act03-06

 先ほどまでの残照は消え、すっかり宵闇に包まれる上空を、一機の小型飛空挺が進む。タオベ、と乗組員から呼ばれているその機体は見た目は金属そのものの鈍色でしゃれた塗装などはなく(もちろん、錆び止めのようなものは塗装されているのだろうが)、どちらかというとすこし太り気味の鳩のような様相であるが、空をかける様はなかなかに静かで滑るように移動して行く。操舵室では航空士である斗波と凪が風向きなどを慎重に見極めつつ飛空挺を何処に停め置くかを随分長い事話し合っていた。その様を、操舵室の端っこの椅子に腰掛けながら世威はぼんやりと眺める。どうやら着陸できる場所も無い為、空中で機体を維持しながら偵察の為に数人が降りる算段のようであるが、何処が安全か、どうすれば退路が確保できるのか、で中々意見がまとまらないらしい。
 残念ながら、空路だの風向きだの、航空術に関することはさっぱりわからない世威は、何処へ行くでも無く暇を持てましていた。おそらく宵闇にまぎれての侵入になるだろうと予め志波に聞かされていた世威は夕食の後軽く仮眠を取ってしまったので眠気も無く。かといって、皆の食事の後片付けで忙しい常葉を手伝おうにも台所が狭いからと追い出され、機関室でエンジンの手入れをする志波と久希からは、あとからたんまり働いてもらうから向こうで休めと言われ。
(……外は真っ暗で何も見えない)
 侵入する立場なのだから当然だが、月明かりさえない夜の空は、ぽかりと穴が空いたかのような暗がりばかりが広がり、じっと見つめていると吸い込まれてしまうのではないかという錯覚に陥るほどだ。と、スイと背後の扉が開き久希がひょこりと顔を出す。
「……まだかかりそうか?」
 顔をのぞかせた久希は顎で2人の方をしゃくりながら小声で世威に問いかける。
「うん……まだ、かかるかな」
 その返答を聞いた久希はあっそ、とそっけなく呟いて世威に手招きをしてみせる。
「そっちは、終わったの?」
「まぁ、だいたいは。後は志波兄がやるってさ」
「へぇ」
「だから、俺も暇なんだよなー……常葉は?」
「さぁ……さっきは台所で片付けしてた」
「ふぅん……じゃ、常葉もまだだろうな……よし、世威、ちょっと付き合えよ」
 にっと笑って船内の廊下をずんずん進む久希の背中を一瞬ぽかんと見送った後、世威は慌ててその背を追いかける。

 久希の背を追いかけてやってきたのは、彼ら(男性陣)に与えられた居住スペース(とはいっても、そこは寝るための二段ベッドが二つと折りたたみ式の椅子が4脚、サイドテーブルが1つだけというごく狭い空間で、いかにも寝るためだけに存在しているという感じの場所であったが)。入って右側の上段に久希、下段が世威の為に儲けられた寝床である。そこへ並んで腰をかけ、久希が組んだ足の膝の上に右肘をつき、その上に自らの顎を乗せる。世威も足を伸ばした状態で腰掛け、両手を後ろへつく。付き合えと言った割には特に何の会話をするでもない久希へ世威はちらりと視線を送る。それに気づいたのか、久希がちらりと世威を見返してから、視線を前に向ける。そこには世威たちが並んで腰掛ける二段ベッドと全く同じ物。こちらは志波と凪のためのもの。
「統治局へ降下するメンツだけど」
 久希が口を開く。
「うん」
「俺とお前な。お頭と凪はタオベの面倒見なきゃなんねぇし、志波兄もいざって時の為に残ってもらう……さっきさんざんモメたけど」
「さっき?」
「機関室で、そういう話になったんだよ」
 苦笑しながら告げる久希に、世威は肩をすくめてみせる。エンジンの手入れをしながら、そんな話になったのだろうか……ということは、機嫌の悪くなった志波に機関室を追い出されたんだな、等と考えていると久希がじろりと睨みを利かせてくる。追い出されたわけじゃねぇぞと不機嫌な声に世威は遠慮なく吹き出す。その世威の頭にごつりと拳を当て、うるせーと呟く久希に、ふと世威は笑いを引っ込める。
「……あれ、常葉は?」
「居残りに決まってんだろ」
「……そんな勝手に決めて、また怒られるよ?」
「あいつが怒ろうが何しようが関係ねーよ……これは決定事項」
「……久希って……」
「あ?」
「結構過保護だねぇ、常葉に対して」
 無言で先ほどよりも強めに拳をぶつけてくる久希の耳が少々赤い。世威は当てられた拳のせいで少々赤くなった額をさすりつつ、いてぇな、と零す。
「くだらねーこと言ってっからだ」
「えぇー……また常葉の機嫌損ねて平謝りすることになるんじゃないの〜」
「も一発ゲンコツくらわすぞ」
「それは勘弁!」
 久希が拳を振り上げるのを見た世威は、己の頭を庇うように両手を頭上で交差させる。その様に今度は久希が吹き出して笑う。
「殴るかよ」
「前科モノの癖に」
「そりゃ、お前がくだらねぇからだ」
「なんだそれ!」
「……なぁ」
「え?」
「緊張とかしねーの」
「緊張? 僕?」
「……お前の記憶の手がかり探しにいくんだろが」
「あー……つっても覚えてないからなぁ」
「そりゃそうか」
 ふ、と口角を上げ小さく笑った久希は居住スペースに一つだけ儲けられた小さな窓へと視線を向ける。そこから見える夜空の中に、ひときわ輝く星ひとつ。
「……あれがナヴィガトリア」
 指差しながら不意に久希が告げた名前を言語として理解するまでに数秒かかった世威は、若干うわずり気味の声で問い返す。
「え?」
「航海を導く星って言われてるーー斎の連中はまず始めに教わる。迷ったときの指針として」
「……うん」
「あれを起点にして航路を探るし、船を離れるときもあれを目安に方角を探る……まぁ、迷ったら、の話だけどな」
「……」
「覚えておいて損はない。飛空挺(エアーシップ)を離れた俺たちのお守りみてぇなもんだから」
「久希……?」
「そろそろ、お頭たちの話もついただろ。準備しとくかぁー」
 言いながら、ベッドから腰を浮かせた久希は世威に背を向け扉へと足を運びつつ両手を上の伸ばし伸びをする。世威はその背を一度きょとんと見遣ってから、慌てて自らも立ち上がる。もうすぐ、無くした記憶にであえるのだろうか。

page top / 20111016初出