Act04-05

 ヒュ、と耳元を何かが通り過ぎる感覚に、凛涅が視線を空にさまよわせた。
「…君、さぁ」
「コレでも俺、年上」
 君とか言われたら軽くむかつくんですけど、と大してむかついても居ないようなおどけて口調で返すやからを、未だ小脇に抱えられた状態からキっと睨む。
「むかつくのはこっちよ!」
 いい加減おろしなさいよー!と再びジタバタし始めた体を、唐突に手放す。
「そろそろいいか」
「…ちょ…!急に放さないでよ!」
「さっきはおろせって言ったくせに」
「……。」
 憤懣やるかたないといった表情を見せる凛涅に刹那はニヤと笑いかける。
「で?俺がなに?」
「…もういい」
「んだよ、拗ねんなよ」
「拗ねてない。興味をなくしたの」
「あっそ。かわいくねーの」
 会話は相変わらず、おどけた調子で続いていたが、お互いがお互いを、そして周りの空気を警戒していた。それにしても
 目の前に居る、この斎王の獣と呼ばれる青年の、凄さを凛涅は改めて知った。
 どんなに優れた魔法師でも、儀式(リチュアル)神秘的象徴(シンボル)も無しに、ましてや呪文(スペル)も無く魔法を使うことは出来ない。湮王である李凪ですら、何かしらの術をもって魔法を使うのに。それなのに、目の前の、この獣は。まるで、腕を振り上げるのと同じ自然さで、なんでもないことのように身の回りに風の精をまとっている。水や火や土の匂いを感じる。きっと、普通の刃ではその身を傷つけることさえできなのだろう…その身に流れる魔力(と自分たちは呼ぶ)が、薄い膜のように体を覆っているのが、感覚で分かる。
(本当に、人ではないんだ…)
 見た目は、自分とかわらないけれど。彼にとっては、きっとあたしたちの努力なんて、努力とも言わないんだろう。
 人でないもの、への畏れを初めて感じた。

「来た」
 つかの間、物思いに耽っていた凛涅に構うことなく、刹那が視線を向ける。その先から、
「よぉ、何してんだよ、こんなトコで?」
 不敵、ともいえる笑みを携えて甲斐が姿を見せた。続けざまに叉牙も顔を出す。
「…なんだよ、待ち伏せ?」
「そんなとこだ」
 ピリと空気が震える。
「三対一?」
「いつオマエと仲間になったんだよ」
「一対一対一対一、でしょ」
 甲斐の問いかけに、即座に低い位置から反論が返される。僅かに肩をすくめて苦笑する甲斐に、刹那が呆れたため息をつく。
「誰が一番に抜け出すかってな」
 にわかに、場が静かになる。


 刹那が甲斐たちと接触した雰囲気を背中に感じながら、ユウリは藍嘩を導きつつ路地裏を進んでいた。だが、普段からこういう事態への耐性があるユウリとは違い、藍嘩はそろそろ息が上がってくるころだろう。あたりを見渡して、隠れるのに丁度良さそうな場所はないかとあたりをつける。手ごろな小屋を見つけて、その中へ藍嘩を引っ張り込んだ。
「銃は、持っていますか」
 その言葉に、未だなれない藍嘩は、それでも小さく頷く。数日前に氷花から身を護る為だと手渡された鈍い色を放つソレは、まだ手にはなじまない。まだ、満足に弾を放つ事もできない。
「いざという時には、使ってください」
「…え、」
「当てなくていい。見せるだけでも威嚇になります」
「…でも」
「使えないという台詞は聞きません」
 それは、手渡されたときに氷花にも言われた台詞だ。ココでは自分の身を護るのは、最後には自分しか居ない。
「…わかった」
 俯いて小さく答える声に、僅かに表情を崩して
「出来るだけ、そんな事態にならないよう努力しますから」
 と、ユウリが慰める口調で言った。


