Act08-03

「碧仁?−−あぁ、前の暁王の息子だな。息災だったのか」
 帰宅後、どう切り出すかあるいは秘密にしておいたほうがいいのかと思案しつつ報告した叉牙に対する儀月の返答はしごくあっさりしたものであった。凍冴にいたっては、無言のまま、表情を変えることも無く。藍嘩と叉牙の帰宅を出迎えた時のまま、窓際に設置されているソファに深く腰掛けている。小さく開けた窓の隙間から穏やかな風が吹き込み、カーテンを揺らす。
「騒動の渦中に居たのは、元皇子だったか…道理で」
 あまりにしれっとした儀月の言葉に、逆に叉牙のほうが激昂する。
「ていうか!凍冴も儀月も無用心だろうが!バレてんぞ?!」
「隠れてるわけでもないしな」
「はぁ?」
 ようやくそこで、凍冴が口を開く。
「暁で何かあるとすれば、現暁王派と前王派でのいざこざしかないだろ。ここ何日かで、どうも何か企んでるらしいってのは掴んだんだが中々決定打が無くてな。こちらの姿を見せれば釣れるのがあるかも、と想ったんだが」
「皇子が釣れるとは想わなかったな」
 まったくだと、しごくのんびりした上司どもの様子に叉牙が握り締めた拳をわなわなと震わせる。
「つまり、なんだ。オレらの行動も予想の範疇ってワケ…?」
「想定内ではあったな」
「……」
 ぶつり、と何かの音が聴こえた気がしたのは藍嘩の空耳ではないだろう。
「てめぇらなぁ!」
「お前もいい加減学習したらどうだ」
「まったくだぞ、叉牙。俺と儀月が絡んでお前が勝てたためしなど一度もないだろう」
 にやりとそろって笑う顔は、まるで悪戯小僧のそれ。とうとうキれたらしい叉牙が、掴みかからんばかりの勢いで儀月に向かっていくのを、対する儀月はあっさりとかわし、逆に足を払い叉牙が体勢を崩す。
「儀月、やるなら外な」
「御意」
 短い会話をさしはさみつつ、ひょいと叉牙の首根っこをひっつかむと儀月は叉牙のまだ成長過程にあるどちらかというと細身の体を引き摺って部屋から出て行く。その様を、見るとはなしに見送る藍嘩に、凍冴はソファの背もたれから身を起こし、若干姿勢をあたらめて問うた。
「皇子と話してみた感想は?」
 幾分、真剣みを帯びた視線の元に問われた言葉に、釣られるように藍嘩も姿勢を正すが、
「実は、殆ど喋ってなくて」
「緊張した?」
 からかう様に凍冴が先を促す。
「いえ、ビックリして」
「…何に?」
 素朴な疑問の結果として発せられた声に、は、と気付いて藍嘩は答えようと開きかけた口を閉ざす。『占』のようなものを見た事を、凍冴にも知らせたほうがいいだろうか…と戸惑ったのは一瞬。
「叉牙くんが、少し揉めてしまって」
「しょうがない奴だな」と、凍冴が苦笑する。
 結局、藍嘩が答えたのは本当のこととは少しずれた答えだった。
(でも、嘘じゃないし)
 叉牙と碧仁の初めのやりとりにびっくりしたのは事実だし、と自分自身にいい訳をする。
(まだ、力を制御できるようになったわけでもないし)
 いずれはきっと凍冴にも知られることになるだろうけれど、もう暫くは黙っていたほうが良いかもしれない…今の自分には、この力しか切り札と呼べるものがないのだから。
「でも、叉牙くんは凍冴さんを心配してたんだよ」
「まぁ…状況はなんとなく、分かるけど」
 咎めるような口調になった藍嘩に答える凍冴の笑顔は柔らかく。座りながら組む足を組みかえる。
「私、もう一度碧仁に会いに行ってもいいかな」
「おや、随分ご執心だね」
「そうじゃなくて」
「じゃなくて?」
 その問いにはふるりと首を振り答えない。藍嘩の動きと一緒に茶色の髪がふわりと揺れる。今あるものを蹴落としてまで王になりたいとうあの青年の、気持ちを聞いてみたいと想った。既に王となっている人たちの話ではなく。どういう気持ちで王位を望むのだろうか。
(私は、できれば王になんかなりたくない)
 いまでも、逃げられるものなら逃げてしまいたいという気持ちは確かに藍嘩の中に在った。しかし、状況がそれを許さないことも理解している。
(なにより私は、もう選んだんだから)
 残された選択肢は、清姫になるか、命を差し出すか。
 もちろん、頼まれたからといって命を差し出すつもりは毛頭ない。ならば、選べる答えなおのずと1つへ集約される。
「藍嘩?」
 途中で黙り込んだ藍嘩を、凍冴が覗き込む。もう一度ふるりと首を振り、なんでもないと意思表示する。さわりと髪が首筋にふれ、碧仁に対面したときの肌があわ立つ感覚を思い出す。夢と現実の不気味なまでの整合。未来を操る力。
「清姫になったら」
「うん?」
「…未来を操ることができるなら、滅ぶという運命だって変えられるんじゃないのかな」
 国を滅ぼすと占われた清姫。だが、未来を読めるのは清姫とて同じこと。ましてや未来すら操ると言われるならば
「理屈で言えばそうなるけれどね」
「何か、あるのかな」
「…さぁね、そこは部外者の俺にはわからない」
 でもたしかに、と凍冴が独り言のように呟く。清姫が未来を操るというなら、自らに科せられた滅びの予言だって回避できるかもしれないなぁ。
(それならば、なぜ)
 命をねらわれなくてはならないんだろう?
「清都の連中は、いま猛進しすぎてるから見えてないな」
 藍嘩の心中の言葉に答えるように凍冴が口を開く。
「あるいは俺たちには計り知れない事実がまだ隠されているか」
 計り知れない事実…と凍冴の言葉をなぞるように藍嘩が呟くが、そこに答えがあるわけでもなく、窓から吹き込む風が読めない答えのかわりであるかのようにガタリと窓を揺らした。


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