Act06-03

 朝が来て、目が覚める。ベッドに身を起こして見渡す部屋は慣れ親しんだ自室ではない、与えられた部屋ではあるがもうすっかり見慣れた風景だった。窓を開け、天気を確かめる。梁國へ来て3日が経つが、特に行動を制限されるわけでもなく、協力を強制されるわけでもない。安穏と過ぎていく時間。それが、あの冷たい目をもつ王のやり方なのかどうかは藍嘩には計り知る術はない。
「藍嘩、おきているか?」
 控え目なノックの後、静かな声が問いかける。これは、この国に騎士団長を務める儀月のものだ。この声も耳になじんできた。毎日同じ時間に、同じ言葉でこうして儀月はこの部屋を訪ねる。
「おきてます。どうぞ?」
 言葉を返しながら、藍嘩は部屋の扉を開け放った。実は、この扉の開閉方法にはまだすこし不慣れだ。どうしても故郷にあった引き戸のようなものをイメージしてしまうので。スイッチで開閉するという仕組みには未だ戸惑う。
「おはようございます、儀月さん」
「おはよう。……よい天気だな」
 儀月が、藍嘩に与えられた部屋の窓から外へと視線を向けながら言う。
「そうですね、ここへきてからみる中では、一番いい天気…だと思います」
「街を見たいと言っていただろう」
「はい」
「今日は、叉牙と白牙が非番だ。二人に案内してもらうといい」
「…え」
「一人で出歩きたいなら止めないが、不慣れな街なら案内が居たほうがいいだろう」
「……いいんですか」
「何が?」
「え、や…大事な騎士さん、お借りして」
「非番だからな」
 ありがとうごいます、とぺこりと頭を下げる藍嘩にわずかばかり笑みを見せた儀月は、そのままきびすを返し、部屋を出る。その後を追うように藍嘩も部屋を出る。扉は数秒開いた後、自動で閉じる。長い廊下を、コツコツと歩く儀月の後を追いながら、藍嘩は心の中で確認する。この角を曲がると中庭。その向こうの扉が厨房。そして、この先は食堂。
「そろそろ迷わずに歩けそうか?」
「…!も、もうそんなに迷ったりしてません!」
「そうか、それはすまなかった」
 物静かなようでいて、時々人をからかうのを面白がる風をみせる長身の男は、毎朝藍嘩を食堂の扉の前まで案内して自分は訓練場へ出かける。右目の刀傷は昔、彼が大事な王を庇ってつけた勲章なのだと藍嘩に教えたのは叉牙だ。
 …つくづく、ここへ来る前に聞いていた話とこの前初めて対面したときの印象と、かの王をとりまく人たちからうける印象は、果たして同じ人物なのかと疑問に想うほど違う。
(梁王って…いまいちつかめないなぁ)
「どうかしたか?」
 つい、ぼんやりしたらしい。食堂へ入ることもせず扉の前に佇んだままの藍嘩を、僅かに歩きかけて振り返った儀月が不審に想ったらしく、声をかけてくる。
「…なんでも、ないです」
「そうか?」
 わざわざ、藍嘩の元まで引き返してきた儀月が右手を顎にあてつかの間考え込む表情を見せる。
「熱はなさそうだが」
「ほんと、なんでも…」
「無くはないだろう。目まぐるしく環境が変化してるんだ、そろそろ疲れがでるんじゃないか?」
「……」
 ぽかんと儀月の顔を見上げる藍嘩に、逆に、儀月のほうが驚いた表情を見せる。
「?…なんで、そんなに驚くんだ?」
 自分が此処へきたのは偶然だ。ふって沸いたように王だなんだと言われ、理不尽だと思いながらも命を狙われ、自分に近づいてくるのは清姫としての力を利用しようとする人ばかりなのだと想っていた…特に、この国では。よもや自分の体調を心配されるとは思いもよらなかった。
「…だって、利用されるだけなのかと想ってたから」
「結論がでるまでは、我々は中立だ。…凍冴も、そう言っただろう?」
 確かに、結論がでるまでは居ていいと言われていた。
「結論がでたら、どうなるか分からないっていうこと…?」
「それは藍嘩次第だな」
 言い置いて、今度こそ背を向け立ち去る背中をしばし見送る。小さくため息をついたあと、藍嘩は食堂への扉を開いた。


