Act09-04

 氷花たちが打合せをしているころ、藍嘩は凍冴に乞われるまま別室で待機していたのだが、
 コツリ
 窓を叩くような音を耳が捉え、首をかしげる。
 コツリ、コツリ
 聴こえた音が空耳ではないと確信した藍嘩は、きょろりと室内を見渡した後に、窓辺に寄る。そこから見えたのは、はためくバンダナの端。碧仁の元を訪れたときに見たものと同じもの。藍嘩は急ぎ窓を開き、顔を覗かせる。
「気付いてもらえてよかった」
 窓を開けた先に居たのは沙季だった。覗く笑顔は、茶を振舞われたときとたがわぬもので。
「…碧仁さんの、ところの…」
「そう。一人?」
「はい…あの、碧仁さんだったら、この上の階のどこかの部屋にいると思いますけれど。」
 碧仁の側近であるらしい青年が、藍嘩の元を訪れる理由がわからず、屋敷の中で迷ったのだろうかと碧仁がいるであろう箇所を述べるが、青年は首を振る。
「若の居場所なら把握してる。…そうじゃなくて、君に」
「私?」
「…若からの、伝言だ。」
 ますます解らない。藍嘩には碧仁からの伝言を預かるような理由が思い当たらず、目を瞬かせる。
「余計な世話になるかもしれないけどな。」
「なんですか?」
「今、斎王が来てるだろ」
「はい、凍冴さんたちに用事があるみたいで」
「それ、何の用か聞いたか?」
「いいえ…多分、私には解らない分野の話だと思います」
 斎王、梁王、そして暁の皇子と要人ばかりが集まる場所に、自分に解るような世間話が繰り広げられるはずもないと、藍嘩は首を振る。
「…それが、君のお姉さんの話だとしたら?」
「…え…?」
「血の染みた、衣服が届けられた…君のお姉さんが来ていた衣服だ。」
 藍嘩は、両手で口元を塞ぎ、瞠目した。悲鳴がもれたような気がしたが、実際には声にならない空気の塊が押し出されただけだった。
「お姉さんの身の無事と引き換えに、君に清都に戻れと要求してきたそうだよ…最も、斎王も君の仲間も、君を行かせる気はないみたいだけど」
「そんな、お姉ちゃんが…っ」
「でも、救出するつもりだな…君のところから一人、斎王のところから一人、救出に向かうんで決着が付いたみたいだ」
「……そんな」
「君の周りに居る人たちは、存外過保護だなぁ」
 沙季は、カラリと笑う。そのあと、ふと真面目な顔になる。
「でも、それじゃ藍嘩の為にならないんじゃないかって、若の意見。」
 藍嘩は両手を口元からそろり、と放す。沙季が左手で自分の耳たぶを引っ張った。
「もちろん、護りたいって思ってる彼らの気持ちもわかるけどね…君は、こういう事にはなれていないみたいだし」
「…でも、私も当事者です。」
「うん。だから、こうしてこっそりお邪魔したってわけ。」
 うちの若もね、俺たちがナイショで色々世話を焼こうとするのいやがるからさ、と笑う顔に、強張った藍嘩の肩から力が抜ける。そのとき、沙季の背後から、長い茶色の巻き毛を揺らして少女が現れた。
「隊長、そろそろ若たち終わりそうだよ」
「お、ヤベ。…藍嘩、」
「はい」
「君は、自分の望むものに手を伸ばしてもいいんだ。流されるままでなくても。」
「…はい。」
「タイチョ、本当にまずいでありますよ」
「わかってたって!…じゃあな」
 ひらりと身を翻して二人は駆け出す。藍嘩の目に、沙季のバンダナの色がいつまでも鮮やかに焼きついた。

 その後、藍嘩の部屋を訪れるものはなく、凍冴も氷花も藍嘩には本当になにも知らせるつもりがないのだと、藍嘩はベッドに腰掛け窓の外、夜の闇に包まれた木々の葉が揺れる様を見ながら悟った。ヒザを抱え、一度きつく目を閉じる。このまま、ここで朝まで居ればその間にも凍冴たちは動くのだろう。そうすれば自分の身を危険に晒すこともなく姉は帰ってくるのかもしれない。
(でも、)
 こうしてこのまま此処で蹲っているだけでいいなどという状況がいつまでも続くわけも無い。閉じた目を開いて、立ち上がる。一歩、踏み出す。震えの所為で真っ直ぐ歩こうとしても上手く行かず、歯を食いしばる。二歩、三歩。部屋の扉にたどり着く頃には震えも消えた。そのまま、出来るだけ物音を立てずに廊下に滑り出る。きょろり、とあたりを見渡して気配をうかがうが、隣接するいずれの部屋からも物音はしない。まだ、真夜中には少し早い時間だが、会議がお開きになった後は皆部屋で思い思いに過ごしているんだろうか。藍嘩は目で扉の数を数える。
(隣は、空き部屋だって言ってた。凍冴さんは上の階、儀月さんは…三つとなり。)
 部屋を出るとき以上に慎重に、藍嘩は廊下を進む。
 たどり着いた扉の向こうで、叉牙が驚きに固まったまま口をぱくぱくと動かした。


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