act01-10

 約束どおり帰宅した兄と、今ではすっかり気安い仲となった兄の部下の姿に那都は素直に喜び、はしゃいだ。食卓には料理長を初めとした料理人たちの才能が遺憾なく発揮された料理たちが並び(もちろん、本日の主役である那都のリクエスト通り、フルーツがこれでもかと盛られたタルトも並べられている)、その料理から立ち上る湯気やスパイスの香りに悠氷は己の空腹を嫌でも自覚する。早く早くと急かし、腕を引っ張る妹に強引に着席させられ苦笑しつつも、悠氷は素直にしたがって椅子に腰を落ち着けた。向かいの席に那都が座り那都の隣に刀野が座る。三人が着席したのを見計らって、料理長が暖かなスープを運んできて食事が始まった。
 悠氷がフィーアトという職に就き、この家を統治局に与えられてからの付き合いとなる料理人や料理長、家政婦たちとは初めこそ戸惑いもあり(いかに学舎で優秀な成績を修めようと、悠氷はごく一般的な家庭に育った子供であったし、誰かにかしずかれる或いは世話を焼かれるという状況に慣れていなかったためだ)、色々揉め事もあったものだが、今では使用するものされるものというよりはすっかり家族のような様相である。最も、彼らは悠氷や那都と食事の席を共にすること等様々な場面で自分たちのような身分のものにはおこがましいからと遠慮する仕草を見せ、那都に拗ねられ悠氷にはため息をこぼさせたが。しかし、無理強いをするのは本意ではないし、近頃ではいっそ割り切ろうと悠氷は決めていた。自分は自分なりに彼らを大事にすればよい、と。彼らは学舎に入舎したときからそういう教育を受けてきたのだと思うと悲しい気もしたが――彼らのように高レベルの者の家で使用人として働く者たちの殆どはレベル1か2の者である――。しかし、他のセントラルの者たちがするような酷い扱い――虐待に近いものから、嫌がらせのようなもの――だけは決してすまいと、悠氷は那都にもよく言い含めていた。
 悠氷が僅かな間、気を逸らしてる内に那都と刀野の会話は随分と進んでしまいもはや悠氷には何の話題なのかさっぱり分からなくなってしまっていた。
「それでね、その授業の先生が」
 那都が食事もそこそこに、小柄な体を大きく使って身振り手振りを交えて刀野に状況を説明している。どうやら学舎での出来事を話しているらしい。刀野が一々笑顔で頷きながら、話の先を促している。その明るく軽やかな話し声を聞きながら、悠氷は黙々と食事を続けた。那都の話がひと段落ついたところを見計らって、これまた料理長が見事な手さばきでタルトを切り分けていく。那都の分だけ他よりも少し大きめに。刀野は断面までも色とりどりのフルーツに飾られたタルトをまじまじと見つめ、那都は早速フォークを突き刺している。悠氷はそれぞれ違う反応を見せた二人の様子に顔をほころばせてから、いただきますとフォークを手に取った。

