act02-08

 しばらくはぱらぱらと雪花が書類をめくる音が室内を支配していたが、久希がキリへ真っ直ぐ視線を向け口を開く。
「昨日、キリが見せてくれた光があるだろ、例の迷子用機械の」
 迷子、という単語が出ると世威が若干顔をしかめて渋い表情を見せる。
「うん、統治局の方向を示してたね」
 キリはそんな世威の表情に、僅かに頬を緩ませて、久希の言葉に頷く。
「あそこに行こうと思うんだ……タオベとは別に」
「私用でってこと?」
「そう。俺と、世威で」
 だから暫く国を抜けたいんだけど、と続けた久希にうーん、と一度唸ったあとキリは組んだ足の上に右肘を乗せ頬杖をつく。
「世威もそうしたい?」
 キリの問いかけに、世威はこくりと頷き、口を開く。
「記憶が無いことを、それほど気にしてるわけじゃないんだ……ただ、何となく一年が区切りかなと思ってて」
 何がどう区切りなのか、上手く説明することが出来ず世威は開いた口を一度とじ、逡巡するようにキリと雪花、久希の顔を一度ずつ見遣った。それからもう一度喋りだす。
「凪とかキリが一生懸命に探っても見付からないんだ、きっと、此処から探すのは無理なんだよ……始めは、見付からないならそれでも良いって思ってた」
 ごそりと身動きをして、世威はずっと持ち歩いている青い石をポケットから取り出す。それを掌に載せ視線をその石に向けたまま呟く。
「でも、きっかけも出来たことだし。探してみるのもいいかな、と思って」
「とりあえず、それを世威が持ってて迷子を捜すためのモンだってんなら、その機械を当てにしてみようかと思ってんだ」
 世威の言葉を継ぐように久希が言う。
「……話は、わかるけど」
 世威と久希の言葉を聴いたキリは、頬杖をついたままため息を零す。眉間に少し皺をよせ、空中を睨むことしばし。
「統治局にはバレ無いようにすっから心配いらねーよ」
 中々是と言わないキリに焦れたように久希が言う。対して、久希の隣に腰掛けた世威は若干申し訳なさそうな表情を覗かせる。
「鳥の皆と、統治局ってトコが相性が悪いっていうのは久希に聞いた。迷惑をかけたくは無いんだけど……」
 申し訳なさそうな態度と声音の世威に、相変わらず頬杖を崩さないままキリは苦笑いをして、諦めたように一度目を伏せた。
「そんなに心配するほど険悪じゃないんだよ、ウチと統治局は」
 世威を安心させようとしているのか、キリは穏やかに笑う。
「表向きはな」
「こら、久希」
 横から入った久希の言葉に、キリが久希を軽く睨んだ後、頬杖をつくのをやめそのまま右手で項の辺りをさする。
「ま、確かに、仲良くする気もないけれどねぇ……」
「ホラ見ろ」
 キリの言葉に若干ふんぞりかえる様に胸をそらす仕草を見せる久希に、世威が噴出す。キリもこら、などと笑いながら久希を拳骨でぶつ真似をしてみせる。ふ、と笑いが途切れた時に、世威はふと疑問に思ったことを口に出してみた。
「鳥と統治局って、どういう関係なんだ? 昨日、久希に聞いたときもあんまり良い関係じゃないみたいだし……」
 世威の言葉に、キリと久希がちらりと視線を交わす。
「志波には教わってないか」
 キリの問いに世威はこくりと頷く。そっか、とキリは呟いてソファに少し深く座りなおす。
「志波の『授業』と少し被るところがあるかもしれないけど」
「いいよ」
 じゃあまず、とキリが右手の人差し指を立てる。そして、それをそのまま雪花が居座る――先ほどまではキリが向かっていた――机へと向けた。机の上には、キリが先ほどまで目を通していた書類や、資料として使っていたと思われる書籍などが散乱している。
「あそこに、一番ぶ厚い本があるだろ」
「うん」
