Act08-01

 通された部屋は思いのほか光に満ちていて、開いた窓から乾いた風が室内に吹き込んでいる。窓辺に立つブルーグレーの髪を持つ青年が振り向いて、静かな視線でこちらを見つめた。


 ふと、目を開けるとそこは藍嘩があてがわれた部屋で。身を起こしてあたりを見渡す。まだぼんやりとかすむ頭を一度ふるりと振って目を瞬かせる。一度伸びをしたあと、今まで見ていた夢の内容について小首を傾げる。
(今、何か…)
 夢を見ていたような気がするけれど、感触だけが残っていて全貌を掴みそこねてしまった。もういちど頭をふるとそこかしこに残る夢の残骸をふりきるように立ち上がる。今日は、出かけなくては。

 部屋を出て居間へ向かうと、やはり凍冴と儀月は起きていて。ここ数日と違うのは彼らがまだどこへも出かけずに居たということ。
「お、お姫様のお目覚めだ」
 ソファにゆったりとすわり、儀月となにごとかを話し込んでいた凍冴が、居間にやってきた藍嘩に気付き声をかける。声に釣られるように儀月がこちらを振り向き藍嘩の姿を捉える。
「おはようございます」
「はい、おはよー」
 いたってにこやかに凍冴が挨拶を返す。入ってきた藍嘩と入れ違いに儀月が部屋を出て行く。どうやら、未だ起きてこない叉牙を起こしに向かったようだった。
「今日は、出かけないんですね」
 テーブルの上にセッティングされた朝食は二人分。自分の分と叉牙の分だろうかと藍嘩はしばし思案する。
「ここんとこ出ずっぱりだったからね、今日は休息。あ、それ儀月が食べろって。俺たちはもう食べたから」
 凍冴がソファの上からテーブルの前で佇む藍嘩に声をかける。
 席に着き、頂きますと手を合わせる。向こうのほうで怒号とドタリと何かが落ちる音が聴こえた。
(…叉牙くん、無事かなぁ…)
 藍嘩に対しては儀月は厳しい姿を見せることはなかったが、部下−−特に、叉牙や白牙−−には時に厳しい態度を崩さない儀月は、朝の起きぬけであろうと容赦はしない。ご愁傷様、ってやつだなーなどと凍冴がからからと笑う様からも、向こうの室内の様子が想像できてしまう。
 極力その音からは耳を伏せ、黙々と朝食を咀嚼する。と、どたどたという騒がしい音とともに叉牙が居間へとやってくる。
「はよっす」
 テーブルに居る藍嘩とソファに座る凍冴に向け挨拶をすると、そのまま真っ直ぐテーブルに向かって朝食に手を伸ばす。右頬にうっすら殴られたような跡が付いている。
「…殴られたの?」
 こそりと問いかけると
「おぉ、グーでな」
 憮然とした声が返る。が、儀月が再び居間に姿を表したのを見て叉牙はむっつりと黙り込んだ。
「時に、お二人さん」
 凍冴がおどけた様子で声をかけてくる。
「俺たちは今日非番なわけなんだけど、二人はどうする?街中を案内してやろうか?」
「いい。オレたち今日は出かけっから」
「……なんだ、デートか?」
 ごほっと叉牙がむせる。
「叉牙、汚いぞ」
 すかさず儀月から注意が飛ぶ。
「ちょ…!今のは不可抗力だろぉ?」
「食事中に叫ぶな」
「……っ!」
 その様子をにやにやと凍冴が眺める。
「あの、でも今日は二人で出かけてもいいですか?」
「行きたいところでも?」
「…ナイショ。てか、凍冴たちだって毎日オレらにナイショで出かけんじゃん」
「…まぁ、それはそうだな」
 ふむ、と顎に手を当てしばし思案する顔を見せた後、凍冴はふたたびにやりと人の悪い笑みを見せる。
「デートの邪魔するほど野暮じゃないしな」
「違うっての!」
 保々の体でフラットを抜け出した藍嘩と叉牙は、氷花にもらったメモを頼りにスラムをすり抜けた。
「こっちかな…」
 途中で方向を見失った藍嘩と叉牙は時々通信マイクで白牙に指示を仰ぎつつ、どうにかメモが示すフラットへとたどり着くことができた。ソコには想像通り氷花と刹那が居た。特にこれといった会話が買わされることなく誘われるままに室内へと通される。


 通された部屋は思いのほか光に満ちていて、開いた窓から乾いた風が室内に吹き込んでいる。窓辺に立つブルーグレーの髪を持つ青年が振り向いて、静かな視線でこちらを見つめた。


 その光景に背中がゾクリと泡立つのがわかった。
(この光景…、この光景!)
 掴みそこねた夢の情景そのままに、青年が振り向きこちらを見つめた。視界がぶれる。
 くらりと傾いだ藍嘩の体を隣に立っていた叉牙がとっさに支える。
「藍嘩?」
「……ごめん、大丈夫」
 叉牙に返事を返しながらそろりと腕を離し、一人で立つ。
(間違いない、この景色。)
 これが未来を「視る」ということなんだろうか…泡だった肌を宥めるように腕をさする。本当に、そのまま再現されていることに驚きよりも恐怖を感じた。これであれば、一度視たことをトレースせずに違うことをすれば様々なことが回避できるに違いない
(あ…。だから、)
 未来を操ることができる、
 のだろうか。つまり。
「本当に、大丈夫か?」
 心配げに顔を覗きこんでくる叉牙に僅かに笑みを返す。そろりと俯けていた顔を上げ、目の前に立つ人物を改めて見る。
「碧仁よ」
 氷花の声が静かに部屋に落ちた。


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