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追憶の白(碧仁)

 大切にされているという、記憶も自覚もある。

 世継ぎだから、単に子供だから、年下だから、などその理由は様々だとしても。幼い自分に対しても、時に厳格に接する父からは、王たるは何かということを常に叩き込まれていたし、母には人を慈しむ心を。だから、自分は大層幸せなのだろうと思う。思う故に、欲深く我侭な自分に対して時に罪悪感を感じるほどだ。

 友達が、欲しいなどと。

 一度も口にしたことはなかったが、心ではいつも願っていた。

 もちろん、王城内にも年の近い子供はそれなりに居るけれど、いつも彼らと自分の間には透明で薄くて、でも固い壁が存在しているような気がしてた。目に見えない壁。それ以外の連中は、俺よりもずっと年上で、大人なので明確に主従のラインを引かれていた。……沙季(ざき)だけは、別だけれど。俺より5つ年上の少年は、幼い頃(たしか4つだったろうか)に付けられた俺の臣下で、主従ではあったけれど、より近い位置で俺に接してくれていた。さながら兄のように。

 そんな気持ちで、迎えた8つの誕生日に、何が欲しいのかと問われた俺は、結局、上手く何かを強請ることができず、両親を苦笑させた。

 身体がそれほど丈夫ではない母の元に定期的に様子を見に来る宮廷医師の、息子という人物に会ったのは、良く晴れた日……だったように思う(正直に告白すると、実は良く憶えてない)。自分のそれよりも幾分か濃い青い髪に、何処の地方の方言かは知らないが、自分の発音とは違うイントネーションで言葉を話す、ひょろっとした子供だった。母に良くしてくれるその宮廷医師とは言葉を交わす機会も多かったけれど、俺はその子供の名前も知らなかった。特にこちらから声をかける機会もなかったし、またあの壁を感じるくらいならあえて喋る必要も無いと思ったからだ。

 ただ、何度か軽い手当てをしてもらったことはあった。

 訓練の時の、俺の手合わせの相手といえば、いつも沙季で、手加減をしなくていいと父にも俺にも命じられていた上に、まだ体格的にも体力的にも差がある沙季との手合わせでは、しょっちゅう痣をつくったり切ったり腫らしていたので、自然医務室に世話になる回数も多くなる。医務室にはいつも大抵担当の医師が居るのだけれど、時々居ないこともあり、そういうときには医師見習いとして出仕していたその子供が俺の手当てをした。<br /> いつもは、またこのような傷を作ってだの、体を大事にしろだのと、小言を貰いながらの手当てだったが、その子供の時は、むっつりと黙りこんだまま黙々と手当てをしてくれたので、心の中では彼に手当てをされるのは好ましく思っていた……たとえ、包帯の巻き方がめちゃくちゃだったとしても。

 もっとも、誰の手当てだとしても、真新しい包帯を見るたびに、母はため息をついたが、そのかわり、父は大きな手で頭を撫でてくれたし、沙季は、めちゃくちゃな包帯の巻き方を観るたびに、苦笑いを零した。

 その日、午前中に国の歴史学や政治学の授業を受け、午後からは訓練場で護衛隊の皆と体術の訓練を行う予定だったので、部屋まで迎に来た沙季と連れ立って廊下を歩いている途中だった。前から、血相を変えて走ってくるのは、沙季の父――護衛隊の隊長を務める――の一番の部下。いつも時間には煩い彼が血相を変えて走ってくる様子に、右隣に立つ沙季の肩がピクリと緊張する。

「……あれ、まだ時間には余裕ありますよね?」

「平気なはずだぞ……」

 沙季と二人そろって廊下で歩みを進めることも出来ず、立ち止まって彼が到着するのを待つ――と、走ってきた彼に、そのまま体を抱きかかえられる。

「っ?!」

「沙季、黙って着いて来い!」

 体を抱えられたまま、走り出す大人の男の力に抗えるはずも無く。また呼ばれた沙季も事情が飲み込め様子のまま、とにかく走り出す。見知った廊下を進んだ先は、

「……母上の部屋?」

 蹴破らんばかりの勢いで扉を押し開き、待ち構えていたらしい母の腕に俺の体は押し付けられる。背後で沙季が部屋に飛び込むと同時に、扉が固く閉ざされる。母の腕にがっちり抱きしめられたまま、室内を見渡すと、本来なら城や父の警護にあたる護衛隊や、従者たちの一部、よく見知った面々がそろっていた。そして、扉のあたりには母の愛用していた執務机や長椅子、書棚などが移動させられていく――まるで、バリケードのように。

