act02-01

 だだっ広い広場の真ん中で世威は、額に浮かぶ汗を拭いながら青空を仰ぎ見る。右手を額の辺りに翳し僅かな影を作った隙間からのぞき見る空は、眩しく鮮やかな色だ。
 と、ビュと音がして上を見上げた世威の喉もとにひたり、と固いものが押し付けられる感触がした。そろり、とそちらのほうを見遣ると意地の悪い笑みを浮かべた久希が木製の長い棍を世威につきつけているのだった。
「まだ、終わりの合図はかかってねぇけど?」
 そう、世威の左手にも久希が持つのと同じ長い棍が握られている。が、その手は構えの形を取っておらずだらりと下げられたまま。
 審判役の常葉の方へ視線を向ければ、肩を竦めた後にピィと笛を鳴らした。
「陽射にやられたか?」
 終わりの合図である笛の音を聞いてから世威に突きつけた武器を下ろした久希がからかい混じりに世威の顔を覗きこんでくるが、世威はむ、と口を引き結びそっぽを向く。確かに、訓練中であったし意識をよそに向けた自分が悪いのだが。
「もう、久希ってば。さっき一本取ったんだから合図がなくてもそれで終わりでも良かったじゃない」
 久希を挟んで世威と逆側に立つ常葉が久希を睨みつける。
 はいはい、すみませんねとおざなりに返事をした久希の背中を常葉が平手で殴るとばしっと小気味良い音がして、久希がいてぇと呻いた。その声に思わず吹き出した世威を久希が睨む。
「もとはといえば、お前が集中してないのがいけねーんだろ」
「……確かに、今日はちょっとぼんやりしてるね?」
 久希の向こう側から常葉も此方を見つめてくる。二人の視線を受けて、世威は苦笑いをし、自身の首筋を左手で撫でた。いつの間にか常葉と並んでいたはずの目線は久希に近くなり、手も僅かに大きくなった気がする。全然扱えなかった棍も、久希が手合わせをしてくれるおかげで随分ましになったし、此処での暮らしにも慣れた。そう、いつのまにか――
「そうだ!」
 ぽん、と思いついたように常葉が両手を打ち合わせる。
「何」
 久希が常葉を見遣る。
「今日は、世威がウチに来てから一年目だね」
 にこりと笑う常葉と視線が合って、世威は破顔する。そう、今日は世威がキリに連れられて此処へ着てから一年たつ日。

