Act07-01

 湮王との会合を終え、帰路に着く凍冴の背を追いながら儀月は傷の残る右頬を右の指でするりとなでた。短い黒髪が風になびくのををのままに、茶色い瞳を僅かに細める。
「…いい加減、ニヤつくのをやめたらどうだ、凍冴。気持ち悪いぞお前」
「お前も、自分の主に対して大概不遜な奴だよな」
 苦笑して振り向く金髪を軽くいなす。
「公の場では敬っているだろう」
「…なぁーにが真面目な騎士団長様、だよなぁ」
 ふん、と音がひそうな勢いで前を向きなおし若干肩をそびやかしながらずんずん歩みを進める様はまるで幼子のようで。くっと喉を鳴らしてしまったものだから、一度は前を向いた背中が再び振り返る。
「儀月」
「なんでしょうか、王?」
 今度こそ隠そうともせず笑いを滲ませる儀月に凍冴が苦い顔を見せる。もっとも、幼馴染でもあり小さい頃からいわば凍冴の兄的な立場にあった儀月にとっては、凍冴が王になった今でさえ周りの目がないプライベートな空間では相変わらず弟のようなものであった。ゆえに凍冴も文句は言っていても殆ど冗談の域を出ない。
「いつもお前が叉牙たちに態度がなってないなど言っているくせにな」
「王に対する態度としてなってないと言っているまで」
「あぁ、そうですか…」
 埒が明かないと諦めたのかガクリと肩を落とし再び凍冴が前を向く。儀月が歩き出す凍冴の隣に並び立つ。隣に並んだ儀月の姿を確認するかのようにちらりと一瞬だけこちらに視線を投げた凍冴は、何も言わず口を結んだ。
 いかに公式の会合ではないとはいえ、国のトップ同士があうのだから、もう少し場所を選べ護衛を就けろと進言した儀月を凍冴が一蹴したのは数日前。見たことも無い真っ白な巨鳥をみるなり、凍冴は直ちに今回の会合を秘密裏に決定した。今のところ、この会合を知るのは儀月を初めとする一部のもののみに留まる。ただの昔馴染みに逢いに行くだけだし、向こうもそんなドサクサにまぎれてこちらの命を狙うようなことは絶対にしないと言い切ったのは、凍冴なりの湮王への信頼だったのだろうか。事実、彼女はお供に小柄な−−未だ子供と言っても差し支えない−−少女を一人つれていただけだった。尤も、叉牙が梃子摺ったという少女の特徴とぴたりと当てはまる容姿に、その少女が単なる付き添いや侍女の類ではないのだろうと僅かに警戒をしたけれど。
 会合が成功だったのか、失敗だったのか、いまいち判然としないままに双方のトップはそれぞれの中で折り合いをつけたのか会はお開きとなった。
「あれで、良かったのか?」
 釈然としない気持ちがそのまま出たかのような儀月の言葉に、凍冴は僅かに口角を釣り上げ微笑んで見せた。
「まぁ、良かったんじゃないかな。李凪は、ああ見えてちゃんと湮の王様だからね……、それこそ梁なんかよりもよっぽど伝統ある国をまとめてる。いずれの採択が最も有益かをちゃんと見極められる。」
「…。」
「結果的に目指す方向にたどり着けばいいんだし、手段は問題とはならない…違うか。」
「そうだがな」
「蹴散らすばかりでは恐慌に陥るばかりだ。望みがあるなら争わずに居たいのは…本心だよ。」
 力を持たない小さな国。隣国から領土拡大のためにいつ蹴散らされてもおかしくない状況を覆したかった。小さな動悸は徐々に勢いと野望を孕む。飢えも争いもない世界を思い描くのは途方も無い無謀さゆえか。きっと、凍冴は…そして自分も未だ少年の域から脱し切れてはいないに違いない。
「まぁ、とりあえず家族が無事に暮らせる国となるなら、文句はないな」
「…はいはい、新婚さんの希望としてお聞きしておきますよ。ところでベイビー誕生はいつなんだ?」
「……随分飛躍したな」
「明るい家族計画に協力してやろうと言うんじゃないか」
「いらん」
「まぁ、そういうな。旦那は職務で忙しく留守がちなんだ、新妻が寂しくないようなぐさめに…」
 無言で儀月が凍冴の頭をばしりと叩く。良い音がした。
「…なぐさめに子供を作ったらどうだとすすめようとしただけだろうが」
「余計な世話だ」
「腹いせに向こう一ヶ月休みなしにするぞ」
「職権乱用だな。そんなもの俺が聞くものか。団長権限でもみ消すまで」
「…それこそ職権乱用じゃないか」
 ふと凍冴の青い瞳が細められ、すいとそのまま眼前にふられす。視線の先にさすものは、梁の王城。自分たちの暮らす街、守るべき国。
「藍嘩は、我々の救いの女神となるだろうか」
 静かに発する声はすでに幼馴染のものではない。
「……判別しかねるな」
「正直な話、俺はどちらでもいいと想っているんだよ、儀月」
 もう一度視線を儀月に戻し、凍冴が笑う。
「国を追われているのが清姫であると言われているが、あくまで噂の域をでない程度の情報だ。本物であってもなくても、未だ一度も公に清姫と宣言していないし宣旨をうけてもいない。ただの女の子」
「……」
「必要なのは、正式に清姫と認められた清都の王だ」
「…ならば、藍嘩を手放すか?」
「それは、まだ。清都との取引に使えるだろうし」
「取引、ね」
 僅かに儀月が眉をしかめたのに、苦笑を返す。
「情でも移ったか?」
「あまりに素直で、少々不憫に感じる、な」
「…おやおや、騎士団長ともあろう者がねぇ?……嫁にいいつけてやろうか」
「関係ないだろうが」
「いずれにせよ、決断するのは藍嘩であり、俺だ。お前は、俺の言いつけを守りさえすればいいんだ」
「凍冴」
「王は、何のために居るとおもう?」
「なんだ、突然」
「俺は、民には下せない決断を下す為に居るんだと想うんだ」
「下せない決断…」
「それが例えば民にとっては受け入れがたいものだとしてもね」
「それはただの暴君だろう」
「…国のためになることでもか」
「……」
「歴史的に暴君と言われていても、すべてが悪いことばかりではなかっただろう?」
「お前は暴君になりたいのか」
「まさか。ただ、お前の意にそぐわない決断を下すこともあるかもしれないって話だ」
「……いつものことだろう」
 わざと呆れたようなため息とともに返した答えには、凍冴は何の反応も示さなかった。ただ、わずかに笑っただけで。思い返してみても、これまで凍冴が民の意見を無視するような決断を下したことは一度としてなかった。故に年若い王でありながら民の支持はそれなりに高く温かく見守られているのだ。いつのまにか皆が彼についていけば間違いはないと信じるほどに。だから、きっと自分は意にそぐわない決断を目の前にしても、この弟のような男に逆らうことなどできはしないのだろう…と儀月は胸中で呟いた。


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