Act09-03

「何を護りたいのか」と声を荒げた真子羅の様子が眼裏をちらつく。それが、奇しくも斎王の言葉と同じ意味合いを込めたものであったことが劉斗の眉間の皺を深くさせていた。
(自分の心は揺るがない)
 甲斐と交わした会話の通り。自分の中での優先順位はもう決まっている。それがたとえ真子羅とは違っていても。吹き抜ける風にはためく襟元を押さえ、劉斗は眼前の仕掛を見つめる。
 斎の民に仕事を依頼する際、接触する手だては様々ある。今、劉斗の目の前で風に揺れる、木の枝葉で組まれた篭のようにもタペストリーのようにも見える物もそのひとつ。見ようによってはただの屑のようでもあるが、このような仕掛けを設置すれば、斎は必ず動いた。いつ、どこへ設置されるともわからないこのような種々の仕掛けを彼らがどのように察知し発見しているのかは、知られていなかったが。
 真子羅を強制的に退出させた後、議会は次期清姫をおびき寄せることで決着を見たが、次はいかなる手段でおびき寄せるかが課題となった。様々意見が分かれたが、梁に侵入することは難しく、易々と連絡を付ける手筈が取れるわけもないことが予想されるため、斎の民を頼る案が多数を占めた。劉斗には、斎王が次期清姫の近くにいるであろうことは想像できたので反対する理由もなく、こうして斎の民と接触する役を担うこととなった。
(これで、斎王が接触してくればもうけ物なんだがな)
 そのまま暫くそこで待機していた瀏斗だったが、すぐに斎の民と接触できるという保証も確証も無いため、一端清都へ戻るべく踵を返す。と、背後で空気が動いた。
「珍しいお客ね」
 予想と違わぬ人物の登場に、劉斗の顔がわずかにゆるむ。その様子に気づいた氷花が不思議そうな表情をするが、あえて答えず劉斗は上着のポケットから清都から持ってきた物を取り出すと氷花へと放った。
 突如放られたものに、反射的に手を伸ばし受け取った後、氷花は自分の手の中にあるものに視線を落とす。それは、赤黒く変色した箇所がある、衣服だった。
「今さら、依頼?」
「この期に及んでお前らの力など、借りるものか…それを、あの娘に渡せ」
「あの娘?」
「居るんだろう?忌むべき清姫が」
 あぁ、と思考が至ったのか氷花が声をもらす。
「残念だけど、今はウチの預かりじゃないわ」
「だが、居場所は把握しているんだろう」
「まぁ、そうね」
「ならば、渡せ」
「…それが、モノを頼む態度?」
「それこそ、今さらだな」
 それもそうね、と氷花はつぶやく。そうして、持ったままの衣服を広げて状態を検分する。
「稚拙な罠ね」
 劉斗の視線が厳しくなる。
「のこのこ、あの子を帰らせるわけないでしょ?」
「お前の所で預かってるわけじゃないんだろう?だったら、わからんさ」
「わかるわ。行かせない」
「それは…あの娘が決めることだ。あの娘の姉が、生きようと死のうと我々には関りのないことだからな」
「アンタのとこの民よ?」
「オレは生憎王ではないから、な」
「アタシが、あの子にこれを渡さないっていう可能性は考えてみた?」
「三日待つ。それまでに何の動きも無ければ、答えは否と見なして、こちらも相応の行動に出る」
 ギリと音がしそうなほど唇を噛みしめ、氷花は押し黙る。対する劉斗は無表情で感情をうかがうことはできない。ただ、互いの視線だけはまっすぐに相手を捕らえていた。だが、そのにらみ合いも僅かの間のみで、それ以後は互いに言葉を交わすこともなく、互いが互いの還るべき場所へと戻っていった。


