act02-10

 久希がむっつりと黙り込み、斗波をはじめタオベの残りのメンバーも怒りの様相を呈している中、雪花は相変わらずキリの机に陣取り室内のぴりぴりとした空気など何処吹く風とばかりに書類を眺めている。大きめとはいえ一方に3人、もう一方には4人が腰掛けるソファはあきらかに手狭であった。
 キリと久希に挟まれて座る形になった世威は、目の前に据えられた机を挟んだ向かい側に座る斗波たち4人と目を合わせるのも気まずく、キリへと視線を向ける。
「斎の民は獣を遣うって言ったろ?」
 キリの言葉に世威がこくりと頷く。
「獣はさ、もともと獣の世界に住んでてソコは此方とはちがう完全な実力社会なんだ。強いものが君臨して弱きは従うのみ。現在の獣の王は、あそこに居る雪花で、久希たちの中に住んでる獣は、皆彼女の配下になる。そして、彼らには彼らだけの言語があって、それはオレたちに聞き取ることは出来ない。もちろん、彼らは契約してる宿主とは意思疎通がはかれるけれど、契約者以外の人間とは意思の疎通が図れないんだ。だから、久希の中の獣が志波に何かを伝えたい時は、一度志波の中に居る獣に話しかけることになるわけだね」
 世威は、突然始まったキリの説明に、頷いたものの、なぜ今その話をするのか意図が読めず眉間に僅かな皺を寄せる。
「通常は、獣と宿主の契約関係が優先されるから獣は宿主の意思を無視することはできない。当然会話の内容は宿主にも伝わるんだけど、相手が雪花だった場合は、雪花の意思が優先される。そして、雪花はオレの獣ではあるけれど、オレの言う事だけを聞く人形じゃなくて、自分の意思を明確に持っている」
「つまり?」
「さっきの話は、雪花を通じて母さんたちに筒抜けだったってことだ」
 キリの最後の台詞は久希が引き取って紡ぐ。そういうことなんだ、とキリが申し訳なさそうに呟いた。世威は久希とキリの言葉にぱちぱちと瞬きをし、それからえ! と驚きの声をあげる。
「容量がでかいのも、自分の意思で動けるってのも考えモンだな」
 ぼそりと悪態をついた久希を斗波がぎろりと睨みつける。それに対して久希は悪びれる様子も無く、ふんとそっぽを向いた。
「久希も、母さんもそれぐらいにして」
 おっとりと志波が声を出す。
「悪いけどこうして計画がばれた以上は、二人では行かせられないよ」
 志波の言葉に、久希が小さく舌打ちをしたのが世威の耳に届いた。ただでさえ怒りの空気を孕んだ状態なのにと、世威はヒヤリと肝を冷やしたが、幸い聴こえたのは世威だけのようだった。
「二人で行ったほうが目だたないんじゃないかな」
 恐る恐る、といった風で世威が志波に訴えかけるが、志波はいつもどおりの穏やかな表情で首を振る。
「久希も、世威もまだ子供だ。そんな危険にさらすわけには行かない。それに、どうせならタオベで行ったほうが簡単だし速いだろ?」
「うん、まぁ……そりゃそうなんだけど」
 隣に座る久希を気遣ってか、世威の言葉は歯切れが悪い。居心地が悪そうに、久希とキリの間で縮こまる世威の様子に、キリが流石に気を遣って会話に割ってはいる。
「それにしてもタオベは若干目だちすぎる気がするけどね」
「ぎりぎりまで近づいて、後は二人なり三人なりの少人数で入るしかないんじゃない」
 すると、キリの台詞を引き継ぐように雪花が言葉を発する。これには、世威や久希だけでなくキリも若干驚いたようで、思わず雪花のほうを振り向くが、相変わらず視線は書類に落としたまま、雪花は顔を上げようともしない。
「聞いてたの」
「この距離で聞こえないほうがおかしい」
「……そうかもしれないけど」
 呆れたような小さな笑い声と共にキリから吐き出された台詞に、此処へ来て志波と斗波が初めて笑顔になる。斗波が世威と久希を順繰りに見遣ってから立ち上がり、腕を組んでわざとらしいしかめ面を作って 見せてから、改めて二人をねめつける。
