Act10-04

 瀏斗と甲斐は、真子羅の命で広場に設けられた舞台の近くで朝から警備の任についていた。これから行われる新しい清姫の演説を成功させるために。舞台は整えられ、すでに会場は半分ほど人波で埋まっている。舞台は野外に設けられているため、瀏斗と甲斐の立っている位置からは青空が良く見えた。
 あの時、藍嘩が瀏斗に向けた銃口は、弾丸を発射はしたものの、瞬時に二人の間に飛び込んできた刹那のおかげで弾道が逸れ、瀏斗の肩を打ち抜くにとどまった。今も瀏斗の左腕は怪我のため動かすことは容易ではないが、こうして生きている。
「なぁ、瀏斗」
「なんだ」
「…オレたち…、何だったのかな」
「…」
 空を見上げたままぽつりと洩らした甲斐の声音は何時もの快活さが欠けていた。瞳もどことなく覇気がない。だが、瀏斗にもその気持ちは痛いほどよくわかった。護ろうとしていたもの、正しいと信じていたこと…自分たちは何を護っているつもりだったのだろうか。瀏斗が小さくため息を吐き出すと、わっと広場から歓声があがった。
 式典の始まりを告げる笛の音が鳴り響く。
 瀏斗と甲斐も姿勢を正し壇上、清姫が演説を行うであろう位置を見据える。
 しずしず、と進み出でた清姫の姿は、呆れるほど見知った姿。
「…真子羅…?!」
 目を見張る瀏斗の脇で甲斐が小さく声を上げた。
 二人の驚きをよそに、壇上に毅然とした表情で立った真子羅は、集まった観衆をぐるりと一回り見つめて、そして笑った。王のような表情で。

 興奮冷めやらぬまま、集まった観衆たちがそのままなだれ込むようなお祭り騒ぎに浮かれる声を背中に聞きながら、瀏斗と甲斐は舞台の袖に消えていった真子羅の後を追う。建物に今しも入ろうとした後姿に、追いつくや瀏斗がその細い腕を掴んだ。
「どういうことだ?」
 あろうことか、壇上で自らこそが選ばれた清姫であると宣言した幼馴染の顔を睨みつける。腕を掴まれた真子羅は、一瞬驚きの表情で目を見開いたが、すぐに穏やかに微笑み、掴まれた腕はそのままに、二人を室内へと導いた。
「これこそが、私たちに相応しい決着だと思ったのよ」
 室内に入り、人払いをした後に、穏やかな表情は変えないまま真子羅が呟く。
「だって、私たちは清姫を廃するつもりだったのよ…これで、予定通り」
「違うだろ?!」
 甲斐が激昂する。
「…確かに、藍嘩を廃するつもりだったが…その後には正統な清姫を据えるつもりだっただろう…それに、藍嘩が正統な清姫であると、分かった今は敢えて廃する理由はない」
 珍しく、瀏斗の声が上ずる。
 だが、そんな二人の様子にも真子羅の表情は変わらない。
「今更、どんな顔して藍嘩を頼るというの?…ねぇ、聞いて。瀏斗も、甲斐も」
 微笑みさえ浮かべながら真子羅は二人の手を片方ずつ己の両手で包む。
「一度は決めたのよ。掟に反しようと清姫を廃すると。…私たち、その時から自分たちの足で歩かなくちゃいけなかったんだわ。占に頼るのではなく、自分で選ぶの。二人が、護りたいものは何?」
 真子羅の言葉に、二人が沈黙する。
「私は、清都の皆と、二人の穏やかな暮らしを護りたい。そのために必要なものは…藍嘩の清姫としての力じゃないの」
 瀏斗が、あいている手で真子羅の肩を掴む。
「俺たちは、こんな結末の為にあがいていたわけじゃない」
「…瀏斗、ごめんなさい…」
 真子羅の表情が歪む。
「でも、私はもう後には引かないわ」
「なぜ、お前が全部を抱え込む必要があるんだ」
「抱え込むとか、そういうのじゃない…本当に、私がそうしたいからするの。義務でも血筋のせいでもない、私が選んだのよ」
「真子羅…」
 真子羅がするりと、両手を放す。同時に掴まれた肩も身をよじるようにして取り戻す。もう一度瀏斗が真子羅を追うが、今度はするりとかわされる。
「お願いよ、解って?」
 瀏斗が空を掴んだ手を握り締めて、俯いた。


