act02-07

 夜が明けて、いつもどおりの時間に起床した世威と久希は、のっそりと起き上がりまだ半分寝ぼけたまま無言で着替えを済ませてからそろって自室から出る。そのまま脱衣所に備え付けられている洗面台で顔を洗った。あまり長さの無い世威の髪はもともとが柔らかい質感のためか寝癖がついても数回撫で付ければある程度収まりがつくのだが、久希の髪の毛はどちらかと言うと硬質で、一度寝癖が付くとなかなか取れないらしい。今日も、ちらりと確認した後頭部の髪があちらこちらへとはねている。
 教えるべきか否かを世威が迷ううちに、徐に久希が洗面台の蛇口の真下へと頭をだし、頭から水を被った。
「……毎朝大変だなー」
 洗うというほど丁寧ではないがザバザバと水を被った後に、脱衣所内に常備してある大判の布を手に取りがしがしと頭を拭く久希を見遣りながら、半分同情も込めて世威が呟く。
「んー? 目も冷めるし一石二鳥だぜ?」
 さして気にしていない口ぶりで久希が笑った。後頭部で盛大にはねていた寝癖も少しは落ち着いたようだ。
 その足で台所へと顔を出した二人は、既に朝食の準備に取り掛かっている常葉を見つける。
「あ、二人ともおはよー」
 フライパンで卵を焼きながら常葉は目線だけをこちらへ向けて、朗らかに挨拶をする。
「あれ、お頭たちは?」
 常であれば、この家で起きてくるのが遅い方であることを自覚している世威と久希は、毎朝遅いと怒鳴ってくる相手が居ないことに拍子抜けしてきょろきょろとあたりを見渡すが、大して広くも無い台所の何処にも斗波の姿は見つけられなかった。
 その世威の台詞に、あぁと常葉がちょっと困ったような笑みを浮かべて、ちらりと居間のほうへ視線を走らせる。その常葉の視線につられるように居間へと顔を向けた世威と久希は、その先で常葉が浮かべた笑みの理由を見ることになる。
「……何時まで呑んでたんだろうな、あの人たち」
「知らね……つうか、酒くせーな、この部屋!」
 久希が文句を言いながら居間へずかずかと踏み込み、閉められていたカーテンを勢いよくあける。ついでに窓も開けて、空気を入れ替える。世威もちょっと肩を竦めてから、床に転がっている凪をまたぎこし、散らかったままの酒瓶や食器たちを片付け始める。食卓と組み合わせて仕えるようにデザインされた椅子に起用に腰掛けたまま眠る志波と斗波にちらりと視線を投げかけるが、どうも起きる気配がない。
 そんな二人の様子を確認した久希は、ふぅと一度ため息をつき、折角寝癖を直したばかりの後頭部をがしがしとかき回す。その拍子に髪の毛が数束、再びピンとはねあがったが、久希は気付いていないのか、はねた髪はそのままに世威が抱え切れなかった残りの食器などを持って台所へと向かう。
「あれで、腕が良いとか言われてんだからなぁ」
 ぼやきつつ流しに使用済みの食器を置く久希に、世威と常葉がそろって笑う。
「確かに、あの姿からは想像もつかないね」
 笑いを含んだ常葉の言葉に、久希が頷く。そんな久希の後頭部あたりに視線をやった常葉が、料理の手を止めて、久希の後頭部あたりの髪の毛をつまむように指を伸ばす。
「……久希、寝癖」
「げ、折角直したのに」
 顔をしかめる久希に、あとで直したげるよと常葉が微笑んだ。おう、よろしくな等と言葉を返す久希が抱えたままの食器類を、先に自分の持っていた分を流し台へ降ろした世威が受け取る。そうしてあらかた居間を片付けた後、いまだ起きてこない年長組を放ったまま、三人は朝食を済ませたのだった。