 凍冴たちの仮住まいを氷花が刹那とキリを伴って訪れたのは、夜の帳が下りようかという頃だった。迎え入れた叉牙は、氷花を筆頭にぞろぞろと室内に入ってくる面々に続いて碧仁までが姿を現した時には、呆れとも驚きとも言いがたい吐息を吐き出した。
 面会を求めてきたのは氷花の方からで、詳しい内容は言われないまま、ただ藍嘩にだけは聞かせたくないという条件のみが提示されていた。
「それで?何用かな?…心配しなくても、藍嘩には大事な会議があるからこの部屋には近づかないように言ってある。盗み聞きをするような子でもないしね」
 凍冴の言葉に、軽く頷くと、氷花は背後に控える刹那を仰ぎ見た。氷花の視線を受け、刹那は、荷物の中から件の血染めの衣服を取り出す。
「今日、清都の男から預かったわ」
「…血まみれだ、な」
 叉牙が見たままの感想を洩らす。
「それを、藍嘩に渡すようにって言付かった」
「これを?」
 凍冴が受け取る様子を見せないので、儀月が代わりに進み出て刹那から衣服を受け取る。女性物のその衣装は、血に染まり、ところどころが破れ、
「…藍嘩の、衣装に似ているな」
 まじまじと受け取った物を検分しながら儀月が呟く。
「多分、藍嘩に見せたら卒倒するでしょうね」
「どういことだ?」
「恐らく、あの子のお姉さんの着てたものよ」
 叉牙が、小さく息を呑む。
「血の量から見て、致命傷ではないにしろ、軽い怪我でもない。…それを見せて、姉の身を案じるなら清都に来いってこと…だと思うわ」
「随分と、解りやすい罠だな」
 凍冴が小さく笑う。
「まぁね、でもあの子はお姉さん思いだから、止めても聞かないでしょうね」
「それで、聞かせたくなかったわけだ」
「そうよ」
「確かに、此方としても今、帰ってもらっては困るからな…どうする?」
「条件として与えられた期間は三日。それまでに、行って取り戻す」
「なるほど。中々難題だな」
 言葉ほど深刻そうな表情をしていない凍冴が顎に手をやりながら視線を儀月に向ける。それを受けた儀月が、こともなげに命じた。
「…叉牙、お前ちょっと行ってこい。」
 命じられた叉牙はぎょっと凍冴を振り向く。
「はぁ?!こっから清都に行くだけで三日かかるのに?!どうしろってんだよ!」
「白牙に召喚装置を通じて小型飛空挺(フライヤー)を召喚してもらえ…ぎりぎり間に合う」
「…オレに、寝ずに飛べっていうのかよ?」
 叉牙はふて腐れた表情を浮かべるが、凍冴も儀月も取り合わない。それどころか、叉牙を無視し、白牙と音声装置(マイク)を通じてなにやら打合せを始める。
 そこで、それまで会話とおとなしく聞いていただけのキリが、初めて口を開く。
「俺も行くよ」
「は?」
 叉牙がその顔をまじまじと見る。何を言い出したのかと、声に出すのはかろうじて踏みとどまったようだったが、表情にはありありと現れていた。ムっと睨み返すキリを笑顔で宥め、氷花は叉牙に告げる。
「この子、特殊な能力を持ってるの。目に見える範囲なら瞬時に跳ぶ事ができるのよ…清都に行くのに、どのくらいでいける?キリ」
「正確じゃないけど…俺だけなら半日。そっちのにーちゃん連れて行くなら…もうちょっとかかるかもね」
「そんなに早く…いけるのか?」
 半信半疑な視線を投げかける叉牙に、キリは今度こそ、不機嫌な表情を向ける。
「別に、俺は一人で行ってもいいんだ」
「いや、協力しあえるものなら、力を借りたい…お願いできるか」
 間に儀月が割り込み、キリと氷花に向かい頭を下げる。
「儀月!」
 叉牙が儀月の隊服を掴み頭を上げさせようとするが、逆に睨まれる。
「叉牙、お前もそんな失礼な態度をとるんじゃない。梁國騎士団の恥を晒す気持か?」
 その言葉にグッと言葉に詰まった叉牙は、渋々キリに同行を願い出る。話の決が着いたところで、凍冴は初めて碧仁へと視線を向けた。凍冴の視線が碧仁へと動いたのに気づいた儀月が氷花へと水を向ける。
「…そちらは、ご紹介いただけないのかな、斎王?」
「紹介するほどの子じゃないわ。」
「初めてお見受けするようだが」
「…。」
 笑顔を張りつけたまま、答える気が無いのか口を開かない氷花の脇から碧仁が進み出る。
「前暁王の忘れ形見だ。」
「…っ、こら!」
 留める間もない碧仁の行動に氷花がぎょっと目を見開く。
「今日はこちらに御忠告に。」
 氷花の静止を無視して碧仁が凍冴にまっすぐ向き合う。
「忠告とは?」
「明日は、一日此処に居られるよう。この建物の外で何があろうとも、責任は取れないので」
「…理由は」
「聞かずともご存じでは?」
「邪魔立てをするな、と」
「邪魔なら切り捨てるのみです…助力なら、なおさら。我々には、其方の如何なる介入も不要です」
「斎の力添えは頼むのに?」
「あなた方が、氷花のように割り切って動いてもらえるという保障が無い以上は」
 揺るぎない碧仁の視線に、凍冴は口角を釣り上げ、目を細める。
「承知した。」


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