「一年、か」
 キリが書類に目を落としながら呟く。主の呟きを聞きとがめた雪花が手元に広げていた書籍から視線を上げ、キリを見つめる。机を挟んで向かい合わせに座る部下からの視線に促す気配を感じて、キリがうん、と頷く。
「世威を拾ってからね」
「そういえばそうだね」
 至極あっさりした部下の答えに僅かに微笑み、キリが手にした書類を机の上にばさりと放る。
「一人の人間の素性を調べるのに、こんなに手間どることになるとは思わなかった」
 今までも、行方不明の子供を捜してくれとかそういう仕事は沢山あったし、どんなに厳重にガードされた情報網(ネットワーク)でも、仲間の特殊能力は進入することが出来たから、情報を探ることなど造作もないと高を括っていられたのは最初の3ケ月だけで。
「そんなに特別視される子供にも見えないのに」
 という雪花の言葉に、キリも頷く。今のところ見る限り、確かに世威にはこれと言った能力が隠されているようには見えないし、個人情報(パーソナルデータ)を隠されるような存在にも見えない。共和国の子供は生まれれば必ず登録されたし、ゼロ地区に送られる子供であっても、データに存在しないことはなかった。親が居なくなれば施設に預けられる。
 しかし、凪がいくら情報網に侵入しても世威という子供を探り当てることはできなかった。
「何で消されたんだかなぁ」
「知らない」
 それがわかれば苦労はないという、またもごくあっさりした雪花の答えにキリはため息をつく。
「そんなに身元不詳が不安?」
「不安なのは、オレじゃなくて、世威だろ……多分」
 あれはあれでうまくやってるんじゃないの、と雪花は斗波や志波からもたらされる世威についての報告を思い出しながら答えた。
「スラムをもう一回調べに行くかナァ」
 長時間書類を眺めていたせいか、凝ってしまった首をごきと音をさせてほぐしながらキリがぼやく。
「あの家が荒らされてたのは、世威の為じゃないかもしれない」
「ま、そりゃそうなんだけど……」
 キリは笑う。
「オレの勘って割と当たるんだよなぁ」
 キリの言葉に雪花ははっきりと眉をひそめた。彼女が主の意見に反対するときに見せる表情だ。
「キリ――」
「あそこには、世威以外にも少なくとも一人は居たはずだ」
 雪花の言葉をさえぎるキリの表情は笑顔ではあるが瞳は真剣だ。
「あの睡眠装置(コールドスリープ)を動かした人が少なくとも居る筈だろ?」
「世威が自分で入ったのかも」
「扉が強固に閉まってた。しかもあの部屋はあの家屋の中では一番深いところにある――隠そうとしてたんだよ」
「……世威を?」
「あるいは、他のものを」
「誰が」
「……それは、まだこれから」
 笑う主の顔をみやり、一度大きなため息をついた雪花は開いたままの書籍をばたんと閉じた。その動作に含まれる剣呑とした空気を的確に読み取ったキリは、雪花の向かい側から左手を机上につき、支えとして身を乗り出した。空いている右手で雪花の銀色の――光の加減では白く輝いているようにも見える髪を撫でる。伸ばされた主の右手に、顔をしかめ自らの右手で払い落とすようにして押しのけた雪花は、赤に彩られた瞳でじろりとキリをひと睨みすると、書籍を机の上に放り出した。弾みで、キリが先に乗せた書類の数枚がひらりと舞って机の下に落ちる。キリはその様子を目で追いかけ、払いのけられた右手にも、さして気にする様子を見せることなく、机の下に落ちた書類を拾う為に腰をかがめた。
「一人で出かけたら許さないから」
 キリが机の下にしゃがみこむと同時にぽつりと洩らされた雪花の声は、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さかったが、キリは聞き逃すことなくきちんと捉え、しゃがみこんだまま、雪花からは見えない位置で口角を釣り上げ、声に出さず笑った。
 キリは(フォーゲル)――古株連中などは頑なに斎という呼称にこだわるが――の長である。したがって、一族では一番の頂点に座しそれ以外の者たちは彼にとっては部下という位置づけになるが、同じ一族という区分けの中では仲間という呼び方も出来る。しかし、雪花は『王の獣』とも呼ばれ、キリとだけ明確に主従関係を結んだ、キリのためだけに存在する生き物である。実際、キリの傍に存在している時は少女の姿をしているが、彼女は人という種には分類されない。そんな立場にある雪花が見せる、主たるキリに対しての不敬とも取れる態度は己が身を心配する故なのだと解釈しているキリは――我ながら能天気な解釈だと思わなくも無いが――、雪花の態度も微笑ましく思え、書類を拾い上げ立ち上がった後は、緩む表情を隠す為に顔を窓のほうへと向けた。
 丁度キリたちがいる部屋は建物の2階に位置し、眼下に見える広場の一角には今まさに話題に上っていた世威と、彼の面倒をみることになったタオベのメンバーである久希と常葉の三人が居た。世威と久希が棍の訓練をしているようである。しばらくその様子を見つめていたキリは、少しは様になってきたじゃないかと独りごちる。
 自分たちの身長ほどの長さの木製の棍を構えては相手に打ちつけ、打ち付けられては払い、という動作を繰り返すうちに、世威の持つ棍が久希の棍に勢いよく弾かれ、世威がニ三歩後ずさりする。その様子をみた常葉がすかさず笛を吹きならし、一本終了となる。世威が弾かれた棍を握っていた両手を見遣り、久希が何かしら声をかける。それに数回頷き、もう一度世威が構えを取る。
「……飽きないの、あれ」
 いつの間にかキリの隣に並び立ち、同じように窓の外の様子を見ていた雪花が、呟く。言われてみれば、似たような光景を今日以外にも何度か見ている。
「飽きないんだろうねぇ」
 雪花をちらりと見てキリは苦笑いをする。元々人間とは違う身体能力を持つこの小柄な少女にはああいう鍛錬など必要ではない。彼女からしてみれば、酷くもどかしい作業にもみえるのだろう。そんなキリの苦笑いに何かを読み取ったのか、雪花が肩を竦めた。
「オレたちもまざろうか」
「は?」
「たまには運動もしないと身体がなまるからな」
「一人で行ってくれば」
「まぁまぁ、そう言わずに」
 渋る雪花の手を、有無を言わさず引っ張ってキリは窓辺から離れた。


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