 なんとか、母の腕の中で体を動かし、母の顔を見遣る。その顔は、いつになく青ざめ、強張っている。

「母上……?」

 じっと見つめると、俺を安心させるかのように、小さく微笑みを一つ零した母は、一度深呼吸をし、静かに呟いた。

「叔父上が、裏切りました」

 言葉を理解するまでに、数秒。その後、ジワリと言葉の意味を理解する。叔父上――父の弟――、つまりこの国の宰相が。

「うらぎり……?」

 ぼんやりと母の言葉を反駁する俺の耳に、誰かのクーデターだと呟く声が届く。

「王――父上には、既に情報が行っていますが、相手方の用意が周到で……、碧仁」

 震える母の手が、再び、俺の背中を強く抱く。

「この部屋の隠し通路から逃げなさい」

「え……?」

 遠くで、怒号が響く。

「私は、ここに残ります……私の足では逃げ切れない……。父上は既に、城を出ているはずです、合流して」

「母上!」

 強く声を出し、母の言葉をさえぎる。

「いやだ、一緒に……!」

 必死に声を出すも、抱きしめられたまま、母が首を振るのが感触でわかった。

「母が走れる体ではないのは知っているでしょう。共に行けば足手まといになります、全員でむざむざ犠牲になる必要はないのです」

「でもっ……!」

「父上とも、元よりそのように話しておりました。いいから、行きなさい、敵兵の声が近い」

 母の手が、俺の体を押しやる。そして、

「沙季」

「はい」

「碧仁を、よろしく」

「……!」

「皆も、早く行きなさい。時間を稼ぎますから――」

「王妃様! そういうわけには……!」

「はやくなさい! 迷ってる時間はありません!」

 初めて聞く母の激昂した声に、周りに立つ大人たちが慌しく動き出す。その波に逆らうように、俺は母に手を伸べた。

「ははうえっ……!」

 ――が、指先が母に届く前に、またも自分の身体が誰かに横抱きにされる。

「いやだっ……! 母上!!!」

 視線の先に立つ、母の顔は穏やかで此方を見つめる瞳はいつものとおりに優しい。隠し通路の扉である壁の一部がゴゴという重たい音を立てて開くのが、聞こえた。と、同時に、バリケードを張った扉がどんと大きな音を立てる。扉の向こうから複数人の男の声。

 その音に感応するように、護衛隊たちの動きが機敏になる。もがく俺の体をものともせず、先ほど、この部屋に連れてきたのと同じ男がどんどん歩みを進めていく。

「はなせっ!」

 叫び声も全部無視されて、暗い隠し通路へと連れて行かれる。隠し通路の扉が閉められる最後の瞬間、バリケードが打ち破られ、敵兵がなだれ込む様子が垣間見えた。

(こんな、こんな別れがあってたまるか……!)

 全身全霊を込めてもがいても、腕の力が緩むことは無く、背後から付き従う護衛隊や従者たちが通路のこちら側から過剰なほど鍵をかける様を、体をよじりながら見遣る。なおももがくが、声がかれ扉を肉眼で確認することが困難になって、ようやく抵抗を諦める。こちらの抵抗がなくなったのを感じたのか、ずっと体を抱えたままだった男が、そろりと降ろしてくれて、足の裏に硬い地面の感触。

 じわりと瞳に水の膜が張るのを自覚して、ぐいと袖で目元を拭う。と、ぽんと暖かな掌が頭の上に乗せられる。

「沙季」

 沙季が、無言のまま、一度くしゃりと髪の毛をかき回す。そして、その手がそのまま俺の左手を掴んだ。此処まで俺を連れてきた男が先頭に立ち、その後に沙季が続き、そして沙季に手を引かれるまま歩き出そうとした背後から声がかかる。

