Act07-05

 ひと悶着はあったものの、凍冴を初めとする梁の面々に藍嘩を加えた一行は、暁に程近いスラムへと潜入していた。奇しくもそこは、碧仁や氷花が身を潜めるスラムと同じ場所であった。スラムへついてからも、特に表立った行動を取ることなく、一応暁の様子を探ってはいるようであったが、藍嘩と叉牙は身を潜めるフラットに留守番を言い付かることが多く、特に叉牙はフラストレーションを溜めるだけの日々を過ごしていた。
「…なぁ、藍嘩」
「あれ、叉牙くん。今日は早起きだね」
「……凍冴は」
「儀月さんとさっきでかけたよ」
 することがないから洗濯でも…と洗い上げた洗濯物などを抱え、物干し竿へ向かう藍嘩の背後から声をかけた叉牙は、寝癖もそのままに、彼にしてはかなり早起きをして飛び起きてきたのだが、上手な上司たちはそれよりも一歩早く出かけた後。
「くっそ!またやられた!」
 地団太を踏むようすがおかしく、つい藍嘩の頬が緩むのを叉牙は見逃さなかった。とたん、薄目になりじろりと睨まれて藍嘩は首をすくめる。藍嘩が洗濯物を干すのを叉牙も手伝いつつ、ため息をつくこと5回。
「ねぇ、私たちも、外にでちゃだめなのかな」
「え?」
「付いてくるなとは言われたけど、でちゃだめだって言われてないよね」
「…藍嘩?」
「見付かった時には、私が逃げようとしたから追いかけたって言い訳するって言うのも手かな」
「……何の話」
「退屈だから、お出かけしたいなーって」
 にこやかな笑顔にあっけに取られる。
「藍嘩サン、いつからそんな悪い子に」
 不意打ちをくらってあっけに取られたのは一瞬。にやりと見返す叉牙の顔は、いたずらっ子のそれで。
「だって、社会勉強だって言ったの凍冴さんだもの」
 よっしゃ!とよろこぶ叉牙の耳についた通信用のイヤホンからは白牙がやれやれとため息を付いたのが聴こえた。

 一歩外へ出てみると、スラムと言えども通常の町並みと変わらない賑わいが目の前には広がっていた。藍嘩の知る限り、スラムといえば一時期氷花たちに匿ってもらっていた雑多でどちらかといえば衛生的ではない町並みを想像していたのだが、このスラムはどちらかというと藍嘩が住んでいた清都の市場にも似た空気を持っていた。とおりの両側には様々な店が軒を並べ、おそらく獲れたてであろう野菜や果物が所狭しと並べられている。通りの先には小さな広場があり、その向こうには頑丈そうな門が見てとれた。
「あの向こうが暁の領地ってわけか」
 藍嘩のとなりできょろきょろと町並みをものめずらしげに見ていた叉牙がぽつりと零す。
「面積的にはあんまり広くなさそうだなー…藍嘩がこの前居たとこのほうが広そうだな」
「でも、こっちのほうが楽しそう」
「ん〜…そうだな。暁の統治が行き届いてるのか、スラムをまとめてる奴がいるのか…スラムにしちゃ珍しい感じだなぁ」
 叉牙の言葉に感心しつつ、藍嘩もきょろきょろと周囲を見渡す。
「凍冴さんは、ここへは何をしにきたのかな」
「さぁ…オレも実は詳しく聞けなったんだよなぁ〜」
 藍嘩の問いかけに、叉牙は右手を首筋にあて首を僅かに傾けた。藍嘩も、小さくため息をつく。見渡すとおりのどこにもその問いに対する答えなどあるはずもなく。
「でも、前から凍冴は暁はそのうちなにか起きるって言ってたから、それが起きたのか、起きそうなのか…」
「それで毎日出かけてるのかな。情報を集めに?」
「たぶんな」
 ならばこちらも何か集める情報がないかと思案するも、凍冴の目的が分からない以上二人には何が集めるべき情報なのかを計り知ることすらできず。2、3店先を冷やかした後、一息入れたいときに食べたらおいしそうな果実を購入してフラットに戻ることにする。かさり、と音をさせ叉牙が果物の入った紙袋を持ち直す。フラットに向けて歩みだそうと一歩踏み出したところで、藍嘩より3歩先に歩き始めていた叉牙の動きが止まった。いぶかしむ藍嘩が、叉牙の見つめる一点へ視線を投げかけると、
「…氷花」
 視線の先には、見覚えのある少女。つややかな黒髪が静かに風になびく様が目に映る。
「あんた、何してるのこんなとこで」
 驚いたのは相手も同様だったらしく、呆然とした声で氷花が藍嘩に問いかける。
「…えっと…、社会勉強、かな」
「はぁ?」
 しどろもどろに答える藍嘩に氷花が眉を顰める。
「勝手に、居なくなったと想ったらこんなとこで逢うなんてね」
 呆れまじりの氷花の言葉に、藍嘩は曖昧な微笑を返す。そのことは、確かにずっと申し訳ないと想っていたことは事実だったから。助けてもらったお礼もせずに、逃げるように出てきた。そんな藍嘩を見かねたのか、それとも別の理由か叉牙が何か言葉を発しようと口を開きかけたのを、藍嘩が視線で引き止める。
「…ねぇ、氷花。暁では、何が起きてるの?」
「そんなこと知ってどうするの」
「……私の、見た『夢』の内容と同じか確かめようと想って」
 藍嘩の口から出た台詞に驚いたのは氷花だけではなかった。叉牙も、驚愕にぽかんとしたまま藍嘩を振り返る。しかし、すぐさま口元を引き締める。
「…あんた、見えるようになったの?」
「まだ、自分の意思では無理だけど…何となく、これかなっていうのは」
「そう…」
 ため息とともに、僅かに視線を落とす氷花に、藍嘩は心中で密かにわびる。本当は予知夢なんて、まだ見えてこないのだから。
「今は、まだ何も起きてないわ。でも近々現実のものになるわよ、あんたの『夢』がね」
 知りたいなら近いうちに訪ねてくるといいと、氷花は何かを書きつけたメモを藍嘩に手渡し、二人に背を向けた。手にしたメモを叉牙と二人で覗き込むと、どうやら氷花たちが居るらしいフラットの番地が記されていた。氷花の姿が遠ざかったのを確認してから、叉牙が藍嘩に向き直り、
「藍嘩!すげぇな!『占』が使えるようになってたなんてオレ全然知らなかった!凍冴には言ったのか?!」
 感嘆の声を挙げる叉牙とは裏腹に、藍嘩は複雑な表情を見せる。
「…叉牙くん……ごめん、アレ嘘なの」
「……え?」
「だって、凍冴さんは暁で何か起こりそうだって言ってたんでしょ?…それで、氷花は色々、やってる人なんでしょ?だったら、知ってるかなぁって想ったの」
「じゃ、あれ、はったり?」
「そう、なるかな…」
 ぽかんと、叉牙は一瞬藍嘩を見つめた後、堪えきらないように大声で笑い始める。
「なんだ、それ!」
 げらげらと笑い転げる叉牙を、藍嘩はとめることも出来ずただその身を小さく縮こまらせていた。


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