「兄さま」
 食後のデザートまできっちり頂いて豪勢な食事を満喫した後、刀野はこれからもう一仕事すると言って統治局へと戻り、那都と悠氷は居間へと移動した。今頃は、料理長たちが、自分たちも食事を楽しんでいる頃だろうか。
「どうした、那都?」
 悠氷は座っていたソファの真ん中から端へ移動し、妹が座るためのスペースを空けてやる。迷うことなく隣に腰掛けた那都は、にこにこと笑いながら悠氷の顔を見上げた。
「プレゼント、ありがとう」
「どういたしまして」
 目を細め、笑みを滲ませて悠氷が那都に答える。彼女の手のひらには贈られたばかりのガラス細工が乗せられていた。それは、淡い青色で可愛らしい小鳥の形をしている。しばらくその小鳥を、眺めたり掌に載せたりしていた那都が、ソファの前に据えつけられているテーブルの上にそっと小鳥を置く。
 今度は何かと視線を投げかける悠氷には気付かず、那都は自分が着ているワンピース状の服のポケットから蒼い石を取り出した。小鳥よりも深く、澄んだ蒼の色。その石を見て、悠氷は目を瞬かせた。浮かんだ表情は驚きだ。
「この石」
 那都が、広げた掌の上に石を乗せおずおずと悠氷のほうへと差し出す。
「兄さま、見たことある?」
 悠氷は、那都の掌からその石をつまみ上げた。目の高さにまで手を持ち上げ、間近で石を観察する。那都はそんな兄の様子をじっと見上げ、兄が言葉を発するのを大人しく待っていた。
「これは……」
 ぽつりと悠氷が独り言のように言葉を洩らす。そう、この色、この大きさ、この石を悠氷は見たことがある。気が済むまで石を眺めた悠氷は、それをまたそっと那都の掌の上に乗せてやる。
「私の部屋にある机の、引き出しの中に入っていたの……要らないものなら捨てようと思ったんだけど……」
 返された石をみて俯きながらおどおどといい訳めいたことを言い募る那都の頭に、ぽんと悠氷は右手を乗せる。癖のあるやわらかな茶髪が悠氷の手の下でふわりと揺れる。
「この石、持ってるのは一つだけ?」
「え?」
 兄の問う、質問の意味を取り損ねて那都が俯けていた顔を上げる。まっすぐに此方を向く視線が戸惑いを伝えてくる。
「……私が知ってる限りは、一個しかない、と思う」
 その言葉に、悠氷はそっかと頷いたきりしばらく思案するようにソファに深く腰掛け黙ったままでいた。隣に座る那都は、そわそわと落ち着かない気持ちであったが自分からふった話題でもあったので、自分だけ部屋に戻るわけにはいかない、とその場に留まっていた。那都にとっては長く感じられた沈黙を、悠氷は不意に身じろぎすることで破る。
「それはね、きっと那都にとって大事なものだ」
 悠氷の言葉に、那都は首をかしげる。見たことも無い石を大事なものだと称されることに戸惑いを覚えたが、悠氷はそんな那都の様子に構う様子は無い。開かれた掌に乗せられたままの石を包み込むように那都の手を握らせる。
「大切な人と繋がってる」
「……え?」
 それきり、悠氷は口を閉ざした。
 那都は困惑げな表情を浮かべ兄の顔を凝視するが、悠氷は淡く笑うだけだ。ため息をつき、握らされた石を再びポケットに突っ込んだ那都は、口を尖らせ不満を訴えたが悠氷は先ほどと同じく那都の頭をなでただけで、ソファから腰を浮かせる。つられて顔を上げた那都の耳に、10時を告げる時計の音がカチリと聞こえた。
「そろそろ寝たほうがいいな」
 明日も学校だろう、遅刻するといけないからな、と穏やかに告げる兄に、素直に一日の終わりの挨拶をして那都は自室へと足を向けた。

 部屋に戻った那都は、窓際に置いてある自分の学習机の椅子に腰掛ける。
 那都は、自分の両親のことは殆ど覚えていない。物心付いたときにはすでに兄と二人だったし、共和国には両親が居なくても暮らしていくことが出来るシステムが存在していた。両親とレベルの違う能力を持った子供は学舎に入ると共に居住区も分かれてしまい、場合によってはそれ以後はずっと会うことが叶わないこともある。親のレベルがどんなに高くとも、子供がレベルゼロと判定されればその子供はその場でゼロ区域送りだ。その場合も、二度と会うことはできない。そんな事情もあって、共和国では親と子の――もっと言うなら血縁の――繋がりは然程重要視されていなかった。ゆえに、生活を保障するシステムが構築された。
 最も、年の離れた兄は那都よりもよほど両親と暮らした時間が長いのだし、愛情も思い出もあるだろうから、時々那都は兄に両親のことを聞きたがったが、悠氷は殆ど憶えていないという那都に気を使ったのか、あまり両親の話をしたことがなかった。
 だから、悠氷がこの石を見て僅かに目を見開いて驚きの表情を見せた後、再び那都にそっとそれを握らせ大事にしろ、大切な人とつながっているからと言った時にはびっくりしたのだ。那都にとって大事な人とは目の前にいる兄――悠氷だ――以外には思いつかない。敢えて言うなら、刀野や家に仕える使用人やら……普段は思い出すこともない両親、ぐらいだったから。
 那都は、手にもった石を眼の高さまで持ち上げる。石は光を弾いていつもより青みが増しているように見える。
(二つでひとつの)
 耳に、誰かの声が聴こえた気がした。
 あるいは、その声は自分のものだったかもしれない。
 ぎゅと、石を握り締め頭を振る。耳に一瞬よみがえった声を振り払うように。それから、机の引き出しをちょっと乱暴に引き、その中にぽいと石を投げ入れる。そのまま目もくれずに開いたときと同様に乱暴に引き出しをしめる。バン、という音が思いのほか大きく響き、那都は首をすくめたが、もやもやとした気分は晴れなかった。


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