「若。此処からは二手に分かれましょう」

 従者のうちでも最も年長の男が静かに述べる。

 その声に、既に歩き出そうとしていた男と沙季が驚きに目を見張りながら振り返る。

「若たちは右へ……我等は左へ」

 暗く長く続く隠し通路の先は、確かに二手に分かれている。

 先に立つ男が、口を開くより早く、従者が言葉を繋ぐ。

「王とは、この通路を抜けた先の城門で合流だろう? 右でも、左でも抜ける先は同じ。我等も後から合流する」

「何を言っている? 共に行く方が安全で――」

 先頭に立つ、護衛隊の男が険しい表情を浮かべた反論しかけた時、背後の方でどんと何かがぶつかるような大きな音がして、その場に居た全員が一瞬動きを止める。皆の振り返る視線の先には、この通路へと続く隠し扉。

 いち早く、先ほどの従者の男が向き直り、告げる。

「王妃様も言われたろう、迷っている時間はない」

 そのあまりに静かな口調に、言い知れぬ不安を感じて、俺は声を上げる。

「それは、囮になると言うことか?」

 あるいは、此処で追手を食い止めるつもりなのか。

 だが、こちらの強張った声に対して、従者の男が浮かべたのは穏やかな笑み。

「いいえ、若の足は遅いので。このままでは何れ追いつかれた時に足手まといになります……ですから、これは我々の保身のためです。……若を見捨てる愚か者をお赦しください」

 穏やかな声音で告げられた内容を丸々信じるほど幼くは無かった。だが、背後の扉からは再びどんという音が響く。やがて、扉を蹴破って追手がなだれ込むに違いない――一刻の猶予も無いことは、誰の目にも明らかだった。そして、目の前の従者の瞳には固い決意の色が見て取れる。

「……いい、赦す」

 その瞬間の彼の笑顔をこの先忘れることなど出来ないだろう。どうすることもできない歯がゆさと裏切った宰相への怒り、何も出来ない自分への怒り、悔しさ。色んな感情を拳を強く握ることでやり過ごす。促すように背中を押し出す従者の掌の温かさに、覚悟を決める。

 それから後は、ただ無我夢中だった。隠し通路の、まるで迷路のような構造を、先に立つ男は熟知しているのか足取りに迷いは無かった。果たしてこの先に待ち受けるのは父なのか、そうではないのか。不安な気持ちを抱いたまま走り続ける。闇に聞こえる自分の足音と左手にある沙季の手の感触だけが、その時の俺の全てだった。

「碧仁!!」

 果たして。

 通路を抜けた先、開けた場所に眩しいほどの日の光を受けて立つ父の姿を見つけたときは、耐えていた水滴がぽつりと意的、頬を滑り落ちたが、父はそれを見咎めることはせず、いつものように大きな手でくしゃりと一度、頭を撫でてくれた。そのまま体を抱えあげられ、見知った城の者たちが集まる雑木林の影に連れて行かれる。そこには沙季の父親である護衛隊隊長の姿もあった。沙季が父の元に駆け寄っていく。

 その姿を見つめていると、父がぽんと背中を叩く感触。

「父上……母上は……」

「……知っている」

「おれっ……」

 涙に詰まる言葉に、大きな掌がぽんぽんとさらに背中を叩く。

「お前のせいじゃないんだ、碧仁……俺の、力が至らなくて、お前にまで怖い思いをさせてすまなかったな」

「父上……」

 頬を伝う雫を大きくて暖かな指が拭う。そろりと地面に降ろされたところで、父がもう一度頭をくしゃくしゃと撫でる。

「王」

 父の背後から、沙季の父親が近づいてきて声をかけると、父はすっと背筋を伸ばし、大人たちが集まるわの中へと戻っていった。代わりに今度は沙季が俺の傍らに立つ。

「沙季」

「はい」

「父上たちは……何の話をしているんだろう」

「……」

 俺の問いかけに、沙季が少し困った風なそぶりを見せる。それから、小さくため息をついて、硬い声で知りませんと答えた。

「……オレには、教えてもらえませんでした」

「え?」

「子供だからと」

 どこか、不満を滲ませた声で答える沙季に、きょとんと瞬きを一つ返す。俺から見たら年上(なんたって、俺より5つも年上だ)の沙季にも教えてくれないのだったら、俺にも教えては貰えないだろうな、胸中で呟く。

