act03-08

 落ちる、と世威が自覚した時にはすでに体はタオベから投げ出された後で、とっさに伸ばした腕を誰かに掴まれる。と、同時にガクリと肩へ走った衝撃と痛みに世威は顔をしかめる。
「オイ、大丈夫か?!」
 少々上ずり気味の声で尋ねてきたのは、今まさに世威の腕を引っ掴んだ久希で。久希も慌てて居たのかそれとも世威を掴まえた時にどこかを痛めたのか、その顔は強ばっている。タオベが体勢を立て直すと、風に煽られて世威の体が揺れる。久希の腕に一層の力が篭められたのを感じるが、世威はその手を握り返すのが精一杯。
「常葉っ! 志波兄呼んでこいっ」
 久希が声を荒げる。
「待ってて、すぐ――」
 手すりに掴まりつつ状況を確認した常葉が通用口に向かおうと踵を返しかけた時、再度タオベが傾いだ。どうやら前方から向かい来る飛空挺(メーヴェよりは少々大振りでタオベよりはやや小さい、小型の物だ)を回避するために左右に動いているらしいのだが、その揺れが世威の体を振り回し、引き上げを困難にしていた。
「凪のヤロウ……」
 世威の頭上、繋がった腕の先で久希が低く唸る。引き上げようにもうまくいかないもどかしさは怒りとなって、恐らく操舵室に居てタオベを操っているであろう彼の兄へと向けられたらしい。
「オイッ、常葉、早く! 持たねぇ……」
 久希が常葉へ向かって叫んだ拍子にもう一度タオベが揺らぐ。


 あ、と声を上げたのは誰だったか。

 世威と己の体重とを支えきれなくなった久希がずるりとタオベから滑り落ち、それをとっさに止めようとした常葉が重力に引っ張られる。気付けば3人の足はタオベの甲板を踏んでは居らず、落ちる一瞬に、通用口が開いて志波が顔を出すのが見えた気がしたが、正確に視覚で捉えることは叶わない。
 ごう、という風の音を聞きながら、見遣った先には統治局のものと思われる飛空挺。その操縦桿を握る男の顔を、やけにはっきり世威は捉えた。緩い癖毛の、髪も瞳も薄い茶色。その色は、世威の記憶に何かをチラリと蘇らせた。しかしそれは言葉にならず、形を作る前に世威の中で霧の様に散っていく。過ったのは男の名か。
 加速を付けて落下する身体に比例するようにタオベの姿はどんどん小さくなる。ここへきて、世威はハタと気づく。
「ちょ、久希!! 落下してる!!」
「んなこたぁ、わかってんだよ!」
「どうすんだよ?!」
「うっせー! 黙ってろ!」
 怒鳴りあう間にも落下速度は緩むことなく順調に身体は地面へと近づいていく。久希が腕を伸ばし常葉と世威の身体を捕まえる。常葉は心得ているのか、引き寄せられるままに久希の方へと近づくと、自らも手を伸ばして久希の衣服の裾を掴む。
「オラ、お前も掴んでろ」
 久希に言われるがまま、常葉と同じように久希の服を世威は掴む。その様子を確認した後、久希は2人を掴んでいた手を放し、自由になった両腕を自らの胸元に引き寄せる。そして、左手に着けた黒革のアームカバーの内側、ちょうど手の甲とアームカバーの間あたりから小指程の大きさの薄い鈍色のプレートを引っ張りだし、プレートに設けられたボタンを押す。すると、久希の背から真っすぐ、コウモリの羽根を模した羽根が生えた。生えた、ように世威の眼には映ったが、実際はそれは映像が映し出されただけのようで、風を遮るわけではなく、落下の速度は相変わらず緩まない。咄嗟に、口を開き何かを言おうとした世威に、ちらと視線を向けた久希が黙ってろとでも言うようににやりとした笑みを口元に載せる。ぽかんと世威が見守る先で、単なる映像であった羽根が見る間に確かな実体を持つ、翼へと変容して行く。まさしくコウモリの指(の骨)に当たる部分はおそらく鋼鉄、飛膜も伸縮性のありそうな膜で形成されている。たった今自分の目の前で起こった出来事がにわかには信じられず、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりする世威を余所に、久希の背中から生えた羽根のおかげで、彼らは地面に向かいゆるりとその落下速度をゆるめた。

 落下速度が多少は緩んだとはいえ、かなりの高さから落ちた為、着地の際は各々が少々の衝撃を伴った。どさっという音と共に世威は臀部から地面へと着地したため、イテッと叫び声をあげる羽目になったし、久希は見事に立位のままでの着地を決めたが、最後にバランスを崩した常葉を支えようと咄嗟に手を伸ばした為、背中から地面に落ち、ぐぇという情けない声を上げることとなった。咄嗟に受け身は取ったらしいが、それでも痛いものは痛いようで、仰向けのまましかめ面をさらし暫く動かない久希に、彼の体に乗っる形で衝撃を受けずに済んだ常葉はあわてて身を起こし、大丈夫?! とうろたえた声を上げながら久希の様子をうかがう。
 あー、だのうー、だの言いながら久希がひらひらと右手を振り、しばし遅れて身を起こすと常葉が心底ホッとしたような表情を見せる。それを見た久希は痛みとは違うモノを含みながら少々顔をしかめ、それから世威のほうへと視線を向ける。ちょうど久希の位置から見ると、右斜め後ろに降りたらしい世威は、座り込んだままじっと久希の背中を見遣っていた。そこには先ほどまでの翼はもうどこにも存在していない。世威が不思議そうに己の背中に向ける視線に気付いた久希は、ちらと笑みを浮かべるが、ハタと一瞬その動きを止め、きょろきょろと周りを見渡す。見る限り、先ほどまでこちらに向って来ていた小型飛空挺のの影は無く。ついでに言うとタオベの影も見えないのだが、とりあえず差し迫る危険が無い事を確認した久希は、常葉に立ち上がるように促し、自らも腰を上げる。ぱたぱたと軽く服に着いた砂埃をはたき落とし、世威の右手を引っ張り上げて強引に立たせる。
「ひとまず、移動しよう……どっか空き家かなんか……ねぇかな」
 とはいえ、周りに建つ家々はしんと静まり返り果たして人がいるのかどうかすら判別できない。
「なぁ、久希……ここは……」
「多分、スラムのどっかだ……人が外に出てなくてよかったな。見られたら今頃大騒ぎだぜ。事故ってたかもしんねぇし」
 確かに上から人が降って来るなど一大事であろうし、ましてやその人が地上に居る人とぶつかりでもしたら――想像するのも恐ろしい。
「スラムなら都合がいいな。どっかに空き家の一つや二つはあるだろ」
 独り言のように呟きながら既に久希は歩き始めている。その背をぽかんと見送った世威と常葉は、二人揃ってあわてて久希の背中を追いかけた。

page top / 20120213初出