明けて翌朝、キリと雪花と世威の三人は部屋まで迎えに来た沙季と共に長い廊下を歩いていた。
「碧仁は時間取れそうかな？」
キリが、右斜め前を三人より一歩先に歩く沙季に問いかける。
「若か？ そうだな、多分大丈夫だろう。黙って帰るほうが、後が大変だと思うぞ」
笑いを含んだ沙季の声に、キリも笑う。そのまま碧仁が大抵詰めている執務室に出向き、礼やら小言やらを交わした後、碧仁と沙季に別れを告げ、キリは勝手知ったる場所とばかりに、ずんずんと歩き出す。世威はどこへ行くのかと思いつつ、並んで歩く雪花が特になにも言わないので、問いかけるタイミングをつかめずに居た。
その間もキリの歩みは止まることなく、細い螺旋階段をどんどん上昇していく。
「……なぁ、帰るって言ったよな？」
「うん、そうだよ」
「出口は、コッチじゃないんじゃないの？」
通常、出入り口というものは地面に接していて、間違っても建物の最上階などには無い、はずだ。いくら記憶が抜け落ちているからと言って、それぐらいのことは記憶がなくてもわかる。
「言ったろ、空だって」
振り返って笑ってみせるキリの背後には、一枚の扉。ギィと音を立てて開いた先には、抜けるような青空が広がっていた。屋上にキリたちと共にでた世威は、そのまぶしさに目を細める。
「空？」
そう、と微笑んだままのキリが人差し指と親指で輪のように形作り、そのまま口元へ運ぶ。ピュイっと高い音がしたと同時に、ブゥンという機械音が指笛に呼応した。
「？」
訳が分からないままにあたりをキョロキョロと見回す世威の脇を雪花がすり抜けてそのまま屋上の端まで歩いていく。手すりをひらりと飛び越えてその先へ身を躍らせた雪花を、しかしキリは引きとめもしない。
「……ちょっ……！？」
驚いて目を見開き、キリの服の裾を掴んで引っ張った世威は、ちらりと此方に視線をおとしたキリが相変わらず笑っているのに眉をひそめ、キリを睨み上げる。
「まぁ、ちょっと見てな」
世威の視線を然程気にした様子も無く雪花が身を躍らせた空の方向を指差す。
と、そこに白い
「アレは……？」
「見るのは初めて？」
キリの言葉に呆然と世威は頷く。もっとも、この倭都卯の中で飛空挺を所持しているのは鳥である斎の一族と、共和国の中央――統治局――だけであるから、大抵の人間は見たことがないのだが。近寄ってみると、小型とはいえ人が乗れるだけの質量を兼ね備えたその飛空挺は割合と大きかった。「あれは小型飛空挺。メーヴェっていう名前が付いてる」
「……家？」
「いや、単なる移動の道具。家は……もっと上にある」
キリが光を弾き返す白い機体に右手を触れさせる。
「空を、飛ぶことなんて出来るんだ……」
目の前に現れた機体がよほど珍しいのか、視線をぴたりとそちらに向けたまま世威が半ば上の空で呟く。
「動力には、湮と暁で共同開発した石を使ってるんだ。魔法の力を結晶化したもので、共和国が使う燃料とはちょと違って補充がいらない。このくらい小型だと、まぁスピードもそこそこ出るよ。本当は二人乗りなんだけど、世威は小柄だから大丈夫だと思う」
小柄、という言葉にぴくりと世威が肩を揺らす。世威は改めてキリを見上げる。確かに、キリの頭は自分より軽く見積もっても40�僂�らいは上にある。む、としたまま黙りこんだ世威にキリはにやりと笑って見せて、さぁ行こうかと世威の背中を軽く押した。
「キリ」
「うん？」
「湮とか暁とか……って、何？」
あぁ、そっか。とキリは呟いて世威を見つめる。それから、ごめんと謝る。そうして気まずそうな表情で後頭部の髪をかき回したキリの顔が年の割に子供っぽく見えて世威は少し笑う。ちらりと此方を見遣ったキリが苦笑して世威の頭にぽんと右手をのせた。
「とりあえず帰ろう。ほかの事は、それからだ」
キリの笑顔に促されて、世威は一歩を踏み出す。
乗り込んだ小型飛空挺の室内はキリの言葉どおり、二人乗りとは言え細身の大人であれば三人は優に乗れる空間があり、雪花が既に座る操縦桿などがある座席とその隣の計器類がずらりと並ぶ（恐らくキリが座る）席の間の通路に、キリが小さな格納庫から引っ張り出した簡易的な椅子が据え付けられ即席の補助席が設置された。そこに腰を下ろし、世威は機内を改めて見渡す。外側と同じく白を基調とした内装は、ひやりと冷たい印象を受ける。キリが雪花の隣に着席しながらベルト締めてと世威に向かって言う。世威は慌てて、椅子の脇からのびるベルトを腹部に巻きつけ、心持ち姿勢を正す。キリが、その様をちらりと確認してから、雪花に向かい出してとキリが短く告げると、言葉が終わるのと同時にぐいと後ろに引っ張られるような感覚がして小型飛空挺は空へと向けて浮かび上がった。
世威は暫く空を飛ぶ感覚に慣れるまで緊張した面持ちで椅子に腰掛けていたが、すぐに窓の外の景色に目を奪われた。
（う、わ……）
眼下に広がるのは果ての無い白い雲。太陽は地上で見るよりも近くまぶしい。そして、一面の青。時々、雲の隙間から共和国の街が垣間見える。世威の座る席は、ちょうど小型飛空挺の真ん中だったが機体が小さいため、すこし伸び上がれば窓から外がよく見えた。あちらこちらへと視線を向ける世威の様子を、こっそり振り返ったキリが見て笑う。雪花は視線をぴたりと前に向けたまま黙し、器用に機体を操る。キリは視線を計器のほうへ戻し、方角や色々な数値を確認して時々細かく雪花に指示を出す。その声を聞きながらしばらく外を眺めたり機内を見渡したりしていた世威が、眠気を感じて大きな欠伸をしたとき、前方に、巨大な――街の1つや2つは優に入りそうな――島が見えてきた。
「空に……島？」
眠気など一気に吹き飛ばしたその光景に、世威は呟く。
「島に見えるけど、あれは
島っていう表現もあながち間違ってないかもな、と朗らかに笑うキリは、飛空挺が見えたことで役目を終えたのか、計器から目を離している。飛空挺との距離はあっという間に縮まり、小型飛空挺は静かに格納庫へ滑り込んだ。小型飛空挺から降り立つと、数人の大人の男女が控えており、キリは世威にその場に少し留まるように言い置いて其方のほうへ歩いていく。取り残された形になった世威と雪花は、キリの背中をそろってぼんやりと眺めていた。一分にも満たないうちに、キリが再び二人のもとへ戻り、
「雪花、タオベの連中を呼んできてくれるか？」
「了解」
今度は雪花が二人を置いてその場を離れる。
「タオベ？」
ポツリともれた世威の呟きに、キリが世威の方へ視線を向ける。
「この『家』には約300人が暮らしているんだ。その中でそれぞれ集団を形成してる。家族単位だったり、50人近くの大所帯だったり色々だけどね。タオベはその中の1集団だ…5人だけの家族単位の集団」
「へぇ」
「しばらくそこで生活をしてもらうから。彼らに色々教わると良いよ……本当はオレが面倒を見られればいいんだけど、ちょっと色々あってね」
悪いな、とキリがすまなさそうな表情を見せる。世威は首を横に振って答えた。