 教えてもらえないなら、それでもいい。とにかく、俺も何か役に立ちたい。きっと、父は此処に残る或いは、裏切った宰相を討ちに行くに違いない。ならば、何か、手伝えることは無いだろうか……と、一歩父たちが何かを話し合っている輪の方へ踏み出す。

「若?」

 背後で沙季が俺を呼ぶ声が聞こえたが、あえて無視する。

「父上」

 呼びかけた声が、思いの外か細く、震えていたので、自分自身でぎょっとしたが、それでも気付いてくれたらしい父が、輪を外れて此方へ来てくれたことにホッと安堵し、小走りに近づく。

「父上」

 父に後数歩で届くと言う距離になって、父が長い腕を伸ばし、再度俺の身体は父に抱き上げられる格好となった。ぱちぱちと瞬きをし、父の顔を覗きこむと、そこには深い紺の目を細めて此方を見遣る父と目があう。

「碧仁」

「はい」

 俺の名を呼ぶ父に短く返事を返すと、父の大きな右手が、俺の目蓋を塞ぐ。

「……?」

 突然覆われた闇に、疑問の声を上げるより先に、父の右手が術により熱を持つのがわかった。

「父上?!」

 何をするのかと問おうとするも、掛けられた術により意識を奪われる。

「碧仁、父と母はいつでもお前の傍に居る……お前の右手に刻まれた神秘的象徴(シンボル)が、その証。生き延びろ……」

 意識を失う刹那、父の声を聞きながら、あの宮廷医師の息子を人々の群れの中に見つけた。

(逃げ延びていたんだな……)

 初めて見る苛烈な瞳。全てを焼付け、許さないという決意の。

(あいつでも、あんな表情するのか)

 そう思ったところで、意識が途切れた。そこから先のことは憶えてない。

 目を覚ました時には全てが決着し、父は死に、俺たちは追われる身となっていた。

 その時は気付かなかったが、隠し通路を逃げ惑った時などに、あちらこちらに傷を作ったらしい俺の看病は、いつぞやの宮廷医師の息子が担当していた。

「熱、なかなか下がらないな……」

 心配げに、少年が呟く。外傷的な怪我は順調な回復を見せるのに、何の後遺症か高熱が続く俺の顔を覗きこみ、少年は眉を顰めさせる。ベッドに横たわったまま相手の顔をぼんやり見つめ返した俺は、あの意識を失う一瞬に見た瞳とは間逆の、穏やかな色のみを宿す瞳に、妙に苛立ちを覚え視線を逸らす。熱を測ろうと伸ばされた手を払い落とし、そのままベッドから抜け出るべく体を起こす。

「ちょっ……、どこ行くんだ?!」

 少年が慌てたように声を出す。それに、俺は妙な冷ややかな気持ちで答える。

「熱なんて関係ない。俺はもう大丈夫だ」

「何、言って……?」

 追われている身であるという事実が、ヤケに心をせかす。そう、追われている身なのだ、いつまでも此処に留まるわけには行かない。遠くへいかなければ。遠くへ……。

(どこへ?)

(そうだ、何処へ行くというのだろう)

 庇われるだけで、護られるだけで、小さなこの手に残ったのは父母の血だけ。

 白くなるほど手を握り締めたまま、動かなくなった俺の横顔を眺めていた少年が小さくため息を零す。

「お願いですから横になってください」

 その言葉を無視して、ベッドを降りた俺は、久しぶりに己の両足で地面を踏みしめた。一歩踏み出す俺の腕を掴もうとして、少年が一瞬戸惑いを見せる。きっと、立場の違いとかを考えて触れるのを躊躇ったのだろう……だが、即思いなおしたのか、歩みを止めない俺を引きとめようと、ぐいと右手を引っ張られる。体力が落ちていたせいもあって、その拍子に俺の身体は大きく傾ぐ。わっ、と少年が声を上げるのと同時に派手は音がして、2人諸共床に倒れこむ。俺と少年には然程対格差は無かったが、少年が力任せに腕を引いたのと、俺の体力が落ちていたせいだ。思いの外大きな音がして、部屋の外から、なんだ、どうした? と沙季がばたばたと此方へ向かって走ってくる音が聞こえた。

