Act07-02

 憶えているのは、飛び交う怒号血の匂いそして、両親の仇の顔。当時まだ8歳で幼い部類にはいる自分が無事に逃げおおせたのは偏に周りの大人たちの尽力があったからだ。神など居ないと嘆き全てを捨ててしまえればよかったと何度も想ったけれど、右手に刻まれた神秘的象徴(シンボル)が消えることは無かったし、神から授けられたというこの身に宿る力だけが唯一両親から引き継いだものとなった今では、捨て去るには未練が多すぎた。

「−−、…… 若……碧仁さまっ!」
 大声で呼ばれる声に、やっと気付いたのか碧仁と呼ばれる少年がようやく窓の外に向けていた視線を声を発していたほうへ向ける。僅かに空いた窓から、爽やかな風が吹き込み、少年のブルーグレーの髪を揺らす。
「悪い、…なんだ?」
 振り向いた先に居たのは碧仁と呼ばれた少年よりも年上の男である。背丈もさることながら体格も碧仁よりは遙かにがっしりしている。
「斎王から連絡が。…近いうちに、訪ねると」
 知らせの内容が、待ちわびていたものであったからか、その男にしては珍しく頬を紅潮させて告げる内容は、碧仁にしても望んでいたものであり。
「…そうか、来てくれるのか」
 安堵感からか、小さくため息をつき表情を緩ませる。
「それならば、準備をしなければな。もうすこし作戦を詰めておこう、沙季(ザキ)。皆を集めろ。」
「わかりました。すぐに」

 暁國の王であった父が、宰相の地位にあった腹心とも言える部下の起こしたクーデターにより命を絶たれて以降、王位を取り戻すべきか否かずっと考えてきた。この部屋の窓からみえる暁の国は前王の時とはがらりと様相を変えている。新王による圧政。力で圧すればいつか反発が来るのはあきらかだが、彼は未だにスタイルを崩すことは無い。それは、力で奪い取った権力を、また力で奪い返されることを恐れているからか。あるいは、それが望みだった?
「…憶えてる顔は、優しそう、なんだがな」
「優しそう、な人が本当に優しいとはかぎらないのよ」
 独り言のつもりで洩らした声に思いがけず返事が返り、驚いて周囲を見渡す。風が通り抜ける窓の隙間の向こうに流れる黒髪が見えた。窓を開け放つと、通りから此方を見上げるようにして立っている、小柄な少女の姿。年のころは、自分よりも年下だろうかと碧仁は中りをつける。
「誰だ?」
「…ただの通りすがり。ちょっと聴こえたから」
「……盗み聞き?趣味悪ぃな」
 不審がる心情を隠しもしない碧仁の言葉に、小さく笑って肩を竦めて見せた少女は、それは悪かったわねと対して悪びれもしない様子で言い放つ。
「本当に優しい人は、優しそうになんて見せなくてもいいもんだわ。だって事実優しいんだもの」
「…そういうもん?」
「だと、想うけど。あたしはね」
「ちょっと、屁理屈っぽくないか?」
「そうかもね」
 くすくすと笑う表情に、見た目ほど幼いわけでもないのだろうかと首をかしげる碧仁にはお構いなく、少女はひとしきり笑い、そのまま通りを行きすぎようとする。
「なぁ、ちょっと!」
「なに?」
 少女が小さく身動きするたびに、長い黒髪がまるで少女と碧仁を遮断する幕のように揺れ動く。
「名前は?」
「あら、ナンパ?」
「違う…気になっただけだ」
 碧仁の慌てぶりがおかしかったのか、またもくすりと少女が笑う。
「そうね、もう一回逢えたら教えてあげるわ」
「なんだそれ」
「今は、ただの通りすがりだから」
 立ち去る後姿は今度こそ振り返らなかった。
「若」
 少女が立ち去ってもしばらくその背を追うように視線を動かさないままだった碧仁の背後から、沙季が声をかける。
「集まったか」
 未練を断ち切るように視線を沙季に戻す。
「後は若がおいでになれば、全員です」
「すぐ行く。」
 信じることはやめない。けれど、神に頼るのはとっくに止めた。右手を握り締める。この手で、何を掴もうか。


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