act02-05

 キリと別れた後、何となく無言のままとぼとぼと住居(フラット)へ戻った三人は、扉を開けるなり斗波にこんな時間まで何処をほっつき歩いてたんだい、とどやされた。三人の感覚ではそれほど遅い時間というわけでもなかったが、予定の時間よりも遅くなったことは事実で、それが斗波に心配をかけてしまったのだろうと、三人は素直に謝った。
 それを見て、凪が久希にからかいの言葉を投げかけ、すかさず反撃に出た久希とどたばたとじゃれあいを始め、志波が苦笑いをし、斗波が凪と久希の襟首をむんずと捕まえる。
「……二人とも、晩御飯を抜きにされたいわけだな?」
 地を這うような低い斗波の声に二人仲良く首を振る。掴んだ襟首はそのままに、常葉に着替えてから台所へ手伝いに来るようにいい渡し、世威にも着替えてくるように言いつける。久希は頭を一発はたかれて世威と同じく着替えるように申し渡され、凪は拳骨を二発与えられた。涙目になって蹲る凪を久希は振り返りもせず自室へと向かい、志波が呆れたようにため息をついた。
「凪もさぁ、久希が可愛いのはあわかるけど、ちょっとは学習しようよ」
「……何を」
「母さんに殴られないように、かな」
「うっせ」
 ふて腐れてしゃがみこんだ膝に頬杖をついて口を尖らせる凪を、一旦は台所に消えた斗波が再度顔を出し睨みつける。
「邪魔だよ」
「へぃへぃ」
 面倒そうに凪は立ち上がるが、その顔はもう常と変わりない表情になっている。
「結局は、凪は母さんにどやされるのが好きなんだなー」
「……っ、誰が! 何言ってんだ、志波!」
「あれ、違うの」
「違う!」
 そんな兄たちのやり取りがまるで筒抜けな自室で久希は、はぁと大きくため息をついた。この住居(フラット)はさして広くもなく、飛空挺(エアーシップ)の中ではごく一般的な形態の住居ではあったが、如何せん大きな声を出せば全部が丸聞こえで煩いことこの上ない。世威はこの一年ですっかり当たり前になってしまったやりとりに笑いを堪えることもしない。言われたとおりに衣服を着替え、汚れた服は風呂場に隣接する脱衣場にある洗濯機へと放りこむ。入れ違いに常葉がやってきて、同じように服を洗濯機へと入れてから、水を汲みスイッチを押した。ごうんという音と共に洗濯機が動き出す。洗濯機が回る音を聞きながら、三人は顔を見合わせた。
「迷子防止機」
 ぼそりと呟いた世威の言葉に、久希と常葉が同時に笑い出す。
「……笑うなよ」
 と文句を言う世威も顔は緩んでいる。
「だって、なぁ」
「どんなに重要な手がかりが出てきたかと思ったら……迷子……」
「まさに、世威の状態じゃねぇか」
「うるさいなぁ」
 二人の笑いが止まらないのを見て、世威が僕だって好きこのんでこんな状態なんじゃないんだ、と言い募っても、記憶が無い故にじゃあどんな状態だったのかを説明することはできない。仕舞いには三人で脱衣場でげらげらと笑った。
 あまりに笑い続けるので、様子を見に来た志波が呆れ顔でため息をつき、もう晩飯の支度できあがっちまったぞと告げる。その言葉に、常葉が笑いを引っ込め顔色を変えてばたばたと台所へ走って行く。タオベでは、家事は基本的に斗波が担っていたが、残りのメンバーのうち誰か一人が当番制で毎日手伝うことになっていた。そして、今日の当番は常葉だったのである。
「……」
「……俺らも同罪だな」
 ちらりとこちらへ視線を投げかけてきた世威に、肩を竦めて久希が渋い顔を見せる。
「お仕置きだ」
 志波が呟く。その顔は、笑みさえ浮かんでいて実に楽しそうである。志波の言葉に、世威と久希が同時に心底嫌そうな顔をした。

 世威と久希は内心びくびくしつつ、台所を通り過ぎ食事の準備が調った居間へと足を踏み入れたが、斗波から別段何を言われるでもなく。二人が、こっそりと斗波に見付からないように常葉へと視線を向けるが、向けられた常葉も戸惑うような視線を返し、小さく首を振るだけ。はて、と小首を傾げる世威と、世威と常葉にだけ分かるようににやりと笑った(恐らく、お咎めが無くてラッキーだなという意思表示であると世威には思われた)久希の背後から志波が居間へと入ってくる。
 見渡す食卓に並ぶ料理は、いつもより少し品数も多いし心なしか豪華に見える。食べ物を目の前にして明らかに表情の緩む3兄弟を尻目に、斗波は世威を手招きし、一番上座へと着席させた。いつもは、斗波が――時には志波が、座る席である。
 これこそがまさか『お仕置き』なのではないかと、一瞬嫌な考えが頭をよぎった世威だが、斗波と、年長者二人の青年の表情を見て、ぱちりと1つ瞬きをする。
「折角の一周年、だからね」
 世威の疑問に答えるように志波が笑う。凪がいつの間にか人数分のグラスを出してきて、それぞれに液体を注いでいる。琥珀よりも僅かに明るい透明の液体からは、明らかに酒類の香りがしている。
「呑んでいいのか?」
 久希がうきうきとした声を出す。常葉がその態度をみてちょっとだけ眉をひそめたが、特に何かを言ったりはしなかった。世威はそんな二人の様子に、苦笑する。此処だけの話だが、世威と同室の久希は、部屋にいくつか酒瓶を隠し持っている――彼いわく、男のたしなみというやつらしいが――斎では二十歳未満は未成年とされ、基本的に飲酒は禁止されていることは、世威であっても知っているにも関わらず、だ。当然、斗波や志波にバレていないわけもないのだが、そこの所は大目にみているのか、今のところ没収された形跡は無い。ハメを外したり他人に危害を加えたりしない限りは基本的に放任なのがタオベ流なんだと、いつか凪がこっそり耳打ちしてくれたのを思い出す。
「世威も、飲んでみるか?」
 凪がグラスのうち1つを世威に差し出してくれる。世威はそのグラスを受け取ろうと手を伸ばしかけて、思いとどまる。
「……凪みたいになったら困るから」
 凪はもう立派に成人を迎えているが、酒類への耐性は殆ど無いようで、しょっちゅう酔っ払っては醜態を晒している。そのくせ呑むのは好きなものだから志波や久希には呆れられるばかりで。
「言うね」
 世威の返答に苦虫を噛み潰したような表情になった凪がグラスを引っ込めながら触れ腐れた声を出す。その様子を見てた久希と常葉が笑い、斗波がさぁ食べるよと着席するように促す。大量の料理が端から全部男どもの胃袋に消えていく様を、斗波がにこにこと見守っていた。


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