Act02-02

 あの雨の日から一週間。いまだ、藍嘩は氷花たちの元に身を寄せていた。
 一刻も早く国に立ち戻ろうとする藍嘩の心情とはうらはらに、体力の回復には時間がかかり、すこしでも無理をしようとすると氷花には怒られ、また風邪をぶり返し床に逆戻りするという日々の繰り返し。いまだ自分の目の前に突きつけられた現実にも実感が伴わないまま。
 何故自分は、自分と姉が襲われたのかソレにすら答えは出ない。ただ、冷たく光る漆黒の瞳の色だけをはっきりと記憶している。そして、彼は言わなかったか、「清姫の最後の占だ」と。最後の占?それは、次代の王を選ぶ為にだけ告げられる大事な占だと小さい頃から言い聞かされてきたもののはずだった。それが何故、自分たちに?しかも命を奪えと?何度考えても、思い当たる理由も心当たりも何もない。
 ただ、どうしてどうしてという疑問符だけが巡り、そうこうしている間に、もどかしげに日々だけが過ぎていく。

「さ、洗濯物も無事干し終わったし…買い物でも行こうかな…藍嘩は、どうする?」
「ん…どうしようかな」
「アタシ、刹那といってくるから、キリとお留守番お願いして良いかしら」
「うん、いってらっしゃい。」
藍嘩がうなずくのを確認して氷花はキリに声をかける。
「キリ、刹那と出かけてくるから、後よろしく。ユウリがあと1時間くらいしたらお使いから帰ってくるから。」
「わかったよ。刹那も一緒なら心配ないと想うけど…気をつけて」
「ありがとう。じゃあ、行ってくるね」


「…気をつけるほど、スラムって…危ないの?」
 氷花と刹那が出て行った後も心配そうな様子のキリを見て藍嘩が問いかける。キリはちょっと気まずそうに笑った後、薄茶色の瞳をくるりとうごかした。
 藍嘩より低い位置にあるキリの頭をじっとみていると、短い黒髪をがしがしとかき回すようにしてから、キリが藍嘩を見上げてチョット休もうお茶をいれるから、といい一旦台所に引っ込んだ後藍嘩の元へ戻ってきて、藍嘩にマグカップを手渡しながら隣に腰掛けた。自分より明らかに年下であるキリに、素直にしたがって同じように藍嘩が腰かける。
「……まぁ。多かれ少なかれ、危険が伴うもんなんだよ、スラムで暮らすのは。藍嘩だって、絡まれたらしいじゃん。」
「…そう、みたいだね」
あまり憶えていないのだけれど。と小さく付け加えた声に、キリが朗らかに笑う。
「まぁね、スラムに生きるのは国籍をもてないような連中とか、国を飛び出してきちゃったやつとか…脛に傷持つやつが多いから。用心するにこしたことはないんだ」
「…そうなんだ…」
 じゃあ、私がここにたどり着いたのは、あながち間違いでもなかったのかな。と自嘲気味に想う藍嘩に気づいたのか、心配げな視線をむけてキリが笑いかける。
「何も、スラムに居るやつが悪いやつばっかりだって云ってるわけじゃないよ。ほら、氷花みたいなのだって居るんだし。」
「…そうだね。」
「藍嘩が此処に来たのだって偶然だろう?」
「…どうかな。ものすごい悪いやつかもよ?私」
その台詞を聞いたキリは大笑いしながら
「藍嘩、本当に悪いやつは自分で自分のことそういう風に云わないもんだよ。」
「…そうかな」
「そうそう。スラムで色んな人を見てきたけど、良い人ぶってるヤツのほうが危ないんだよ。」
「キリは物知りだね」
「まぁ。ここに住んでればそういうのは自然身につくもんだよ。俺たちはあちこちのスラムを転々と周っているから、余計にね。」
 そういいながら、キリが中身のからになったカップをもち立ち上がる。藍嘩もそれに習い立ち上がったところでキリが振り向く
「氷花がああみえて結構短気だからさ、すぐ目を付けられちゃって移動する羽目になるんだよ」
「そうなの?そうは見えないけれど…」
「放っておけないんだろうね、性格的に。藍嘩を援けたのも氷花だよ。」
「うん、それはなんとなく覚えているの。」
 そう、おぼろげながらしか覚えていないけれど、自分よりも大きな相手を次々になぎ倒す姿を心底うらやましいと想った。せめて、その半分でも自分に力があったなら。もうすこし違う結末があったのだろうか


「さぁて、皆が帰ってくる前に夕食の下ごしらえだけでもしておくかなぁ。藍嘩、料理は得意?」
「わ、私?……ごめん、あんまり得意でもないんだけれど…」
「ジャガイモの皮むきくらい出来る?手伝ってほしいんだけど」
「頑張るね」
 夕食時、いつも魔法のように美味しい料理を作ってくれた姉さん。つい最近までそこにあった日常が失われてからそんなに日は経っていないはずなのに、もうずいぶんと昔のことに思える。誰かと一緒に食事の準備をするのもこんなに人としゃしゃべるのも、あの日以来。
 そう想うと鼻の奥がつんとして涙がでそうになったけれどキリが心配するといけないので、笑ってごまかした。


 その日の晩御飯は久しぶりに美味しいと思えるものだった。
 誰かと一緒に食べるということはシアワセなことだ。


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