豪奢なシャンデリアが照らす大広間。耳を掠める音は時に明るく、時に穏やかに、そして今は少々気だるい音色。着慣れない服に身を包んだブランカは、壁に背をもたせかけるように立ちながら、さりげなく大広間を端から端まで見渡す。皆が一様に着飾り、そちらこちらで談笑するのを眺め、それからちらと我が身の格好を見遣る。
 薄いシルクの薄紅色のドレスの裾はブランカがわずかに身動きをするたびに膝のあたりでひらひら舞う。ハイネックで肩が大きくでるデザインも、普段の制服に比べれば相当無防備で心もとなく、いつものブーツとは比較にならない程華奢な靴は彼女にしては高めのヒールで、走るのは到底無理だろう。小さくため息をつき、肘より少々長い、ドレスと同じ素材の手袋をつけた両手で身体を抱きしめるように身を縮こまらせたブランカは、そういえば、と再度視線を大広間へと投げかける。――そう、彼女は今、任務中である。
 国内のとある有力者が開催するパーティーに出席するように命じたのは彼女の上司。にこやかながらも策士な「室長」は、今日ここに招待されている有力者たちの情報が欲しいのだという。手渡された名簿の中身を頭の中に反芻し、華やかな会場の中に居る面々からそこにリストアップされた人物が居ないかを確認する。とはいえ、ブランカとて全員の顔と名前を知っているわけではない。そこで、彼女は共にココへ来ているはずの、同僚の姿を探す。喧騒の中から、一際背の高い、その姿を認めて、そちらへ一歩踏み出し、立ち止まる。同僚が、一人ではなかったからだ。

 そもそも、今回の任務に置いて、重要なのはブランカではなく、共にここへきている同僚――ジークヴァルド=グリューネヴェラーの、というよりは「グリューネヴェラー家」の影響力であった。由緒ある家の子息であるジークヴァルドは、社交界でも顔が利く。ーー勿論、職業の事は公にはなっていないが(そもそも、あれほどの家柄であれば働かずとも食べていけると、勝手に解釈するものは多い)。故に、先程からあちらへこちらへ挨拶する様を装いつつジークヴァルドは会場内を人から人へと渡り歩いていた。彼の連れ、という設定で(パーティーへ呼ばれた場合、同伴者なしで出席する者が希だからだ)今回の任務に当たることになったブランカは、先程、飲み物を取りに行くと言う彼の戻りを待っていたのだが。

