Act06-01

 藍嘩の巻き起こした力の暴走を受けても、たいしたケガを追うことなく自国へ帰り着いた叉牙は、王への謁見も、上司への報告も無視して一直線に自分たちが暮らす兵舎へと足を向けた。あのバカ、あのバカ!ともう何度唱えたか解らないツブヤキとともに。
 見慣れた建物が見えてくる。無機質なコンクリートの外観と庭の木々、ボタンを押すと機械仕掛けで開く扉のスピードが遅く感じられてイライラする。扉が開ききるのももどかしく小柄な身体を滑り込ませると、とうとう押さえきれずに走り出す。カンカンと金属で出来た床が音を反響させる。
 自室の扉を開くと、目指すベッドの傍らに看護についていたらしい少女が佇んでいた。扉が開く音に反応し振り向くと同時に長い金髪がさらりと揺れた。
「…白牙、は」
 ベッドに寝ているのがそうなのだと解ってはいるが確かめずには居られない。
「今、眠ったところです。」
「そっか」
 掛け布団の端からすこし見える自分と同じ色の髪。
 するりと脇を抜け叉牙といれかわりに部屋を出ようとする少女に
「サンキュ、面倒かけた」
「いいえ。……先ほどまでは起きて待っていたのだけれど」
 それだけ言うと、振り向かず部屋をでる。プシュっという間抜けな音をさせて扉が閉まると、沈黙だけが部屋に落ちた。そろりと足音を立てないようにベッドに近づく。二段になっているベッドの、下段を覗き込む。思いの外、寝息が穏やかで顔色が良いことに小さく息を付く。
 あの一瞬。暴走した力に負けていた。にもかかわらず、無傷だった。それは、白牙がとっさに召喚装置(モデム)を通じてシールドを貼ったからだ。本来は、使用者が召喚しそれに応じて武器を具体化する。呼ぶ、応えるという行為がないと成り立たない…はずなのだ。
「それを、一方的にやったらどうなるか、知らないわけじゃないだろ」
 まじまじと見た顔は想像よりもよかったけれど、やはり常よりは青白い。床に座り込み、そのままうつぶせるようにしてベッドに頭をもたせかける。ちょうど、眠る白牙のおなか辺り。
「バカじゃねーの」
「ひでーの、身を挺して助けた弟に」
「……たのんでねー」
 うつぶせたまま、顔をあげずに叉牙が答える。もぞりと布団が動く衣擦れの音がして、白牙が寝返りをうって体をこちらに向けたのが解った。体を僅かに丸めて、おなかのあたりに倒れた叉牙の頭をみる。小さくため息をついて、動かない叉牙の頭をゴツリと殴る。その腕には何時ものような力は無く、痛くもなんとも無い。
「イテェよ」
「凍冴のトコには行ったの」
「…まだ」
「儀月んとこは」
「行きたくねー」
「…いけよ」
「………」
 むっつりと黙り込みふて腐れた顔をした叉牙がようやく身を起こす。
「清姫つれてきたら、凍冴と儀月のトコへはいく」
「…は?」
「てめーはそこでじっくり休んでろ」
「叉牙?」
「ちょっとひとっ走り行ってくるだけだし、空いてる母体(マザー)借りれば問題ねぇし」
「何言って…!」
 思わず身を起こして伸ばした白牙の手をするりと叉牙は交わしてにぃっと笑う。
「オマエはそこで寝てろよ」
「叉牙!」
 鋭い白牙の声にも、ひるむことなく笑顔を浮かべたまま入ってきたのと同じようにまたするりと扉を抜け出る。先ほど駆け抜けた廊下を、今度はゆっくりと歩く。右手の甲に埋め込まれた召喚装置(モデム)を左手でぎゅうと握りしめる。この身にあるのは悔しさだけだ。何の役にもたたなかった。
 そういえば。
 そういえば、銀色の髪をもつ斎のあの男も来ていたな。
 不意に思い出し、ますます目元をきつく釣り上げて、右手を握りこむ。清姫は斎王に拾われたのだから、一緒にいて当然だ。だけど、また。叉牙の脳裏には、2年前の光景が思い出されていた。一度だけ、この國にあの男がきたことがあった。捕まえようと躍起になって逆に殺されそうになった。
 どうにも押さえきれなくなって、廊下の壁をけりつける。金属の壁は思いのほか大きな音を立てて震えた。どこかで、その音を聴きつけたのか、なにごとだ?と叫ぶ声が聴こえる。バタバタと足音がし始め、数人が此方に近づいてくるらしい音を聴きつけて、叉牙はひらりと窓から中庭へと抜け出した。このままで終わると想うなよ、チクショウ!


 叉牙が、藍嘩を連れて國に戻ってきたのは、藍嘩が氷花たちの元をはなれスラムで暮らし始めてから10日後のことだった。


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