 キリが指先を向けるほうへと視線を向けたまま世威が頷く。
「あの本を動かしたいとき、世威ならどうする?」
 キリの問いの意味を図りかねて、世威がキリへと視線を戻す。
「……立ちあがって、あそこまで行って動かす……?」
 問いに問いで返すような頼りなさで世威が答える。その答えに、キリはしごく真面目な顔でうん、と頷く。
「そう、普通はね――それ以外には?」
「それ以外?」
「そう、例えば」
 言葉と共にキリは指をぱちりと鳴らす。と、それに連動するかのように先ほどまでキリが指差していた本が音もなく空中を滑るように舞い、世威たちの目の前にある小さな木製の机へと移動してくる。
「!」
 世威が、大きく目を見開き動きの全てを止めて固まる。その様子に、キリが笑う。
「これが、志波から聞いたかもしれないけれど魔法と呼ばれてる力だ……ま、ちょっと大雑把な説明だけど」
 キリの最後の台詞に、それまで何も言わずに聴くだけだった雪花が大雑把にもほどがあると小さくぼやく。いまだ、言葉を発することも無く目を見開いたままの世威に、キリが首を傾げる。
「あれ、見るのは初めて?」
「こんな、はっきり見たことはなかった!」
 答えた世威の声は興奮のためか何時もより若干高い。隣では久希が苦笑をこぼし、キリはそりゃーよかったと顔を綻ばせた。
「魔法を使うには何らかの媒介が必要になる。呪文を唱えたり神の洗礼を受けたり、方法はいろいろだけど、ウチは獣っていう此処とは少し違う世界に住んでいる生き物の力を借りるんだ」
「うん、それは志波にも聞いた」
 キリが1つ頷いて言葉を続ける。
「彼らの住む世界は、此処とは違う次元にあるから、彼らはこの世界では実体を保つことができない。だから、不可視の存在だし、体内で飼ってることが殆どだから傍目には呪文を唱えたりする手法と大して違いが無いように見える。オレのはちょっと容量が大きいからこうしてはみ出てるけどね」
 と、キリが雪花を見遣る。キリの視線に気付いた雪花が書類から目を離し一瞬キリを睨むような顔つきを見せて、すぐにまた書類へと視線を戻す。キリも世威たちの方へと向き直る。
「この倭都卯(わとう)という大陸では、もともとこうした能力を扱う民が多く居て、力を使えることが当たり前だとされていた時代があったんだ。でも、もちろん一方でまったく能力を持たない民も居た」
 キリが足を組みかえる。
「持たない民は、どうすれば自分たちも魔法が使えるようになるか考えて、機械という彼らなりの『魔法』を生み出すことにやがて成功する。それを、もっと発展させて今みたいに、機械を主流にしたのが、統治局だ」
「じゃあ、機械を生み出したのが統治局ってこと?」
「機械を発明したのは、もともとは(りょう)という国だよ――今は、もうないけれど」
 そう呟いて笑うキリの表情が僅かに翳ったような気がして世威は首を傾げるが、ほんの一瞬のことですぐに何時ものキリの表情になってしまったので、気のせいだったかと思いなおす。
「統治局の連中は、自分たちの機械という『魔法』に対して自信も誇りもあるけど、結局は本当の魔法には勝てたためしが無い。だから、オレたちが近づくとピリピリしちゃってうるさいんだ――関係が悪い、というか当たらず触らずってとこかな」
 キリが笑って言葉を区切ったところで、雪花ががたりと音をさせて椅子から立ち上がる。男三人がなにごとかと視線を向ける中、何の弁明もなくそのまま扉へ向かい部屋から退出しようとする。雪花、と声をかけたキリに一度だけちらりと目線を寄こしてからするりと部屋の外へと出て行った。訳がわからないままに顔を見合わせた世威と久希に、キリはただ肩を竦めて見せただけだった。


page top