 じりじりと時間だけが過ぎていくのがもどかしい。それぞれがそれぞれに焦りを感じ始めた頃。
(ヤバイ、かな)
 刹那は胸中で舌打ちする。
 立場はどうあれ、ここを突破して藍嘩を捕まえに行くという目的、ただその一点においてのみ共通している三人が無意識か、それとなく連携するようになってきている。生きて返さないつもりで望むならそれこそ負けはしないけれど…
(氷花が殺すなっつーしなぁ…)
 なんとも面倒だ。
 ここまできておいて、今更穏便にお帰り願うわけにも行かない。
(ったく、よぉ)
 意識に雑念が混ざったのを見逃さなかったのは叉牙で、間髪いれずに腕に備えた剣を横薙ぎに払う。かわすか受けるか逡巡したところに甲斐が大剣を振り下ろしてきたところで、つい本気で持っていた棍をふるってしまった。
 勢いの押されて叉牙と甲斐がまとめて吹っ飛ぶのを見遣る。
(しまった…)
 と思いはしたが、もう遅い。まぁ、あのくらいでへこたれるクチではないだろうと高を括って、凛涅の姿を捉える。
 間合いを巧く計りながら、思いの外冷静に戦況を見極める瞳。やりづらい、と正直に想う。子供の割りに、きちんと自分の力量の限界をわきまえているのか、無理はしてこない。
(叉牙のほうがよっぽどノせやすいくらいだ)
さて、どうしようか、と思案しつつ、周囲の気配をさぐる途中で、よく知った姿が視界の端に映った。
(キリ…!)
 自分を追ってきたのか、と刹那は一瞬考えたが、どうも身を隠して移動しているらしい様子に、どうやらユウリたちの加勢に行く気なのだと察する。
 もちろん、キリも刹那と同じ世界に身を置いている以上、決して素人ではない。もともと彼はもっぱら偵察役ばかりで、姿を隠すのは得意なのだから。彼には、目に見える範囲であれば瞬時に姿を飛ばすことができる瞬間移動の特殊能力もある。けれど。
 タイミング悪かった。今まさに刹那が吹き飛ばした二人のすぐ脇が、キリが見定めた瞬間移動の着地点だったらしい。
「…っ」
キリが突如目の前に降ってきた黒い塊に一瞬、息を呑んで動きを止める。
「キリ!跳べ!」
「…言われなくても!」
 その姿が空気に溶けて跳ぶ瞬間、叉牙がその腕を掴んだ。
「うわぁ?!」
 情けない叫びを上げて、キリの移動に叉牙が引き摺られるのを見て、刹那はあちゃーと己の額に掌をあてた。
「わ、ちょっと!放せよ!」
「な、なんだなんだ今のなんだ?!」
 大騒ぎしながら、がばっと離れた二人の間に、いつの間にか割って入った刹那がキリに一瞬視線を向ける。
「ごめん」
「いや、今のは俺が悪ぃ。いいから−」
 先に行け、とその後続けられるはずだった言葉は結局最後まで紡がれることは無く。突如巻き起こった突風に、刹那だけでなくキリもその身に無数の切り傷を作ることとなった。
「…ってぇ」
 頬に走る赤い筋を忌々しげにこすり、あーそうだった、嬢ちゃんがいたんだった、と吐き捨てる刹那の背筋がピリとこわばった。
(…いつのまに)
 同じ場所で三人をせき止めていたつもりだったがいつの間にかユウリたちに近づきすぎている。気配が近い。
 それをキリも感じたのか、すばやく周囲に視線を走らせる。

「−あー、いってぇ」
 体についた砂埃を叩き落としながらようやく甲斐が立ち上がる。
 落下したときに打ち付けたのか、側頭部をさすりながら眉間に皺を寄せる。刹那の背後に居るキリを見つけて、
「今度はドコのだ?」
 ぼそりと口の中で零してから大剣を構えなおす。