「そんで、あっちが図書館で、その向こうにあるのが市場。生活用品は大体そろうかな」
 藍嘩のとなりを、藍嘩の歩調に合わせてゆったりと歩きながら白牙が1つずつ指差し教える。二人の数歩先を、あちらこちらへと視線を飛ばしながら歩くのは叉牙だ。
「叉牙、あんまり先に行くなよ、迷子になるぞ」
「オレをナンだと想ってんの!ンなことねーっての。」
「……ぶつかるよ」
「なにに−−……っ!!!」
 白牙の声にこちらを振り向いたまま後ろ向きで歩いていた叉牙が、叉牙の言葉に反論しようとした瞬間、ガィンといい音がして叉牙が言葉を詰まらせる。
「…電信柱に」
「おせぇ!」
 涙目になりながらしゃがみこんだ位置から白牙を睨みつける。あまりのことにあっけにとられ声もでない藍嘩を置いて、二人はやいやいと言い合う。町並みも、この二人も、何もかもが…平和だ。気が抜けるくらいに。じわじわとおかしさがこみ上げてきて、堪えきれず藍嘩が笑い出す。
「藍嘩…そんな爆笑することねーと想うけど」
 恨みがましい視線を寄こす叉牙のふて腐れた顔にますます笑いがとまらなくなる。最終的には三人で大笑いした。往来の真ん中であることも気にせずに。流石にすこし落ち着いた頃には恥ずかしくなって、路地を少し入ったところにあるカフェに飛び込んだ。席について三人が三様にほっと息を付く。
「…びっくりするくらい、平和なんだね」
「へ?」と振り向く顔が同じだ。さすが双子。
「勝手なイメージだったんだけど、もっと殺伐としてる国なのかと想ってた」
 飛ぶ鳥を落とす勢い、小国をどんどん配下に納める冷酷な王の納める大国。聞いた話はそんなのばかりだったが。
「やっぱり、来て見ないとわからないものだね」
「そりゃそうだ、自分の目でちゃんと見ないと判断誤るんだぞ」
「…て、儀月の受け売りだな、叉牙」
「うっさい!」
「梁の王様は…皆に親しまれてるみたい…」
 なるべく気をつけて街を行く人たちの会話を聞いていたが、どこからも王や政治に対する不満のようなものは見えてこなかった。感じられるのは、若き王への期待と願い。
「若干性格には難アリだけどな」
「そうそう。人使い荒いしね」
「……王様の、命を狙ったりとか…」
「そんな奴らがいたら、オレらがぶっつぶす」
「これでも騎士団所属だからね」
「…そうだよね」
 店員が、三人分のお茶を運んでくる。ひんやりと冷たいそれは、すっきりと飲みやすい。
「…王様の、命をねらうのって……どういう気持ちなのかな」
「……」
「……」
 ぽつりと漏れた呟きに、叉牙と白牙が顔を見合わせる。
「狙ったことねぇしな」
「そんなことちょっとでも想ったら、返り討ちにあいそうだな」
「…つぅか儀月がこえぇ」
「ぶっちゃけ凍冴より怖いな」

「…でも、生半可な気持ちじゃできないことだと思う」
 先ほどまでのふざけたような色をすっと消し去って白牙が真面目に答える。
「王って、オレたち民にとっては、偉大なもんだろ…たぶん」
「……うん、そうだね…私も、そうだった」
「その王の命を狙うのだって、簡単なことじゃないと、想う」
「そうだな…どんなダメな王だって、初めっからダメだったわけじゃないだろうしな…」
「少なくとも、即位したときっていうのは期待を背負って、希望に満ち溢れてるはずだし」
「王でなくても、人、一人の命を奪おうって言うんだ。それだけでも怖いもんだよな」
「少なからず、そういう躊躇いは、腕を鈍らせるものだよね」
「だなー。…だから、清都だって二人しか刺客よこさねぇんだろ」
「……そういう、ものなの?」
「だろ。出来れば汚す手はすくないほうがいいって魂胆だろ」
「そうなんだ…」
 そこでようやく、藍嘩が出されたお茶を口に含む。
「それはそうと、藍嘩?」
 先ほどよりも一層声の低く、小さくなった白牙を、きょとんと藍嘩が見つめ返す。
「…君の、お姉さんの居場所が分かった」
「え?」
「これは、凍冴も儀月も知らない。オレたちと…騎士団の一部が勝手にやったことなんだけど」
白牙同じように声をひそめ、叉牙が若干藍嘩のほうへ身を乗り出す。
「清都の、議会が匿ってる。…ちゃんと治療してくれてるみたいだった」
「ホント、に?」
「間違いない」
「藍嘩が望むなら…攫ってくるよ」
「……え?」
「会いたくねぇ?」
「………」
 そこで、初めて藍嘩は、二人の瞳に見え隠れする色に気付く。
「これは、取引なんだけど。藍嘩」
「藍嘩のねーちゃんを無事に取り戻す。…凍冴に協力してくれるなら」


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