act02-02

 何度目になるか分からない、カンという木と木が打ち合う乾いた音が響いたあと、常葉が笛を吹き鳴らすより早く久希が構えを解く。世威はそんな久希の様子を見ても何も言わない、というよりは言えなかった。肩で息をするほどの疲労困憊ぶりであったために。
 はぁ、と一息ついてから世威はどかりとその場に腰を下ろす。広場は砂や芝ばかりで着ている衣服が汚れるかもなぁという考えが一瞬頭の隅をよぎらなくも無かったが、あえて気にしないことにして、世威はごろりと転がった。先ほどまで眩しいぐらいだった青空は、徐々に夕方の空へと色を変えつつある。
(今日も勝ちはなし、かぁ……)
 実は今まで一度も久希から勝ちをもぎ取ったことが無い世威は、今日こそはと思っていたのだが(此処だけの話、毎日挑むたびにそう思っている)、今日もその望みは叶えられなかった。落ち込みはしなくても、多少は悔しいのも又事実。
 そんな世威の気持ちを知っているのかいないのか。寝転がった世威の右肩あたりの地面に久希が腰を落ち着け、此方を覗き込んでくる。目線で答える世威に、にやりと笑って残念だったな、などというものだから、世威はだるさで動きの鈍い右腕を振り上げて、久希を殴る真似をした。
「いってーな」  
「うるさいなー。当ててないだろっ……たまには手加減しろよ」
「ンなの意味ねー」
 そうなんだけどさ、と僅かにふて腐れたような声音の世威の台詞に久希が噴出す。む、と顔をしかめて今度こそ世威は右拳を久希のわき腹にぶつけた。いてぇなと言いながらも久希の笑いは収まらない。
 一方は地面に寝転び、もう一方はだらしなく地面に座り込む二人の少年の姿を見て、常葉がため息を零す。
「もぉ、そんなとこでダラダラして! 服、汚したらまたお頭に怒られるよー?」
 常葉の台詞に二人同時にギクリと身を強張らせるのがおかしくて、常葉は二人のほうに歩み寄りながら遠慮なく声を上げて笑う。しかし、世威も久希も寝転がり或いは座ったままの姿勢から動く様子はなく、直ぐにでも立ち上がるだろうと予想していた常葉は小首を傾げる。そんな常葉に久希が右手を持ち上げて手招きをするので、常葉は久希のほうへ歩み寄った。世威はその姿を目だけで追いかける。
「なによ、久希」
 招かれるまま久希の正面――寝転がる世威の腰の位置あたり――に立つ常葉の左手を久希の右手が掴む。と、そのまま力任せにぐいとひっぱった。予想もしない下方からの力が加わったために、常葉は姿勢を崩し、そのまま地面へとへたり込む。
「……っ、何するのぉ?!」
 へたり込んだ拍子に打ち付けたでん部の痛みに顔をしかめながら抗議する常葉に、久希はちらりと世威に向け意地の悪い笑みを閃かせてから
「これでお前も怒られ組だな」
「?」
「ホコリまみれだぜ?」
 指された常葉の、本人の体系を鑑みれば随分と余裕があるつくりになっているふわりとしたバルーンパンツが砂にまみれている。途端にむっつりとした膨れ面をみせる常葉に久希と世威が同時に噴出し笑った。その後、久希と世威は仲良く常葉から一発はたかれ、ようやく世威は体を起こす。しばらくそのまま三人は沈黙を保つが、そういえば、と世威が身動きする。
 ごそりとポケットをさぐる世威の動作を、久希と常葉が黙って見つめている。もぞもぞと左手をポケットから出して、二人の目の前に広げた掌の上には、小さな蒼い石がころりと転がっていた。

