、氷花としてのアタシは、キリじゃなければいいと思うわ。

「オレは、そんなの、聞いてない」

「だって、内緒の話だったんだもの」

「なんで」

 詰め寄らんばかりに身を乗り出しす弟の姿にユウリは肩をすくめる。

「だって、そんなの聞いたら、調子に乗るでしょ」

「は?」

 ユウリは意地悪げな笑みを浮かべてキリを見つめる。

「氷花にそんなこと言われたら、有頂天になるでしょう?」

 その笑みに潜んだ揶揄いの意図にキリは頬を赤らめる。

「そ、そんなこと……っ!」

 無いとは、言えなかった。

 うろたえて口ごもるキリの様子に満足したのか、ユウリは湯のみを二つ持ち、少女たちの待つ部屋へと戻るべく足を向ける。数歩歩き出したところで、はたと気づいてキリを振り返る。

「そういえば」

「……なんだよ」

 キリの声に警戒心がにじんでいる。まだ何かしら揶揄されると思っているのか。

「彼女、名前は?」

「え?」

「あなたのパートナーよ、王様?」

 ユウリの台詞に、キリがあからさまに視線をそらす。

「なに」

「……聞いてない」

「はい?」

「それどころじゃなかった……」

「あっきれた……!」

 キリの態度に、ユウリは思いっきり顔をしかめる。

「後で氷花に報告しておきます」

「なっ……できるわけないだろっ」

「あら、知らないの?」

 ユウリはふふと笑う。

「いつだって、会おうと思えば、そこに居るのよ」

「え?」

 視線を、キリの胸――心臓あたり――へ、ぴたりと固定する。

「喪ったって嘆いてばっかりいるよりはよっぽど建設的だわ」

 ぐっ、と言葉につまるキリを置いて、ユウリは台所を出る。素早く母の存在に気づいた游伊がぱっと視線をこちらに向けて笑顔を見せる。

「ほら、雪花(セッカ)! 蜂蜜湯だよ」

 愛娘が銀髪の少女に声をかけるのをにこにこと聞きながら、ユウリは二人の前にそれぞれ一つずつ湯のみを置く。愛娘の口から自然に銀髪の少女の名前とおぼしき単語がこぼれ落ちた事に、自然頬が緩む。

「さ、召し上がれ。熱いから火傷に気をつけてね」

「うんっ」

 にこりと笑顔で返事をし、手元に湯のみを引き寄せてふうふうと息を吹きかける游伊の姿を雪花と呼ばれた銀髪の少女がじっと見つめる。

「……」

 その視線に気づいた游伊がことりと首を傾げる。

「どうかした?」

 ふるりと首を横に振る雪花にユウリが游伊はああして湯を冷ましているのですよとそっと教える。あぁ、と一つ頷いて、雪花も同じようにふうと湯のみに息を吹きかける。

 蜂蜜湯が十分にさめた事を確認して、游伊はいただきます、とつぶやく。先に飲もうとしていた雪花がその仕草にぴたりと動きを止める。

「食べたり飲んだりする前は、いただきます。終わったらごちそうさま」

「?」

「挨拶ですね……、ヒトの」

 ユウリの説明にふぅんと気のない返事を返した雪花は、湯のみに口をつける前に小さくイタダキマスとつぶやいた。

 ちょうど台所から戻ってきたキリが、その存外幼い仕草を目撃し、目を見張る。何となく気まずい気持ちになって目をそらした先で、ユウリと視線がぶつかってキリは再び視線をそらす。それから、右手で自分の項あたりをポンポンと二回たたき、ため息を一つ。

 まだ、複雑な気持ちの全部に整理がついた訳ではないけれど。それでも、自分しか居ないというのなら。覚悟を決めるしか無いんだろう。ほかでもない、彼女が選んでくれたのなら。いかにもあの人らしいと、いっそ笑みが浮かぶほどだ。

 ユウリの元を辞しての帰宅途中、吹き抜ける風に瞳を細める。隣に立つ、新しい相棒の姿をちらと見やる。細い身体、自分よりも遥かに小柄な少女。なびく銀髪が日の光を弾く。肩の力を抜いて、大きく伸びを一つ。そこでハタとキリは気づく。

「そういえば、名前は?」

「……雪花」

 いまさら何を、という感情を隠しもしない赤い瞳ににやりと笑いかける。

「オレは、キリ」

「……知ってる」

「うん、よろしくな」

 

 そうして、新しい世界を手に入れる。

 

(20110122 初出)(読みきり 関連:E・den、フライハイト キリ 「彼女が選んだ道を行く」)

*** ***

 E・den番外「それからのこと」の後日譚。

 未読の方へ、ちょっとだけ補足すると、ユウリってのはキリの実姉。氷花と刹那はE・den、キリはE・denとフライハイトの両方、雪花はフライハイトに出てくるキャラクタです。……皆、脇役ですけれども。ちなみに、E・denに置いてる「愛ある場所へ、君と。」とわざと題名を似せてあります。間違えたわけじゃないのです(笑)