Act09-01

 男は一人で部屋に居た。手に持つ機械のいくつかのボタンを押すした後、機械の液晶画面が僅かに光を放ち、伝言を受信したことを知らせる。文面にちらりと視線を走らせると、すばやくボタンを操作し機械の電源を落とす。黒く、掌におさまるほど小さいその機械を室内に備え付けられた机の引き出しに仕舞うと同時に、扉がノックされ、薄く開かれる。隙間から顔を覗かせたのは瀏斗だった。静かな空気をまとったまま室内の男−−朗を呼ぶ。
「朗、甲斐の意識が戻った。」
「瀏斗。そうか、それは良かった」
 にこりと人当たりの良い微笑を口元に乗せ、朗は笑う。促す瀏斗に導かれるまま、部屋を出、ともに連れ立って甲斐が休んでいる部屋へと渡る。
「かれこれ…5日ほどかの、寝込んでいたのは」
「そうなるな…想ったよりも傷が深かったようだ」
「まぁ、何にせよ命があってなにより」
 柔らかな朗の言葉に、ふと瀏斗は口をつぐむ。
「だが…状況は何も変わっていない」
「失敗の事実は消せんが、二人の帰還がなによりだろう。真子羅が悲しむからの」
 言葉とともに、1つ瀏斗の背中を優しく叩き、朗は行き着いた部屋へと静かに滑り込む。しばしの間、室内に消えた朗の背中を見送り瀏斗も続いて室内へと入る。けが人を気遣ってか幾分照明の落ちた室内には消毒に使う薬草の匂いが漂い、ベッドに横たわる甲斐の傍らには真子羅が座していた。
「気分はどうだ?」
 甲斐の顔を覗きこみながら朗が尋ねる。
「…なんとも。…朗、面目ない」
 怪我のことよりもまず謝罪を口にした甲斐に、傍らに控える真子羅が顔をしかめる。
「甲斐、そんなこと気にしなくていいの」
「そうじゃ、今は休め」
 労わりの言葉に、甲斐が目を瞠る。
「……てっきり、怒られるかと想ったぜ」
「それは怪我が治ってからだな。此処で説教を始めると真子羅に睨まれるでな」
 おどけて笑う朗を、真子羅が軽くいさめる。
 からりと笑い、さて、会議に行かねばならんの、と呟きを落として部屋から立ち去る朗の後を瀏斗が追う。さらにその後を、甲斐に後ほどまた訪問する旨を囁いて真子羅が追う。
 静寂に包まれた薄暗い部屋で一人、甲斐はベッドの上に横たわったまま片手で両の目元を覆う。吐息のように漏れ落ちた悔恨の言葉は、ぽとりと誰も居ない部屋の床に落ちた。

 実質現在の清都の政治を動かしている議会、その中枢を担う朗と真子羅、そして瀏斗が一同に会した場でもたらされた報告は、彼らの間からつかの間言葉を奪いとった。
「清姫が、梁に」
「そのように、占では」
 報告のために会議の場に呼ばれた、清都でも有能な占者と朗の会話の間に真子羅が割ってはいる。
「事実を確認したのですか」
「いいえ…しかし、間違いはないものと」
「本当に?」
「真子羅さまが、占をお疑いに?」
 すいと、合わされた視線に驚愕の色を見て取って真子羅が口篭る。
「そうでは…そうではないのです。ただ、確実な情報かと」
「我々の占に誤りなど」
「そうだの」
 朗がすいと右手を掲げ、占者の言葉を遮る。
「誤りなどあるわけがないな」
 穏やかな視線を向け、頷き1つで占者を退出させた朗は、円卓に座す一同の顔を見渡す。最後に、自分のすぐ左隣に座る真子羅へ一瞬視線を止め、それから視線を正面へ向ける。
「事実の確認は、まだにしろ占は清姫が梁に居ると告げておるようだの」
「…朗、議会以外の者がなぜ清姫のことについて占を行っているのですか。」
 真子羅が右隣へ視線を向けて、朗へ問いかける。
「仕方なかろう、ここに居る人数だけではとても足りないのだ。…議会のメンバーはわしも含めて年寄りが多い…安心せい、一部の占者以外は知らん」
「しかし、」
「今は、それよりも清姫を如何にして取り戻すか、だ」
 その後の議会は紛糾した。取り戻しに兵を派遣すべきだの、何らかの手段を講じておびき寄せるだの、様々な意見が出、議論が交わされた。
「まだ、清姫は公式な場所での発表を行っていない」
 議会の一人がしわがれた声で告げる。
「この際、真子羅を正式な王として国外に発表するのはどうだ」
 ぴたり、とその場の空気が静まる。
「しかし、他国ではすっかり逃げ出した少女が清姫であると定着しつつある」
「公式な表明の前に、たかが一人の少女など」
「それでは、掟はどうなる!」
 再び場がざわめく。
 そのざわめきの中にあって、自らの名を挙げられたときに一度だけ肩を揺らした真子羅は、それ以後は一切口を開かず、じっと机上で手を組み合わせている。議論を聞いているのか、何か思うところがあるのか。その反対側の席では瀏斗がそんな真子羅の様子を静かに観察していた。こちらも同じくあまり言葉を発しない。そもそも、瀏斗は議会の正式メンバーではなく、暗殺の密命を受けた由縁でこの場に召集されたに過ぎず、発言権など無いに等しい。
 清姫、と言われると瀏斗が思い出すのはやはり真子羅の姉でる沙里阿のことだった。彼はかの人しか清姫という存在にあったことはなく、藍嘩と呼ばれる少女は彼にとっては未だ清姫たりえず、害する対象でしかない。清姫という存在に対する感情は、聖母や女神にたいするソレに近いものと考えていたが、こうして議会に同席するようになると、やはり彼女は聖母でも女神でもなく、一国の王たる清姫でしかなかったのだと改めて感じる。政治は、優しいだけでも占の能力が高いだけでもこなせるものではない。時に汚れ、残酷なこともある。
(そういう意味では、この十数年、政を最も身近に置いてきた真子羅などは、適任なのかもしれないが)
 瀏斗は胸中で一人ごちる。
(しかし、その立場へ真子羅をやるわけにはいかない)
 掟に反する、なにより、幼馴染にそのような苦渋を強要することなどできはしない。
「いかなる占を受けていようとやはり、清姫は清姫だ。違うのか、朗」
 ぽつりと零したつぶやきは、どうやらざわめきにかき消されることなく朗の耳に届いたようだった。
「そう、彼女はやはり清姫だ」
「ならば、当初の計画に変更の必要も無い。清姫が清都に災いをなすなら、排除するまで」
 そういい置いて、席をたち早々に退出する瀏斗の背中を、やはり物言わぬ真子羅の視線だけが見送った。


page top