Act05-04

 昨日、刹那と言い争った後の不機嫌さを拭いきれないままに一日を過ごした氷花は、翌日キリが目覚めたときにはすでにドコにも見当たらなかった。キリは、ユウリや刹那をたたき起こし、氷花が居ない事実をつきつけるも、二人の反応は思いのほか冷静であった。そのうち戻るとのんびり言い、空いたベッドにごろりと寝そべり目を閉じた刹那をキリは見つめ、その後不安げに視線を自分の足元へと落とした。
「…ちゃんと、帰って来る?」
「当たり前だろ」
「……でも、昨日喧嘩してた。」
「あれは、喧嘩じゃねぇよ」
 苦笑いを浮かべ、一度閉じた目をもう一度開けて刹那が二度ねを諦め身を起こす。
「アイツは王なんだからさ、自分の都合だけで生きていくわけにはいかないんだよ」
「氷花が王なのと、藍嘩を追いかけていっちゃいけないのと、関係あるの?」
「藍嘩は清の人間だろ」
「うん」
「斎王が斎の民より他国の民を優先する道理はない。」
 視線の先で怯えたように身を縮こまらせているキリに目線を投げかけ、刹那は自分が腰掛けているベッドの空いているスペースに座るように促す。素直にキリが従ったのを確認してから
「キリも、獣と契約してるだろ?」
「うん」
「契約の条件、知ってるか?」
「オレの死後、血肉を分け与える」
「そう。それが獣の滋養になって奴らは今よりもっと強い力を得られる。キリも、獣の力を借りることが出来て特殊能力を得たよな?」
 こくり、とキリが刹那の隣で俯く気配。
「氷花は王で、俺は王の獣だけど、基本的な契約はキリたちと殆ど変わらない。違いも勿論あるけどな…例えば、(オレ)が常にヒトガタで一緒に居ることとか…な」
「そっか、オレらの獣はいつも気配しか感じられないもんな」
「そう。通常の獣は本来この世界に住むべき生き物じゃないために、この世界で実体を維持するのはとても難しい。だからキリたちの血肉に溶け込んで気配だけを感じさせる。」
「じゃあ、刹那は…」
「王の獣は唯一”斎王”を選ぶことができる」
 キリの言いかけた言葉に被せるように刹那が口を開く。
「斎の王は王の獣が選定する。太古の昔、お前たちの先祖と獣側の先祖がどんな契約を交わした結果の事かは俺の預り知るとこじゃねぇけど、そう決まった。王が自分の血肉と引き換えに手にするのは、斎の民と不老不死。…王が、王であるかぎり俺は王の獣だ。でも、王が王で無くなった時、王は単なる獣の餌になる。」
「………。」
「そう、怒るなよ」
 黙り込み、目元を釣り上げたキリが自分を睨みつけているのに気付いた刹那が、肩をすくめ、口の端を少し持ち上げる。宥めようと刹那が口を開くより僅かに早く、キリが問うた。
「王じゃなくなるときって…どんなとき?」
「具体的には、解らないな。俺は王じゃない氷花を見たことがない…でも、何となく解る、としかいいようがないな。俺たちは鼻が効く。」
「そんな、感覚的なことで、ホントにわかるの?それが正しいって?!」
 激昂し、立ち上がるキリを座ったまま見つめ、それから下方に視線をずらし刹那は自分の頭をガシガシとかき混ぜた。
「正しくなくとも、判断は獣側(こちらがわ)に委ねられたんだ。文句なら、初めにそう決めたやつに言うんだな」
「…!」
「……まぁ。他国の王が滅ぶ理由と大差はないんじゃねぇの。もっと王に相応しい奴が現れるとか、國のためにならないとか……自国の民じゃなく他国の民の為に尽くすとか」
「…それで、藍嘩を追いかけるなって言ったの?」
「……。王の血肉っていうのは、他の斎の民のと違って俺たちにとっては滋養にはなりえないんだ。毒にしかならない」
「え?」
「王の血肉を餌にした瞬間、俺もその毒によって息絶えるっていう算段だ…王の死と共に死ぬ…って言えば聞こえもいいけどな」
「……なんだよ、それ」
「一人の王には一匹の獣。俺がいたら次の獣が生まれないし、次の獣が生まれなきゃ次の王が選べない。…なんでそんな仕組みかとか聞くなよ。俺も知らない」
「別に、オレはそんな事知りたくない」
 立ったままの視線から刹那を見下ろすキリは右の拳を握り締めた。目を吊り上げ、怒りに顔を染める。
「死ぬなんて許さないからな。氷花も刹那も。オレは氷花を護るし、刹那を死なせない。」
 その強い言葉にあっけに取られて、刹那はただ呆然とキリを見上げる。
「大事だから、王失格になる姿を見るのが怖いんだろ!だから藍嘩を追わせなかったんだ」
「……」
 オマエ、男前だなぁ。と思わず漏れた声をバカにされたと想ったのか、キリはバカ野郎!と捨て台詞を残して部屋を飛び出した。壊れるのではないかという勢いで叩きつけられた扉が軋む音が聴こえる。
 取り残された刹那は、なぜかこみ上げる笑いが止まらず、笑いながら再びベッドに倒れ伏す。
「あーあ、早く帰ってこねぇかな、アイツ」



 その日の夜遅くに戻ってきた氷花はキリとユウリに延々と説教をされ一々謝るハメに陥った。その様を眺める刹那を一瞥し、氷花はむっつりと黙り込んだまま部屋に入る。何食わぬ顔してその後ろにくっついて部屋に滑り込んだ刹那を、部屋の中央で立ち止まった氷花は睨み付ける。
「何よ」
「…いや」
 歯切れ悪く俯く刹那に、氷花は小さくため息をつく。
「……キリって男前だよな」
「は?」
 しばらくの沈黙の後、刹那から漏れた言葉の意味を捉え損ねて、氷花が素っ頓狂な声をあげる。その声を聞いて、刹那は発言した身にもかかわらず居心地悪げに右手を自分のうなじのあたりにもっていく。
「啖呵切られた」
「そ。」
「…俺は、」
「聞かなくても解ることは、言わないでいいわ」
「…」
 氷花は口をつぐんだ刹那には目もくれず、そのままベッドにもぐりこむ。その一瞬垣間見えた耳が、ほのかに朱に染まっていたのを目撃して、刹那はほころぶ口元を手で覆い隠した。


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