「計画にはタオベ全員で参加する。あんたたち二人だけじゃ危なっかしくてしょうがないからね。いいね?」
 斗波の宣言に、世威も久希も反論する言葉を持ち合わせていなかったので、渋々頷く。そんな二人の様子に、ふと斗波は表情を和らげて、腕組みを解く。
「ま、でも。一族に迷惑をかけまいとした態度は良かったね」
 にやりと笑った斗波の笑顔に、世威は肩の力がぬけてホっとする。詰めていたわけでは無いが、いつもより長めにふうと息を吐いてから、ふと横を見ると久希が左手で左耳についたピアスを触っていた。それは、久希が照れた時にする仕草だといつか世威に教えたのは常葉だったか。
「照れんなよ」
「照れてねぇ」
 なんで俺が照れなきゃなんねーんだと仏頂面を作ってみせる久希に、今度こそ世威は大きく笑い声をあげ、久希に肩を小突かれる羽目に陥ったのだった。そんな二人を尻目に、斗波はさて、と体を大きく伸ばしてから一度力を抜き、よし、と呟いてから志波と凪に声をかける。
「航路を確認して、段取りを付けなくちゃいけないね……こうしちゃ居られないよ」
「了解」
「へいへい」
 志波と凪が思い思いに斗波に返事を返すと、斗波は今度は常葉へ向き合う。
「あたしたちは先に戻ってるから、あんたは久希と世威を連れ帰ってきてくれないか」
「え?」
「また、ろくでもないことを企むといけないからね」
「しねーっつの!」
 斗波の半分からかい混じりの言葉に、久希が噛み付くが斗波はにんまりと笑っただけで特にそれには応じることなく、キリと雪花に挨拶をすると志波と凪を引き連れて退出していった。まったく、とため息をついて久希が自分の後頭部に手をやり髪をかき回す。すると、朝には常葉がきちんと整えてくれた後ろ髪がまた何房かぴょこと立ち上がり、跳ね上がった。それを見て世威があーあ、と苦笑を零しその跳ねた髪を一房軽く引っ張る。
「常葉が折角直してくれたのにな」
「……そうだな」
 室内へ足を踏み入れてから一言も口をきかない常葉に、世威と久希は改めて向き合う。
「なぁ、また直してくれよ」
 自分の寝癖を指差して声をかけてくる久希に対してちらりと視線を寄こしただけで、常葉は言葉を発することはしない。
「ごめん」
 無言のままの常葉に、久希が自分の顔の前あたりで自分の左右の手の平をあわせ拝むような格好をして謝罪の言葉をかける。
「何に対して」
 ようやく常葉から言葉が返る。
「……全部」
 久希の返事に、ちょっと驚いたような表情を覗かせてから、頬を緩ませ常葉は自分の両手をそれぞれ世威と久希に向かって差し伸べる。
「今度、ナイショで何かするときは私も仲間に入れて」
 差し伸ばされた、右手と左手をそれぞれ世威と久希が握り返しながら、わかったと頷く。三人の様子を、黙って見つめていたキリがそれをきっかけに表情を緩ませて、それから雪花を軽く睨みつける。
「まったく、雪花のせいで信用を失うところだったろ」
「もともと、そんなものないくせに」
「あるよ!」
 思わずむきになって言い返すキリに、雪花は涼やかな目元のまま口だけ笑ってみせる。
「放っておいたら、自分も行きたいとか言い出すでしょ」
「……言わないよ」
「どうだか」
 世威が、常葉の手を離し、あぁと思いついたように、右手を握って左の掌にぽんと打ち付ける。
「予防策!」
「そういうこった」
 呆れたように答えたのは久希だ。
「タオベで行くって決まっちゃえば、キリは動きようがないもんね」
「……常葉まで」
 がっくりとキリがうな垂れて情けない声を出したところで、雪花がにこりと満面の笑みを見せた。


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