act01-09

 那都を家に送り届けた足で、そのまま刀野は統治局へと出向いた。中央局は地理的にも共和国の真ん中にあり、司法機関、行政機関、立法機関などの国を動かすためのシステムが一堂に会する場所である。その中央局の真ん中にたつ一際高い塔を統治局と呼ぶ。統治局には政治を司る議会があり、その議会を動かす元老院がある。議会と元老院を繋ぐ立場の者をエーアストと呼んだ。元老院は共和国の核と言われるが、余程の事がなければ政治に介入してくることはなかったため(しかし、議会は常に元老院を意識して彼らの意に沿わぬ決定は下さないよう配慮していた)、議会よりも地位が上にあたるエーアストが実質的な統治局の最高責任者となる。
その下にはツヴァイトとドリットが同列で並び、それぞれ司法と立法とまとめていた。ツヴァイトの下にはフィーアトが在り番人(ヴェルター)を統括していた。番人とは、街の警備などを主に担当する集団のことである。
 那都の兄はフィーアトと呼ばれる地位についており、統治局の中では4番目の要職となる。もともと、統治局に入るのは難しいとされ、毎年大勢のものが受験するも結局は中央区の様々な機関に配属されるのが常だったが、彼は18歳という若さで、学舎を卒業すると共にフィーアトに就任した。それは前代未聞の出来事であった。自分も相当な努力をして統治局にやっと配属されたことを考えると、当時の彼の努力はいかほどだったんだろうかと、刀野は思いをはせる。
 刀野はその彼の補佐官を命じられている。刀野よりも4つ年下の彼とは共に働き始めてすでに5年が経つ。
「失礼します」
 統治局の中はいつも静かだ。廊下でもあまり人とすれ違うことは無く、ましてそれぞれの役職(エーアストやフィーアトなど)に付いている者たちは単独で仕事をすることが多かったので執務室でも3人以上の人物が集まることは少ない。この日も、開いたドアの向こうにはフィーアト(つまり彼女の上司)が一人で机に向かっていた。
 開いたドアに気付いて、視線を手元の書類に落としていた青年が顔を上げる。青年の髪は、那都と同じく緩い癖毛で彼の動きと共にふわりとゆれた。髪も瞳も妹と同じ薄い茶色の青年が、ドア付近で立ち止まったままそれ以上室内に踏み込んでは来ない刀野の姿を捉えて僅かに微笑む。
「お迎えご苦労様」
「いいえ、大したことではありませんから」
 刀野の言葉に、青年は小さく肩を竦めて書類を机に置く。
「那都は、どうだった?」
「そうですね……つつがなく一日を終えられたようです。教師の話はいつもつまらないとおっしゃられて」
 刀野の返答に青年は瞳を細める。
「いつも、ね」
 刀野はその言葉には返事をせず、別の話題に切り替える。
「本日は何時ごろに?」
「この書類を片付ければ終わりだ。……1時間後」
「わかりました。そのように連絡しておきます」
「連絡?」
「料理長に。良いタイミングで料理を用意したいのでご帰宅の時間を連絡するように、と」
「なるほど」
 笑いながら再び書類に手を伸ばした青年を、しばらく眺めていた刀野はしばらくの逡巡の後、口を開く。
悠氷(ゆうひ)
「なに」
「……いえ、料理長に連絡をしに行ってきます」
「よろしく」
 刀野は踵を返し、部屋を出る。廊下に出てから、ため息をひとつ零す。無性に、何かを言いたかったのだが、結局刀野が言葉にしたのは、言いたいこととはまったく違うものだった。視線を前に向けると廊下の窓越しに夕日に滲む景色が見えた。統治局の塔は高いので、ちょうど見下ろせば那都たちが住まう中央の住宅の屋根が夕焼けの色に染まっているのが見て取れる。しばらくその光景を目に焼き付けてから刀野は視線を断ち切って歩き出した。
 刀野の気配がドアの前から立ち去るのを確認して、悠氷は手に持った書類を再びバサリと投げ出す。椅子の背もたれに寄り掛かるとぎし、とスプリングが軋む音がした。瞳を閉じて両手を上にのばし、伸びをする。はぁと息を吐き出すと共に体から力を抜きそのままだらりと姿勢を崩して座る。背後にある窓からは西日が差し込んできていて、机の端が日光を反射していた。
 悠氷は一度目をとじ、深呼吸をしたのち目を開き、もう一度書類を手に取った。背筋をのばし、きちんとした姿勢で椅子に座りなおす。かさりと書類をめくる音だけが、室内に残った。

 きっちり一時間後、再び刀野はフィーアトの執務室を訪れた。もちろん、上司を家に送り届けるためだ。扉を二度ノックした後、中から許可の声が聴こえるのを待つ。どうぞ、という悠氷の声を聞いてから扉を開いた。
「失礼します」
 刀野は視線を少し落とし、軽く会釈をしつつ室内に滑り込む。直立の姿勢に戻ってから、真っ直ぐに悠氷を見た。
「お迎えにあがりました。お仕事のほうは」
「今日の分は終了だ……送られるほど、遠い家でもないんだけど」
 悠氷のいう事は最もであり、刀野も普段であればいかに上司といえど送迎までするほどサービス精神が旺盛なわけではない。だが、
「那都様との約束ですから」
「え?」
「必ず、時間にお兄様をお連れすると」
 刀野の言葉に、一瞬驚きの表情を見せた悠氷だが、すぐににこやかな笑顔になる。
「周到なことで」
「準備には余念無く、といつもおっしゃられるのはフィーアトです」
「物覚えの良い部下で助かるよ」
 笑いながら、悠氷が刀野が待つ扉のほうへ歩み寄ってくる。悠氷の動きに合わせて扉を開き、退出を促しながら刀野も笑った。そのまま悠氷が先にたって歩き、刀野は部屋のオートロックがきちんと作動し施錠されたかを確認してから悠氷の後を追いかけた。悠氷より半歩下がった位置で刀野は悠氷に歩調をあわせる。横に並ばず少し斜め後ろを歩くのが、もう随分前からの刀野の習慣となっていた。悠氷もその点については特に何も言わず、刀野がいつもの位置に追いついてきたのをちらと視線でだけ確認した後、前を向き歩みを止めないままに、声をかける。
「刀野も寄っていけば」
「私、ですか?」
 悠氷の言葉に、きょとんと問い直した後意味を解して刀野が慌てる。
「いえ! 結構です…! 折角のお祝いですし、私は部外者ですし」
「……今さら随分他人行儀だね」
「……えっと、そういうわけでは」
「無理にとは言わないけれど。那都も残念がるだろうなぁ」
 う、と一瞬刀野の歩き方がぎこちなくなる。しばらくの沈黙の後、ではお言葉に甘えてと聴こえてきた声に悠氷は小さく笑った。


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