Act10-03

 そりゃあ、そっちのじいさんが説明してくれんじゃねぇの、と刹那が笑う。対する朗は呆然と映し出された文字を見ているが、その目は文字を追ってはいない。
「暁王が斃れたのが、そんなに堪えたか?」
 儀月が、押さえる腕の力を緩めることなく、声をかけるが答えは無い。それでも、暁王の名前が出た一瞬には朗の右腕がぴくりと震えた。
「どういうことなの、朗…誰と、何の連絡を取っていたの」
 真子羅が一心に壁に映し出された文字を見ながら朗に問う。そこに答えを探すかのように、あるいは見つめつづけることで映し出された文字が無かったことになるとでも思っているのか。
 答えない朗や戸惑う真子羅をあっさり無視して、刹那はポケットを探る。引っ張り出したのは…一枚の紙。何の変哲も無い、文書の切れ端。
「バレない自信があったのか?うかつだったな、こんなものを部屋に残しておくなんて…さっさと捨てちまえば良かったのに」
 言いながら、その紙を真子羅に渡す。
 受け取った真子羅は、小さく息をのむ。
「…次なる清姫の名は、藍嘩」
「…それ、前の清姫の書いたもんだろ」
「……そう…姉の字に間違いないわ」
「伝言だけじゃ、真実が歪められるのを心配して書き残したのか、そういう風習なのかは知らねぇけど…それが、占の結果だろ」
「……」
「…それで、なんで藍嘩が追われるハメになるんだ?最後の占で殺せってでたって言ってたのは、誰だった?」
「……っ、朗?!」
 手に持つ紙を握り締め、真子羅が朗の名を呼ぶ。その顔は、青白く強張っている。
「…何度捨てても、燃やしても…幾日かすると必ず元に戻っているのだ」
 これこそが、清姫の力が巻き起こす奇跡とでも言うべきか、とぽつり朗が呟いた。その口元には笑みを浮かべて。
「類まれなる宝石ならば、誰もが手にしたいと思うものだろう?…大国である梁であってもそう思うのだ…我々とて同じこと。」
「我々…」
 朗の台詞を真子羅がなぞる。
「清都を手に入れなくちゃならないってんなら…それは、よそ者ってことだろ」
 淡々と答える刹那の口調は、どこか剣を含み冷たい。
「…私たちは…誰の命を奪おうとしていた、の?」
「決まってる…清姫だ。正統な」
 絶望の色を滲ませたうめき声を上げて真子羅が顔を覆う。刹那が現れたときから膠着状態だった瀏斗と叉牙の争いも、今は中断し、瀏斗は呆然と朗の方を見つめている。が、朗からは一言も望むべく台詞は聞こえてこない。
「俺たちを、謀っていたのか…?朗」
 瀏斗の言葉にも、やはり朗は笑って見せた。
「この…っ」
 しかし、激昂した瀏斗を止めたのは、刹那だった。
「お前に…清都の奴らに、じいさんを責める資格なんざ、ねぇよ…お前は、一度でもその頭で事の是非を問うてみたことはあったか?」
 鋭く睨まれて、瀏斗が押し黙る。
『じゃあ、アンタのコレは、なんのためについてんの?』
 いつかの台詞が耳によみがえる。
「だいたい、自国の王を侮り過ぎたんじゃないか?…未来を読み運命を操るんだろ?滅びの予言がなんだって言うんだよ…お得意のその力を遺憾なく発揮してもらって、そんな予言回避させりゃ良かったじゃねぇか」
 どいつもこいつも、と刹那がぼやく。
「それで、こいつの処分はどうするんだ」
 儀月が誰に問うでもなく、捉えたままの朗の処遇についてぽつり呟く。
「それはもちろん」
 その問いに答えて凍冴が藍嘩に視線を向ける。
「藍嘩が決めるべきだろう」
「わ、私…ですか?」
「他に、適任者が見当たらない」
 うろたえる藍嘩の様に、凍冴が小さく笑う。きょときょとと周りを見渡しても、助け舟を出してくれる人は居らず、僅かな逡巡の後、藍嘩が口を開く。
「…みんなの前で、謝罪してください…誰が何を歪めていたのか。何もかも…それから、」
 藍嘩は、真子羅と瀏斗の方を一度ちらりと見遣る。
「色んなことを…きちんとしましょう。」
「それは、お前が清姫として即位する心積もりがあるということなの、か?」
瀏斗がかすれ声でつぶやく。
「私が望むのは、お姉ちゃんとの、あの穏やかで暖かな暮らしなの…でも、他ならない、この國がそれを邪魔するんだわ…だから、こんな國なんて−−争いの火種にしかならない国なんて、いらないの」
「藍嘩?!」
 真子羅が驚きの声を上げる。
「滅びの予言を背負うというなら、望みどおりにしてあげる…この國は、梁のものになるのよ」
「何を言う?!」
「駄目よ、藍嘩…!清姫となるものが國の滅びを望むなんて!」
「…もう決めたの」
 瀏斗と真子羅が愕然となる。
 刹那が小さくため息をつき、叉牙は瀏斗に向けたままだった武器を収める。
「悪いようにはしないと約束しよう」
 凍冴がにこやかに告げる。
「そうは、させない…やはりお前は此処で死ぬべきだ」
 瀏斗が、迷いなく藍嘩のほうへ走り出でる。右手には剣を携えて。慌てて叉牙が収めた剣を再び召喚させて後を追うが、先んじた瀏斗には追いつけない。
「だめよ、瀏斗っ!」
 真子羅の叫びも瀏斗の足を止めることは出来なかった。
 対する藍嘩は、ポケットから黒い塊を引っ張り出す。真っ直ぐ構えて、安全装置をはずす。−−それは、いつか氷花が持たせた銃だった。
ダン、と重い音がした。