 常葉の用意した朝食が冷め切ってしまい、久希の寝癖も常葉の腕によりすっかり直ってからようやく志波が目を覚まし、不自然な体制で寝ていた為に凝り固まった体をボキリと関節を鳴らしながらほぐしていく。半分寝ぼけたままで自分の居場所を確認した志波は、己や傍にいまだ眠りに落ちたままでいる斗波や凪から発せられる酒の匂いに、僅かに顔をしかめる。水でも飲むかと、立ち上がり台所へ足を向けようとした志波は、居間の窓から見える庭先で、洗濯物を干している常葉を見つけた。窓の傍へより、開け放たれた窓から声をかける。
「おはよう」
「……おはようっていうか、もうお昼になるよ」
 志波の声を聞いた常葉が洗濯物を竿に干しながら振り返り、苦笑する。常葉のいう事はもっともだと思ったので、志波も困ったように笑って見せる。
「久希と世威は?」
 途端に、常葉の顔が拗ねたような色を帯びる。
「二人で行っちゃった」
 常葉の返答に、志波はきょとんと瞬きを1つ。
「珍し……くもないか」
「私には、三人が起きてくるまで待ってろって」
「そりゃ、ごめん」
「……ごめん、別に志波兄たちをせめてるわけじゃないの」
 世威が来てからというもの、久希は度々世威と二人で出かけることが多くなった。行き先は、単に修行のためであったり、市場だったりその時々で違うようだが、常葉がその度に残されることには変わりなく。少し前までは、何処へ行くにも双子のように一緒だったというのに。
「……思春期ってやつかねぇ」
「え?」
 志波の声を聞き逃したのか、問い返してくる常葉に、ひらりと手を振ってなんでもないと答えてから、朝食はまだ残ってる? とたずねる。
「あるよ、暖めなおす?」
「それぐらは自分でやります」
 じゃあ、そうしてと笑いながら言う常葉に、了解と微笑み返す。干したての洗濯物が、穏やかな風にあおられてはためいた。その様子を、日の光の眩しさに目を細めながら眺めた後、志波は室内へと目を向けて未だ起きる様子を見せない母親とすぐ下の弟にため息を1つ零す。それから二人を起こしにかかった。

 志波たちが遅い朝食にありついている頃、世威と久希はキリのもとを訪れていた。キリと雪花が住まう住居(フラット)の扉の前で、ノックをするために振り上げた手をそのままに、久希は一度深呼吸をする。その様子を隣で見ていた世威は首を傾げる。
「……緊張してんの?」
「斎の人間にとっちゃ、キリは王で雪花は王の獣だ……それなりにさ」
 普段の態度からはとてもそんな風には見えなかったけど、と頭をよぎった言葉を口にはださず世威はそんなものなのか、と代わりの言葉を吐き出す。そんなもんだよ、と呟きごんごんと二度扉を拳で叩いてから久希は半歩後ろに身を引く。しばらくそのまま待っていると、内側で人の動く気配がして、扉が開かれる。外開きの扉から顔を覗かせたのは、キリではなく雪花だった。
 目の前に立つ二人の少年に、平素と変わらぬ視線を投げかけてから二人に微笑むでもなく表情を変えることなく雪花は淡々と問うた。
「何?」
 その声音からは特に不機嫌な様子も突然の来訪を咎めたりする様子も感じられなかったが、何となく背筋が伸びるような緊張感を世威は憶えた。そして、久希が緊張した訳を理解したような気分になり、自分よりも僅かに低い位置にある雪花の瞳をじっと見たまま立ちすくんだ。世威の隣に立つ久希は、先ほどまでの緊張をすでに振り払ったのか、うまく隠しているのか至って普通の表情で、
「キリは居るか?」
 と、雪花に尋ねた。
「居るよ、どうぞ」
 すんなりと室内に通された二人は、扉の内側に入り込んだ後、こそりと視線を交わしてから慌てて雪花の後を追った。雪花が案内した先には1つの部屋があり、雪花は内側に入室の許可を取ることもなくそのまま扉を押し開いた。
 押し開いた扉の先にはキリが木製の椅子に腰掛け揃いで設えられた机に向かっていた。手には数枚の書類を持ち視線をその書類から逸らさないまま扉が開く音が聴こえたのか、雪花へ声をかける。
「雪花、この書類だけど後でウーフに渡して来てよ、次の依頼の――」
 会話の途中で書類から視線を雪花の方へと向けたキリは、部屋へ入って来たのが雪花一人ではないことにようやく気付き言葉を切る。
「あれ、二人ともどうしたの」
 きょとんとした表情で問いかけるキリに世威と久希は少し笑う。それから、表情を改めて話があるんだと短く告げた久希に、もう一度きょとんと瞬きをした後、キリはうん、と1つ頷いて二人に今キリが座っている机とは別に、来客があった時に利用するように備えてある(と思しき)ソファに座るように促した。キリは二人が座ったソファの向い側にもう一脚ある別のソファへと腰を降ろす。両者の間には小さな木製の机が一台。
 雪花は、久希たちの訪問の理由には興味がないのか、今までキリが座していた椅子を占領し、机上の書類をぱらぱらとめくり、三人には見向きもしない。


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