「す、すいません、沙季さん……ちょっと……」

 部屋の扉を開けた沙季は、碧仁の下敷きになってじたいばたとしてる少年の様に、苦笑する。それからしょうがねぇなぁと小さく呟いて、碧仁を助け起こした。沙季は、熱のせいで何時もより熱い碧仁の腕の感触に、見付からないように眉をひそめる。それから少し背をかがめて、自分より低い位置にある碧仁の瞳を真っ直ぐ見遣る。

「若、何してるんだ?」

「……」

「まだ、安静にしてなくちゃ駄目だろ」

「うるさいっ!」

 叫んだ声はかすれて、頬が熱のためか紅潮しているのが自分でもわかる。そこでようやく起き上がった少年が、こちらの目を真っ直ぐ見つめて、静かに告げる。

「俺はまだ見習だけど、医者だから」

「……」

「命を救うのが仕事だし、誇りやと思ってる」

 交錯した視線は、あの日気を失う刹那に見た、あの瞳で。

「だから、俺の前で命を粗末にするんだけは赦さないからな!」

 そう叫び、そのまま部屋を飛び出して行った少年を、追うこともせず見送った碧仁の背を沙季が軽く押す。碧仁は、少年の叫びに気力をそがれたのか、抵抗するそぶりは見せなかった。そして、ベッドに横たわるのを確認して掛け布団をふわりと碧仁の身体に掛けた。そのまま額に右手を宛がう。暁の一族は、神に愛された一族。洗礼を受けたものは右手にその御印を頂き癒し手を使うことができた。もっとも、沙季は医療専門ではないので、少年や医師たちほどの使い手ではないけれど。さらに、一族の力をむやみやたらと使うことは経典で禁じられていて、医師たちもよほどの重症でなければ力を使うことは無かったけれど。ひやりとした掌に、碧仁は目を閉じる。

「……包帯の巻き方、上達したでしょう」

「え?」

「あいつ、いつも若の包帯を巻くとき綺麗に巻けないのが悔しくて、練習したらしいですよ」

「……」

 よく見ると、確かに以前まいてもらった時ほどぐしゃぐしゃでもなく、動いても解ける気配は無かった。ふぅん、とため息なのか相槌なのか解らない音で碧仁はそれに答え、そういえば、と思う。同年代の子供に怒鳴られたのは初めてだ、と。壁も無かった。そのことに小さな感慨を覚えていると、沙季が小さな声で呟いた。

「若、生きるんです」

「……」

「あの場でね、本当は王を生かすか、若を生かすか、ウチのオヤジと王が話してたんですよ」

 あの、雑木林の影で。

「王は……父親ですが、同時に暁王でもあった……親の心情だけでなく、暁という国をどちらの天秤に乗せるか計ってたんです」

 するりと、沙季の手が碧仁の目蓋を覆った。こいつの手は、父とは違うけれど、大きくて……ズルイといつも思う。確かに沙季は年上だけれど。

「でも、そんなの関係なく俺は若に生きて欲しいんだ」

 じわり、と沙季は掌が水を捉えたのを知った。

「なぁ、沙季」

「なんです?」

「あいつ、名前なんていうの」

「あいつ?」

「さっきの、医者……あぁ、見習いだっけ」

「自分で聞きなさい」

「……いやだ」

 ふて腐れた声に沙季が声を立てずに苦笑する。

「だめです。そんな子に育てた憶えはありません」

「俺は、お前に育てられた覚えはない」

 その言葉に、今度こそ沙季は笑い声を上げた。

 

(20110108 初出)(読みきり 関連:E・den、フライハイト 碧仁 「生きる」)

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 あれ、またも随分老成した8歳児になってしまった……。E・den執筆中、一時期、暁國の碧仁と愉快な仲間たちについて色々モヤモヤしてた時期がありまして。その時に書いたものを加筆修正。続きそうな気配もしてますが、続きません。ちなみに、「護持の碧」からは4年後あたりの話。E・den本編からは10年前の話。