 澄み渡る青空のもと、照りつける日光に目を細め氷花は額のあたりに手を翳す。並び立つ刹那が
「仕事日和だな」
「もったいないくらいね」
 笑いあう。
「くれぐれも丁重にね」
「誰に言ってんだ」
 目指すは、清都の真ん中、一番高い塔。
 藍嘩は、塔の中にある部屋に一人座っていた。あと数刻もすれば真子羅が自分を呼びにくるだろう。そして、即位の儀が行われる−−清姫となるために。儀式が行われるのは代々の王と同じ王の間、と呼ばれる密室ではあるが、その後はお披露目をかねて演説をしなくてはならない。舞台が設えられた広場には既にちらほらと人が集まっているようだと、先ほどまで世話をしてくれていた女官が笑いながら教えてくれた。
 清姫となる。清都の王と…しかし、その先に待つのは国の繁栄でも発展でもない。梁への隷属。
「随分と、硬い顔ね?」
 思考に沈む藍嘩の肩が震える。
「氷花?!」
 振り向く先、部屋の入り口には見知った二つの顔。
「どうやって此処に?!…下には、警備の人もいたでしょう?!」
「あら、誰にモノを言ってるのかしら、ねぇ刹那」
「まったくだな」
 笑う顔は得意げだ。
「新清姫にお祝いをね」
「…え?」
 にこやかに笑う氷花が藍嘩を手招きする。誘われるがままに、藍嘩が数歩近づいてくる。
「どうして、凍冴なんかに国を渡すなんて言ったの?」
 目の間に藍嘩が立つと、少し低い位置から氷花が見上げる格好となる。氷花は、藍嘩の両手をそっと握る。
「私じゃ、無理だと思ったから」
「無理?」
「凍冴さんや、碧仁さんや…氷花みたいに覚悟も信念もなくて…でも、逃げまわるだけじゃ、だめだし…」
 一度、手元に視線を落とす。
「梁に行ってみて、初めてよその国を見たの。清都よりも明るくてびっくりした…結構、何処ででも暮らせるんだなぁって思って…だから、清都の皆だって何処ででも生きていけるのかもしれない。色んな国から狙われてびくびくしながら暮らすより、取り入ってでも平和な暮らしを約束してもらえるんなら、それでもいいのかなって…」
「清都を滅ぼすって啖呵きったんだってね」
「…っ、あれは…うん…そうなんだけど…勢いって言うか…でも、梁に属するんなら、清都という国はもうひとり立ちはできないから」
「責めてるんじゃないわ…そんだけ考えられるんなら、合格ね」
「え?」
「あんたの王としての資質よ」
 きょとんと氷花を見つめる。
「お祝いをあげるわ」
 笑顔の氷花の顔が一瞬、揺らいだ気がした。両手は未だ掴まれたままで、だが、藍嘩は眩暈を感じてきつく目を閉じる。視界が閉ざされると、足元がぐらりと揺らいだ。背中に触れたのは、刹那の手だろうか。いつの間にか、何かの花のような香りが周りを取り巻いている。
「氷花…」
 声も随分とかすれている。
 氷花がなにごとかを呟いたようだったが、藍嘩にはそれを聞き取ることも理解することもままならなかった…そのまま、意識がそこで途切れる。


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