Act05-05

 とき少し遡り。藍嘩が氷花たちのフラットを一人抜け出し、夜明けのスラムをかけていた頃、凛涅は傷を負いながら湮に程近い道の端の木陰に座り込んでいた。藍嘩の力の暴走が引き落とした爆風によって、肩や腕、足には隠しようのない無数の傷が見える。おびただしいほどの出血は、彼女の傍らに佇む白い巨鳥の落とした羽のおかげで止まってはいたが。
「…(れい)
 湮王である李凪がいつも傍らにつれているその巨鳥の名を呼ぶと、僅かに首をこちらに傾け、差し伸べた右手の平にくちばしをそっと乗せた。鳥とはいっても、本物ではないことは触れるくちばしのひやりとした冷たさで知ることができる。この鳥は、李凪がその身にあまる巨大な魔力が暴走しないよう魔力を集めて具現化したいわば作り物の鳥である。落とす羽にも李凪の魔力が宿り、凛涅の出血を止めた。
「黎が来たってことは…」
 一度引けという命令の合図。
 深いため息をつき、背もたれにしている木の幹に一層深くもたれかかる。このケガを見たら、李凪は何というだろうか。酷く怒るかもしれないし、あきれ返ってバカにされるかもしれない。それでも良かった。なんでもいい、酷く声が聞きたかった。
 ただ、悔しかった。
 のろのろと身を起こしゆっくり立ち上がる。
「いつまでも座り込んでても仕方ないもんね。帰ろう、黎」
 そういえば、黎はいつから傍にいたんだろう。


 時間をかけてゆっくりと李凪のいる城に戻った凛涅をまっていたのは、想像通りの李凪の怒号だった。
「ふざけるんじゃないよ!」
 空気までも震わすような大声に、凛涅ではなく傍に控えていた侍女たちがびくりと身を竦める。ばさりと羽音を響かせて黎が李凪の右肩に舞い降りる。まるで体重を感じさせないそのさまに、ふと視線を奪われると、聞いているのかい、と冷たい声が凛涅の意識を引き戻した。
「…聞いてる」
「私は様子を見て来いといったはずだ」
「…聞いた。」
「それで、なんでそんなボロボロになって帰ってくるんだい」
 李凪の強い視線に目をあわせていられず、思わず俯いた凛涅の顎を、李凪の長い指がもちあげ無理やり視線を合わせられる。
「國も民も、湮のモンはみんな私のモンだよ。」
 先ほどとは打って変わって低く静かな声が凛涅の耳を打つ。
「それを、勝手に突っ走って傷モンにして…。どう落とし前つける気だい?」
「ごめんなさい」
「謝るだけなら、子供でもできるねぇ」
 するりと指が外され、李凪の瞳が厳しさを増す。また怒声をあびせるのかと、見かねた侍女たちが仲裁に入ろうという仕草を見せるが、李凪の無言の圧力にまた部屋の隅へと控える。
「李凪の為になればいいと想った…。」
「…。」
「相手の力量とか、そういうのわかればいいなって。…あと、自分がどのくらい通用するかしりたかった、し」
 いつもは明るい表情の絶えない少女の俯き加減でぼそぼそを打ち明けられるいい訳を、李凪は小さなため息で黙らせる。それから僅かに苦笑をもらし、顎の線で切りそろえられた少女の赤茶の髪をぐしゃりとかき混ぜる。
「気持ちはもらっとくよ」
 声音が和らいだのに安心して、顔を上げた凛涅に、李凪は問う。
「…で、」
「?」
「どこのどいつだい。」
「え?」
「決まってるだろ、お前を傷モンにした奴だよ。この借りはきっちり返させてもらうからね」
 強い瞳に気おされて、言いよどむ凛涅に李凪は不敵に笑いかけ、言葉を続ける。
「…清姫かい」
「力が、暴走したんだよ」
「誰だい、無理じいしたのは」
「……清都のやつ…だと想うけど。あと、梁も来てた」
「へぇ…」
 梁國の名前を聴き、李凪の目がすいと細められる。
「また、何を企んでるんだろうね、梁のバカ男は」
「清姫を連れて行こうとしてた」
「…なるほど」
 唇に親指を当て、思案顔で佇むこと数秒。李凪は今度は優しく凛涅のあたまをぽんぽんと二度ほど叩き、部屋に戻って休むよう言い渡す。
「李凪」
「ん?」
「もう、同じ失敗は二度としない。今度はちゃんと役に立つから」
 必死な様相の凛涅に、思わず湧き上がる笑みを押さえることもなく李凪は破顔する。
「いいから、休みな」


 凛涅の辞したあと、侍女たちも下がらせた李凪は一人室内を右へ左へと行きつ戻りつする。その実力はともかく未来を意のままにするという噂が絶大な力となる清姫を、狙う國は実は少なくない。その最たるものが梁である。
「いよいよ動いてきたわけだ」
 さて。どうしてくれよう。
 未だ右肩にとどめたままの、黎のくちばしをサラリとなでる。一声、甲高い声で鳴いたあと、その白く大きな翼を広げ飛び立つ。飛び去る方をじっと見遣って、やれやれとため息をつく。さて、これで話し合いに応じれば良し。そうでない場合は、こちらも身の振り方を考えなくてはならない。
「まったく、面倒だねぇ…」
 呟く声は、小さく空気に溶けた。


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