 隠れている建物のすぐ近くにまで、追手が迫っている気配に、ユウリは表情を険しくした。刹那は、確かに戦闘は得意だが、彼にとって殺さないということは案外難しいのだ。能力が長けているせいで。
 同じく壁に身を寄せて、窓から外の様子を伺う藍嘩を見つめる。
「藍嘩、一人で走れますか」
「え?」
「この建物の裏口からでて、すぐ前のとおりを右に。二つ先の角を左に曲がったら−」
「いけない!」
「藍嘩」
「…それは、だめ」
「時間を稼ぐ為です」
「いやだ」
 自分のせいでこんなことになっている。
 確かにユウリは悪くないと言ってくれたが、理由はどうあれ、大変なことになっている。足はがくがくと震えて、先程温まったと想った指先はまた凍えんばかりに冷えている。それでも、一人で逃げる事よりはましなように思えた。
「…仕方ありませんね」
 ユウリが柔らかく息を吐き出した。
 その返答に、少しだけ安心して、振り返った窓の、向こうに。
「…!」
 目が、合った。
 其方へ視線を向けたのは本当に偶然だったのだ。何気なく視線を向けた、その先。
「…見つけた。」
 甲斐に、姿を見られたのを悟ったユウリはとっさに藍嘩の手を引いて窓の傍から離れるが、部屋を抜けるより早く、窓ガラスが割れる音。と共に、部屋に転がり込む影。
「キリ、ユウリのサポートしろ」
「了解」
「ー!そうはさせるかっての!」
 刹那は、追いすがろうとする叉牙の行く手を阻みつつ、藍嘩たちの退路を確保しようと周辺の地理を頭に思い起こす。
 一瞬で、藍嘩たちの元に身を飛ばしたキリが、藍嘩の手を取る。
「目を閉じて!」
「え?」
「いいから。−姉ちゃん、ココは任せるよ」
「いいわよ」
「藍嘩、早く目を閉じて!」
 理由もよくわからないままに、目を閉じる。
 とたんに、体の周りの空気が歪むような強く何かに引っ張られるような感覚がして。目をひらくと、甲斐の背中を通り越した先に着地していた。
 信じられないものを見たという顔をして甲斐が藍嘩たちを目で追う。
「き、キリ君…いまのは?」
「俺の、得意技」
 すこしはにかみつつ、頬を紅潮させて言うキリに、少しほほえむ。
「すごい!」
「まだ、安心するのは早いよ」
 ほら、もういちど行くよ、と手を握りなおされたところで、風に足をすくわれる。
「?!」
「折角ココまで追いかけてきたんだから、お話くらいさせてくれてもいいでしょ?」
「そうはいかないよ」
「もう、さっきからダメダメってそればっかり」
 もういいよ、自分でチャンス作るから、とロッドを構えなおす凛涅に、キリの手がこわばったのが伝わる。よく見れば、キリの体はあちこちに切り傷が出来ている。
「…キリ君、その傷」
「大丈夫、あとでいくらでも治せる」
「…そんな」
「いいから、もう一回跳ぶよ。目を閉じて!」
「そうは、させねぇ!」
 背後から−甲斐が物凄い勢いで投げてきたのは、先程の部屋に転がっていた椅子だった。
「うわぁ?!」
その椅子を避けきれず、腕でガードはしたものの、キリとちょうどその背後に立つカタチとなっていた凛涅がまとまって転がる。
「キリ君!」
 傍に走り寄ろうとしたところを、背後から大きな手が腕を掴んだ。
「そうは、させねぇって言ったよな?」
 ギリと腕を掴み上げられて、藍嘩が顔をしかめる。
「…っ」
 だめだ。こんなところで捕まったら、皆に迷惑かけただけで終わっちゃう…。
 掴まれていない左手で、ポケットに仕舞いこまれた銃を探る。
 甲斐が大剣を構えて藍嘩に突きつけるより一瞬早く、藍嘩の左手が突き出される。ずしりと重い銃を握りこんで。
「放して」
 想わぬ反撃に、甲斐が目を見開く。一瞬動きが止まったのを感じて、藍嘩は掴まれた腕を振り解こうともがくが、力では叶うわけも無く。
 甲斐は、すぐに立ちお直り、オモシロそうに肩眉を上げて、不敵に笑う。
「撃ってみな」
 撃てるもんならな。そんな台詞が聴こえてきそうな、からかうような嘲るような言い方。あまつさえ、剣を手放し、銃口を自分の左胸に向けさせて。
「狙うなら、ココ」
「…ば、馬鹿にしないで!」
「そのわりには、手ふるえてんぞ」
 泪がでそうになる。
 そうだ。どうせ自分には撃てやしない。
 怖いんだ。
「放して!私が何をしたっていうの?!お姉ちゃんをあんな目に合わせて…っ!こ、こんな沢山の人に迷惑かけて、何が…っ」
「前の清姫の占だからな」
「え」
「あんたは、新しい清姫なんだと。それも、清都を滅ぼす運命を背負ってる」
「なに、」
「だから、あんたを屠って、新しい清姫を迎える。それだけだ」
 それだけ?
 それだけだと、いった?
「なに…それ…」
 ぐっと下唇を噛み締める。鈍い鉄の味がしたけれど、気にもならない。
「私、そんなんじゃない!清姫なんかじゃない!放して!人殺しのくせに!お姉ちゃんを…、返してよぉ…!」
 ムチャクチャに暴れ始めた藍嘩を取り押さえようとし、あいた左手も掴むために甲斐が手を伸ばす。もみ合ううちに、ドンという派手な音がして、自分のもつ銃の銃口がケムリをあげているのを藍嘩は見た。その先で、左肩から血を流す甲斐の姿をも。
「−っ」
 その赤い色を見た瞬間に、様々な映像がフラッシュバックのように藍嘩の脳裏に流れ込む。それは1つとして形を掴む事はできず、ただ濁流のように脳内を流れては消えていく。そのあまりの量の多さに、目を見開いたまま、あえぐように口を開いて天を仰ぐ。過去が、未来が、時の流れが怒涛のように駆け巡るのが見えた。立つ事も出来ないほどの勢いで。
 ひざを突いてしゃがみこむ藍嘩に、今度こそ致命傷を負わせようと甲斐が大剣を取り、にじり寄る。その姿をかろうじて目に映した藍嘩が、怯えたように後退さる。
「嫌」
「運命だ。諦めてもらう」
「来ないでってば!」
 手に持つ銃を、甲斐の足元を狙って引き金を引く。ただ、立ち止まってもらえればいい。そんな気持ちで引いた引き金だった。だが、藍嘩が引き金をひくと。



 あたりには轟音が響き、白い光で何も見えなくなった。


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