Act06-02

 藍嘩にとって、梁という国は見るもの見るものすべてが珍しいものばかりだった。決して豊かとは言えない村で育ち素朴な暮らしをしてきた藍嘩は、初めてみる機械の扉や金属製の床、自動で動く扉など連れて歩く叉牙にとってはごく当たり前のことに一々驚いているようだった。
「…そんなに珍しくもねーだろ?」
 こんくらいの装置だったら、あんたが匿われたスラムにだってあっただろうと呆れ口調で呟く叉牙の言葉に返す頷きもどこか上の空。きょろきょろとあちらこちらに視線を散らしながら、やがてたどり着いたのは、ほかより一層重厚な扉。
「ここが、謁見の間。−−凍冴」
 手早く手元のスイッチを操作しながら叉牙が扉を開く。そのむこう、これまで歩いてきた廊下と同じような金属の床や壁で統一されながらも、さり気なくセンスのよい調度品が飾られたシンプルな部屋の中に、一人佇む金髪の青年。凍冴、という叉牙の呼びかけに彼は静かに振り向いた。
 そこで初めて藍嘩は目の前に立つ青年の方へと視線を向けた。
(…この人が、梁王……)
 その顔は想像よりも穏やかで若かった。ここへ来ると決めるまでの数日過ごしたスラムの宿で聞いた噂では、色んな国を支配下に置いてどんどん自国の領土を広げる酷い王だと聞いたけれど…。実物の梁王は、とてもそんな事をするような人には思えない。
 良い人ぶってるヤツのほうが危ないんだよ。
 不意に藍嘩の耳にキリが言った台詞がよみがえる。(そうだ。)まだ、私はこの人をよく知らないんだから…いろいろなことを決めるのはもう少し後。そうして、藍嘩が思考をめぐらしている間にも、凍冴は穏やかな微笑を浮かべつつ、此方へ近づいてくる。そして、落ち着いた声音で告げた。
「ようこそ、梁國へ…『清姫』殿」
「…藍嘩、です。梁王」
「『清姫』以外の者を迎えるつもりはないよ」
 穏やかながらも冷たい意志のこもった言葉に、一瞬藍嘩がひるむ。しかし、負けじと真っ直ぐに見上げる視線を、穏やかな笑顔のまま受け流して凍冴は、入り口で立ち止まったままの叉牙に告げた。
「ご苦労だったな、叉牙。しばらく外せ」
「了解」


 二人だけになった部屋で、コツリと凍冴が歩く靴音が響き、上座の一段高くなった位置にある大きな椅子にゆったりと腰を下ろす。その椅子から5歩ほど離れた位置で藍嘩は立ったまま凍冴と対峙した。
「随分、逃げ回っていたようだが」
 凍冴が組んだ足の上で、両手を緩く組み合わせる。
「何故、この国へ来ようと想ったんだい?」
「……一番初めに、迎えにきたから」
 じっと身じろぎもせず藍嘩は答える。
 脳裏に浮かぶのは、叉牙があの宿に迎えに来た朝のこと。道を分かつ直前まで、藍嘩を宿へ誘ってくれた空色の瞳を持つ少年は一緒に来ないかといい続けてくれた。それでも、彼らの行く先と自分の行く道は違うと感じていたし、彼らとともに行っては何も変わらないと想ったからどうしてもあの手を取ることはできなかった。
 じゃあ、1つだけ。そういって少年は道を違えることを納得した。
「約束しようぜ。今度は、通りすがりじゃなくてちゃんと藍嘩を助けに行くから。…何かあったら呼んで」
 強い視線に励まされた。たとえその約束は果たされなくても。
「どこへ行くのがいいのかなんて、分からないから…一番初めに迎えに来てくれたところへ行こうと想っていたの。」
「それは、中々賢明だ」
 藍嘩の答えに、凍冴が面白そうに口角をあげる。
「…でも、まだ協力するって決めたわけじゃない。」
「…というと?」
「私は…清姫じゃないと想うから」
「……」
「王様って、選ばれて皆に認められて王様っていうんじゃないの?」
「そうかもしれないね」
「私は、選ばれたけど認められてない…」
「…それは、どうかな」
 だから
 藍嘩が俯き自分のつま先を見つめる。
「だから、世界にどれほどの影響を与えるかなんて…分からないし、信じられない」
 凍冴は、じっと藍嘩の方を見つめる。相変わらずゆるく手を組み、その視線は藍嘩を値踏みするようでもある。
「自分をちゃんと見極めるまで、置いてもらえますか?」
 俯いていた視線を再びあげ、真っ直ぐ凍冴と向き合う。
「その後で、協力してもらえるならね」
「…約束はできない」
 藍嘩は緩く首を振る。
「何も事情も分からないまま流されたりしたくないし、殺されたくも無い。協力したいと思えばするし…したくないときは、しない」
「そんな甘いことが許されるとでも?」
「…私、斎王と知り合いなの」
「……」
「いざって時は連れ出してもらうから」
「なるほどね」
 組んだ手を解き、凍冴は椅子から衣擦れの音をたてて立ち上がる。コツコツと足音を響かせ藍嘩の前まで歩み寄り、視線を投げた。藍嘩の心臓がドキリと音を立て、背中に嫌な汗が流れる。知り合いになったのは間違いないだろうが、連れ出してもらえる算段などありはしないと…バレただろうか…。しかし、凍冴は気付かなかったのか、静かに告げた。
「結論が出るまで、いるといい。その後も協力してもらえるとなおいいがね」
 凍冴の言葉にホッと息をつき、藍嘩は頬を緩ませる。部屋を用意してあるから叉牙に案内してもらうといい、と言いながら凍冴はその場に藍嘩を置いたまま、扉へ向かう。扉を開け放ち、部屋を出る手前でもう一度藍嘩のほうへ向き直る。その背をぼんやりと見送っていた藍嘩と目が合う。
「そういえば藍嘩、君はお姉さんが居たね?」
「……え?」
「いま、どうしているのかな?」
「……な、に…?」
 急に姉の話題を振られて、藍嘩は狼狽する。一瞬にして、血に染まった姉の顔がフラッシュバックする。指先がチリと痛んだ。血の気の引いた顔をみて、ちらりと凍冴が笑う。
「消息が知りたい?それとも、逢いたい?」
 藍嘩の返事を待たずに凍冴はきびすを返し、部屋を出た。冷たい金属の扉が音もなく閉まる。ちりちりと痛む指先をきつく握りこんで、藍嘩は冷たい床に座り込んだ。


 どのくらいそうしていたのか、再び扉が開き今度は叉牙が顔を出した。
「…何してんの、床に座り込んで」
 ノロノロと顔を上げる藍嘩を呆れ顔で見下ろす灰色の瞳。
「部屋に案内するからさ……なんだよ、凍冴に虐められたか?」
 からかいまじりの笑みを浮かべながら叉牙がしゃがみこみ、未だ座り込んだままの藍嘩の顔を覗きこむ。あいつ性格悪ぃからなぁと苦笑を浮かべる顔は、それでも彼の王に対する親愛の情に満ちていて
「……叉牙、さんは」
「あ、”さん”付け禁止。苦手」
「………叉牙くん」
「なに?」
「梁王のこと…好きなんだね」
「はぁ?」
 うわ、なんだそれ、きもちわりー!と心底嫌そうに顔をしかめる叉牙の顔を見て、握り締めた指先を開放する。強く握りこんだせいで指先は白くなっていた。扉をでる直前にこちらに向けてきた凍冴の視線を思い返して、ふるりと背中が冷える。なんて冷たい視線。


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