「この石なんだけどさ、見たこと、ない?」
 問われた久希と常葉は困惑げに互いの顔を見合わせて同時に頭を振る。
「……こんな色の石、初めて見る」
 それは空の色よりも深く海の色よりは明るく、光に翳せば光を通すのではないかと思うほど澄んだ色合いだ。
「ラピスラズリ……とも違うよね」
 世威の手元を覗き込んだまま久希と常葉は同時にうーんと唸る。
「そっか、二人にもわかんないかぁ」
 自分も掌の中に転がした石を見ながら、世威は空いた右手で石をつついた。
「でも、訊けばわかるかもしれない」
 常葉がぽつりと呟いた言葉に、世威が顔をあげる。
「……誰に?」
 その問いに答えたのは、常葉ではなく久希だった。しかも、世威の質問には答えず、問いに問いで返してくる。
「世威さ、志波兄から色々勉強してんだろ? 俺たちのことは、聞いてるか?」
「ある程度は、聞いてるけど……」
 なんで、と訝しむ様子をみせる世威に久希は
「まぁ、黙って聞けよ」
 と、ポンと世威の肩を叩いた。
「俺ら――斎の一族は、人外の『獣』を使役する。獣を使役するかわりに、自分の血肉を死後獣に与えると約束してな。獣は宿主が死んだ後に与えられる血肉、そして『力』のことを考える。俺たちの力って、獣にとっては滋養らしいんだ。そこで獣が是といえば契約は成立。獣には力が与えられる事が約束され、俺たちには獣が手に入る。」
 それは、先日志波が世威に『授業』の一環として話して聞かせた内容と相違なかったので、世威はこくりと頷く。世威の頷きを見て、久希はさらに言葉を紡ぐ。
「獣はどんなに下級のモノでも人とは比べ物にならないくらいの能力を持っている。運動能力、生命力、回復力。寿命だって比べ物にならないくらい長い。それらの全てを契約によって自らの身へ引き落とす事ができる。そして、この世界で身を保つのが難しい獣たちは、斎の民と契約したあとは斎の民の血肉の中に住むことになる。そうすることで、コノ世界での実質的な肉体を手に入れる。それから獣と契約すると、斎の民には獣のもつ特異能力と少しの怪我や病気では死なない体と人並みはずれた運動能力が手に入る」
「そして契約できる獣も一匹とは限らない」
「そうそう。そんで、例えば俺の“中”にも獣が何匹か居る。そのうちの一匹は喧嘩が得意で、目が良いんだ。ちょっと特殊な目で、例えば相手がこっちから拳を出そうとするだろ、そうするとその動作の前にそれが何となく見える、というか予感できる」
 その久希の説明に、なるほどと頷きかけた世威の動きがぴたりと止まる。
「だから、俺は凪にも志波兄にも負けたことが無い」
 得意げな笑みをのぼらせる久希を世威がひと睨み。
「……どうりで、」
 言いかけた世威を久希が慌ててさえぎる。
「あ、でもお前との訓練の時にはその力は使ってないからな!」
「……ホントかよ」
「ホント、ホント。だって、卑怯だろ、そういうの」
 肩を竦め、それに常葉のヤツがうるせーんだよとそこだけ小声で世威にだけ聴こえるよう久希は声を潜める。その言葉に小さく世威が笑い、聴こえなかった常葉が首を傾げる。
「……ろくでもないことを言ったわね?」
 そんな常葉の言葉はあえて無視して久希は続ける。
「で、常葉の中にいるやつのうち一匹は、記憶を読むことができる」
「読む?」
「今、俺たちが此処にいるのって、親がいて、じーちゃんばーちゃんがいて、そのまた前の世代が居てって、ずっと続いてきてるものだろ。直接あったこと無くても、先祖ってやつはいるんだ。その人たちの肉体はもう滅んで無くても、この体の中に血とか肉とかになって残ってる。そういう記憶を読むんだ。だから、知ってる人がもしいれば、常葉自身が知らなくても獣がわかる」
 え、ソレって凄くないか、と驚きのあまり腰を浮かしかけたところで、丁度世威の真後ろから影が差し、頭上から声が降ってきた。
「三人とも、そんなとこに座り込んで何してるんだ?」
「「キリ」」
 久希と常葉の声が綺麗に重なった。と同時に、キリと隣に並ぶ雪花は、世威がいまだ掌に乗せたままにしていた石を目にする。
「それ……」
 呟きかけたキリに今度は三人同時に反応する。
「知ってるの?!」
「知ってるよ」
 キリが懐かしいものを見る瞳で石を見つめていた。


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