act01-02

 慌しい足音が近づくのがわかる。
 数人の男の怒号。
 逃げ惑うのは少年と少女。握り締めたお互いの小さく暖かな手だけが二人の支えだった。

 しかし、徐々に追い詰められていることは確実で。

 少女は手を引いて、少年を引き止めるとそれまで少年の導くままに走っていたのを、自分が先に立ち少年の手を引く。そうして、たどり着いた先、一つの扉を押し開く。室内に滑り込んだ少女は自らが扉を背にして立ち、少年を見つめる。双方の息は上がり、額からは汗が滲んでいた。少年の短い茶色の髪の毛も、何時もはぴんと跳ねているのに何処となくしおれているように見える。少女の少年より一際薄い茶色の髪からも汗の雫がぽたりと落ちた。緩く癖のある髪を耳に一房かけ、息を整えた少女は、ポケットに手を入れる。
 ごそ、と探して取り出したのは二つの小さな蒼い石。そのうちの1つを少年に手渡す。
「この石はね、二つでひとつなの」
「?」
 少女の言葉に少年がきょとんと瞳を瞬かせる。
「二つでひとつの、この石の、光差すほうに私は居る。必ず居るから――世威(せい)
 少女の目が泣きそうに歪む。そのことが悲しくて少年は少女を慰めようと手を伸ばすが、しかし。冷たく振り払われ、それどころか少年は少女に突き飛ばされた。驚きに目を見開いたまま倒れこんだ先には、何かの装置。背中を思い切りぶつけ、顔をしかめているうちに少女は少年が乗っかった(形になった)装置の端末を素早く操作する。身を起こし何をするのかと問うよりも早く、少女が最後のボタンを押す。
 プシュという空気が抜けるような音と共に、少年の身の回りが薄いガラスの膜で覆われる。少女と少年を隔てるかのごとく。
那都(なつ)?!」
 慌てて膜を破ろうと手で叩くが、ガンという音が響くだけでびくともしない。少年がなんとかそこから逃れようともがく間に、少女は身を翻し部屋の外へ出て行こうとする。
「おいっ!那都!開けろ!!」
 しかし少女は振り向かず、扉が開いてその細い背中が部屋の外へ消えた。そして、外からガチャリと鍵のかかる音。
「――っ、那都!那都!」
 ただ、名前を呼ぶことしか出来ない少年の回りに徐々に霧のようなものが立ち込める。それはひやりと冷たく、もがく体から体温を奪う。声が少しずつかすれてきても、それでも少年は少女の名を呼び続けた。もう一度扉が開くことを期待して。だが、期待も空しく、扉は二度と開かなかったし、少年の膜を叩く手も徐々に力を失いつつあった。空色の瞳が目蓋に隠され、最後にもう一度少女の名前を呟いたところで少年の意識が途切れる。
 意識が途切れる間際に、少女の声が聴こえた気がした。

 忘れないで。でも、探しに来ないで。
 ただ、居るから。ずっと、居るから――


 キリがその場所を見つけたのはほんの偶然だった。ただ、湮から帰りがてら、共和国の様子を伺いつつ久々に街中などを歩いてみようかと思っただけで。よもや久々に降りたスラムで、そんなものを拾うハメになろうとは予想だにしていなかった――彼が拾ったのは、少年である。
 キリが常に傍に置いている彼の獣は、銀の髪を顎の位置で切りそろえ赤い瞳をもつ少女の姿をしている。自分の身長の胸あたりにまでしか届かない小柄な少女は、その外見とは裏腹にかなり強靭で、目も鼻もよく利いた。だから、彼女がその建物(どう見ても廃屋にしか見えない)から、何かの気配を感じると聞いたときも、それをすんなり信じ、あまつさえ確かめてみようという気持ちにすらなった。
 ところどころが崩れ落ちた室内は、薄暗く埃っぽい。少女が気配を感じたという部屋も、扉は強固で開くのは苦労を要したが、よく見ると損傷が激しい。すい、とヘーゼルブラウンの瞳を細めたキリはやっとのことでこじ開けた扉の隙間から中を覗き込む。
 部屋の中には、装置が1つだけあり、よく目を凝らすとその装置の中には、人が納まっていた。キリは、小さく息をのみ一度ゆっくり息を吐いてから傍らの少女に声をかける。
「……雪花……あれは、人かな」
「そう見える」
「……だよねぇ」
 確かに雪花は気配を感じるといったのだから、ソレが人である可能性も十分にあったわけだが、なぜだかキリはそこに居たのが人であったことに驚いた。なぜなら、その人は氷漬けであるように見受けられたからだ。
「氷ってる、な」
「睡眠装置の一種……凍結による仮死状態にして数ヶ月から数年の眠りを強要する」
「あぁ……」
 なるほどね、という呟きはため息に紛れる。あきらかにやっかいな感じ? と一人ごちながら、短い黒髪の後頭部あたりを右手でわしわしとかき回す。眠っているというならば、起こすべきか起こさざるべきかそれが問題だ……と悩んでいると、何もしていないのに装置がピという音を立てた。
「起こすの?」
 その音に反応して雪花がキリを見上げてくる。
「オレじゃない……タイマーが切れたかな」
 装置に設置された液晶を覗くと、残り時間は00と表示されているのみ。
「蓋が開く、キリ」
 雪花の声に反応して、液晶に落としていた視線を上げる。
 カシュと何か(恐らく施錠装置か何か)が外れる音がして、シュウ、とガラスの膜が開いていく。それと同時にガラス内に充満していた霧が室内にもれ出てくる。その空気はぞっとするほど冷たい。そうしてやがて霧が晴れると、装置の中には一人の少年が居た。


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