Act06-04

 相変わらず、スラムは昼間よりも夜間のほうが賑やかしいななどと、薄くあいた窓から滑り込む生ぬるい風とそれに混ざる騒音に刹那は一人誰にも気付かれないよう小さく息をついた。視線を室内に戻せば、ソファに横柄な態度で腰を下ろし、ユウリの報告を聞く氷花の後頭部が見える。
「どうやら、藍嘩は現在梁にいるようです。しばらく、スラムに居たようですが」
「そう」
 答える氷花の声は、藍嘩が梁に入ったという報告にもさして動揺したそぶりも無い。
「どうしますか、接触しますか」
「あ、じゃ、オレ!オレに行かせて!」
 ユウリの提案に、勢い良く挙手したキリを苦笑とともに見遣るとすかさずむくれた表情が返された。そこにもたいした反応を示さないまま、氷花は感情の見えない声で一言答える。
「動向が分かればそれでいいわ。接触はしない。」
「氷花」
 その言葉に動揺したのはむしろユウリとキリだった。
「放っておくのですか」
「もともと、一度だけという約束だし梁に行くことを自分で決めたのだったら…そこまでよ。これ以上どうしようも無いでしょ。」
「それは、そうだけど…なぁ、氷花……」
「それより、依頼が来てたでしょ。そっちの話が聞きたいわ」
 いつになくそっけない氷花の態度に、僅かに眉をひそめると、それに気付いたのか氷花がこちらを振り向いた。後ろに目があるわけでもなかろうに。
「刹那、アンタも人事みたいにそこに立ってないで。今度の依頼は大きいわよ」
 くるりと瞳を動かせばまるで悪巧みをする子供のような光が宿る。へいへい、とおざなりな返事を返しながら窓辺を離れ、ソファの方へ歩み寄る。氷花の隣にあいたスペースに腰掛けながら
「無理やり、興味ないふりしなくてもいいのにな」
 な、と言いながらユウリとキリににやりと笑いかけると、二人が思わずといった風に破顔した。
「違うわよ!」
「バレバレだろうが」
 むっと顔をしかめた瞳がいつもの光を宿していたので、そのことに少し安堵しつつ小さな頭をくしゃりとかき混ぜる。黒髪のさらりとした感触に瞳を細めたのは一瞬。その次の瞬間には勢い良く手を払いのけられて、あまつさえソファの上でも距離をとられる。
「興味が無いんじゃなくて、アタシはアタシのやるべきことを、やるだけよ」
 キッと音がしそうな勢いで氷花に睨まれ、刹那が苦笑する。
「ごもっとも」
 尤も、藍嘩に一番構いたいであろう氷花の気持ちを押さえつけるような発言をしたのはほかならぬ自分であるという自覚がある刹那には、氷花が依頼に集中するというのなら異論があろうはずもない。そして、自ら仕事の話をすると言った以上、氷花の気持ちも揺るがないことを知っていた。
「そんじゃ、話とやらを聞こうか?」
 なんでもない世間話を再会するかのような調子で、刹那がわずかにおどけてみせた。

 ユウリの話はごく短いものだった。依頼の内容も逢って直接話すとだけ告げたのみで詳細は不明。落ち合う場所は、湮と並ぶ古豪の大国と言われる(ギョウ)のすぐ脇に形成される廃都。
「依頼主の名前は−−碧仁(アオト)という少年、ということしか分かっていませんが。」
 この程度の曖昧な内容であれば、本来は斎王である氷花の耳にはいることもなく握りつぶされるであろう依頼である。他者あるいは他国からの依頼を受けた結果の報酬を元に生活を形成する一族ではあるが全てに王の採択を得るわけではない。ある程度の判断は依頼を受けた一族の民に任され、そこで取捨選択し、それなりに実のありそうなものだけが氷花の元へと届けられる。
 唯一、斎王を動かすものは
「碧仁、ね」
 その名だけで興味を引かれたのか、不敵に笑みを刷き瞳を細める氷花に刹那はそれとはばれぬよう胸中でため息をつく。
「面倒な依頼はお断りだ」
「決めるのはアタシよ」
「…暁のいざこざは、まだくすぶってるのかよ」
 ため息とともにどさりと音をたてて刹那がソファの背もたれに身を預ける。
「暁のいざこざって?」
 ひとり事情を飲み込みきれないキリが、堪えきれず口をはさむ。
 その問いかけにまずは視線で答えた氷花がついで言葉を紡ぐ。
「自身の能力に頼るのではなく厚い信仰心と神の加護の元に暮らし、神に愛されるが故に常人よりも遙かに長い寿命をもつ一族が暮らす国」
「それは、知ってるよ」
「10年くらい前かしらね、穏健で賢王と褒め称えられた前の暁王が革新を望む宰相の企てたクーデターで崩御したのよ。そのとき、王には子供がいたの−−その子の名前が碧仁」
 え、と驚きの表情でキリが固まる。
「偶然の一致にしては出来すぎてるわ。王位を奪われた薄倖の皇子は、何を企んでいるのかしらね?」
「まだ、本人だと確定したわけじゃねぇぞ」
 刹那の横槍にも、氷花の興味は殺がれない。
「だから行って、確かめるのよ」
 あぁぁ、とうめき声さえ聴こえそうな表情で背もたれに体を預けたままの姿勢で刹那は己の右手で目元を覆った。しかたありませんねとすまして言うユウリに向ける視線は自然うらみがましいものになってしまう。それすらさらりとかわしてみせる態度にますます言葉もでない。
「依頼のあった場所へ行くわ。ユウリ、皆に伝令を。それから、アンタたちふたりは藍嘩の見張りを続行。動きがあったら連絡して。…刹那、何時までソファとじゃれてんの、支度するわよ」
 へいへーい、と答える声にはもはや諦めの色しかみえず。急かされてなお、立ち上がろうというそぶりを見せない刹那の脇をキリがすりぬけつつ、ぽんと肩をたたいて行く。
 先ほどまで気になっていたはずの街中の騒音が今は遠く聴こえる。


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