 目を開くと、見えたのは見知らぬ天井。ふわっとした寝具の感触に、ぱちっと目が覚める。起き上がり見渡しても、見慣れた景色はひとつもない。藍嘩は、そろりと立ち上がり、窓のほうへ歩いていく。窓から見える景色にも、見覚えは無かった。
 (…えっと…)
 ずきりと痛んだこめかみに手を当て、記憶を辿る。
 氷花が来て、なんだか花の香りがして……
「っ!」
 は、と顔を上げる。
(まさか、氷花)
 あの場に来たのは、お祝いのためなどではく
(私を、攫うため?)
 ぐっと両手を組み合わせ力を込める。組んだ手を口元に持っていき窓の外を睨む。どうしよう、と悩む暇はない。
(戻らないと)
 と、部屋の出入り口に向かって歩きだそうとした瞬間、扉が開き、藍嘩は身構える。顔を除かせたのは
「あ、起きてる」
 いつぞや見た、オレンジがかった茶色の髪を持つ少女。
 少女を見た藍嘩は、一歩下がる。きりっと眦を釣り上げ、口元を引き締める。そんな藍嘩の様子を見て、少女−−凛涅は人懐っこく笑った。
「そんなに警戒しなくっても、もう襲ったりしないよ」
「…なんで、私ここにいるの」
 凛涅の笑みにも、藍嘩は表情を険しくしたまま尖った調子で言葉を返す。
「斎王が連れてきたの…後で、起きたら事情を説明に来るって。…えっと、名前は?」
「藍嘩」
「そ。あたしは凛涅。よろしくね?」
 向けられる快活な笑顔に戸惑う。
「黎が斎王に知らせを飛ばしてくれるから…とりあえず、李凪の所にいこう」
 藍嘩は困惑しながらも、導かれるままに凛涅の背を追った。歩く廊下は梁とはだいぶ様相が違い、こちらは荘厳な雰囲気の歴史を感じさせるような調度品などが並ぶ。響く足音も心なしか重い。
(でも、謁見の間があったり、中庭があったり…そういうのはあんまりかわらないんだ)
 妙なところに感心しつつ、通された室内には、長い黒髪の女性が一人。
「李凪」
 凛涅の呼びかけに応じて、李凪と呼ばれた女性が目線で藍嘩を招く。凛涅はそのまま出入口のところに留まる。李凪の目前で藍嘩は歩みを止める。
「はじめまして、だね。藍嘩…湮を代表して挨拶を」
「…湮王?」
「そう呼ぶ連中も居る。李凪だ」
 笑うと、すこし釣りあがったキツイ印象の目じりがすこし下がりやわらかな印象になる。藍嘩もぺこりと会釈を返す。
「氷花から事情は?」
 藍嘩が首を振る。
「聞いてないのかい…」
 李凪が呆れたように息をはく。
「湮が望んだわけじゃなくて?」
「ウチはどっちかって言うと巻き込まれたんだよ、氷花に。突然来て、目が覚めるまで預かれと…事情の説明もなくね。」
 藍嘩は俯き唇をかむ。寄せた眉間に皺がよる。
「まぁ、聞かなくてもおおよその想像は付く…清都では、新しい清姫が立った。真子羅、と言ったかな」
「…え?」
「あんたという存在がありながら。」
 藍嘩が固まる。
 と、窓のほうから声が聴こえた。
「ちょっと、アタシがまるで悪者じゃないの、その言い方」
「おや、居たのかい」
「近くで待機してたのよ。いいわね、あの鳥…便利。…じゃなくて、ウチはしがない何でも屋なのよ、依頼があったら断れるわけないじゃない」
 ばさり、と羽音がして氷花の頭上を白い鳥が横切る。そのまま李凪の肩にふわりととまる。
「誰でも彼でも請負うわけじゃないだろうに」
 に、と李凪が笑う。それには、氷花は肩を竦めただけで。そのままひょいっと軽快な身のこなしで窓枠を乗り越え室内に着地した。それを見て固まったままだった藍嘩が氷花のほうへつかつかと歩み寄る。
「どういうこと?」
「言ったでしょう、依頼があったのよ……真子羅から」
「真子羅さま?」
「今までの仕打ちもあるし、今更アンタに頼る筋も、合わせる顔もないって。アンタに自由をあげるかわりに、清都は真子羅が引き取ってくれるそうよ」
 ぽかんと、藍嘩は氷花を見つめる。
「本当は、慈しまれて愛されて育つだけでよかったのに、随分翻弄されたからね、アンタは。真子羅の決意は固かったし…なにより、あの覚悟を買ったの。アタシは」
 だからね、と氷花は藍嘩の右腕を優しく叩いた。
「本当にどうしたいかをじっくり考えるといいわ」


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