 紺色の上品なデザインのマーメイドドレスが白い肌によく生え、ジークヴァルドににこやかに微笑みかけるその女性を、ブランカは知らなかったが、ジークヴァルドも笑みを浮かべて対応しているところを見ると、顔見知りか、はたまた何処かの令嬢なのだろう。
 一瞬ためらい、ブランカは結局再び壁際へ戻り先程と同じ姿勢になる。会場内を見渡しても、見知らぬ人の方が多く、これ以上はブランカの知識量ではとうてい任務を果たせないと思い至ったところで、大きく一つ息をついた。
(……どうしましょう)
 さすがに片方がいくら昔馴染みとはいえ、ブランカとて人の恋路を邪魔する趣味はない。どう見てもご令嬢の方は今日の為に着飾ってきているのだろうし、そういう努力は女性としてわからないでもないから。しかし、任務はこなさなくてはいけない。
(困ったわね……)
 どうしたものかと、もう一度ちらとジークヴァルドの方へ顔を向けると、先程よりもより立ち位置の近づいた二人の姿が目に飛び込んできた。ともすれば、唇が触れてしまいそうな程の。慌てて視線を引き剥がしたブランカは、我知らず眉間に皺を寄せる。
 一瞬過った憤りに、しかして何故怒る必要があるのかとふと我に返る。しばし思考を彷徨わせ、だって、と胸中で呟く。
(だって、今は任務中だもの。あんな、不謹慎な)
 とはいえ、少々距離が寄った所で決定的な何かをしていたわけでもなく、単なる情報収集の為のカモフラージュであったとしたなら、むしろそれは仕事熱心だと誉めて然るべき場面でもある(今のブランカは、とてもそんな気分にはなれなかったが)。しかも、それが仮にいわゆる「不謹慎」な動機によるものであったとしても、ブランカには怒る権利も理由も無い、のである。ブランカとジークヴァルドは、学生時代からの顔見知りという気安さもあり、職場の中では比較的仲が良い。仕事でも共に行動する事が多く、ブランカにとっては異性の中で最も距離の近い相手といっても過言ではない。だが、それが相手にも当てはまるのかといわれれば、はなはだ疑問である。ジークヴァルドはその見目の良さから学才時代からとにかく異性に人気があり、本人の愛想の良さも相まって、学生時代にはそれなりの交際歴があるとは噂で知っている。ましてや家柄もある彼の事だ、許嫁の一人ぐらい居ても良さそうなものだ――それが、ブランカではないことは自明の理ではあったけど。
 余計な思考を振り払うように頭を小さく左右に振った後、ブランカは少し気持ちを落ち着けようと、長めに息を吐き出す。それから、先程ジークヴァルドが取りに行ってくれるはずだった飲み物を、改めて自分で取りに行こうと(どうやら彼はご令嬢のお相手で忙しいようなので)、ジークヴァルドが居る方向とは逆向きへ一歩踏み出す。
「ブランカ」
 と、背後から名を呼ばれ、ブランカはびくりと肩を揺らす。同時にブランカのドレスの裾がふわり揺らいだ。
「……ジーク」
 居るとは思わなかった相手に背後から呼ばれたブランカは、未だ少々の皺を眉間に貼り付かせたまま声の主を振り仰いぐ。
「君、アルコールじゃないので良かった?」
 何でもないかのように差し出さされたグラスを、勢い受け取ってしまった後に、流れについていけずぽかんとブランカは言葉を発する。
「え? えぇ、もちろん……」
 そも、今は任務中である。如何にこの場が社交の場とは言え、この場でアルコールを摂取するのはためらわれた。ましてや、ブランカはアルコールに強い方ではなく、酔うより先に眠くなってしまうのだ。ちらりとジークヴァルドの様子を伺うと、コチラはアルコールだったようで。
「それ、お酒?」
「そうですよ、飲んでみますか?」
「いい、いらないわ……」
 ブランカはふるりと首を降る。そんなブランカの様子をちらりと見遣ったジークヴァルドはニヤリと笑う。
「寝くなっちゃいますもんね」
「そうじゃなくて、今任務中!」
「それは失礼」
 と、言いながら、そういえば、とジークヴァルドはさりげなく言葉を紡ぐ。
「先程、父の友人の娘さんと会いましてね」
「え?」
「お会いするのは数年ぶりでしたが、女性は少し見ない間に変わりますね……来月結婚なさるそうですよ」
「……」
「? どうかしましたか?」
「……え? いいえ! おめでたいお話ね?」
 僅かな会話の間に眉間の皺が消えたブランカを見て、ジークヴァルドは素知らぬ顔で尋ねる。ブランカは、当人は隠しているつもりらしいが、先程と比べると打って変わって機嫌が良い。まぁ良いですけれど、とジークヴァルドは笑みを浮かべ、僅かに肩を竦める。
「折角ですから、後で踊ってみますか」
「はい?」
「中々こんな場に来ることないですしね」
「え、あの、ジーク……?」
「踊れませんでしたっけ?」
「……踊れるけど」
「じゃあ、決定ですね」
 自分の視線より高い位置でにこりと笑みを浮かべるジークヴァルドの顔を、じろりとひと睨みするが、相手にはまるで効果が無かったらしく、はいはい、眉間に皺が寄ってますよ、とするりと頬を撫でられる。途端、ブランカの意思とは関係なく赤くそまる頬に、しらじらしく「おやアルコール入ってないはずなんですが、酔いましたか?」などと問いかける顔が憎らしく、癪に障ったので、その大きな掌をぴしゃりと払いのけ、睨む代わりに笑みを浮かべて相手の顔を見つめかえす。
「いいわ、ジーク、踊りましょう。ちゃんとリードしてくれるんですよね?」
「勿論」
相変わらずにこにこと意図の読めない笑顔にブランカは歯噛みする思いを手に持つ液体と共に一気に流し込み、ジークヴァルドへ笑みを向けた。
「さ、準備はよろしくて?」



(20120703初出)
(20130906二版:誤記修正)
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※一応【ミトラ】設定なので、総司令ではなく「室長」表記。
アメリカンスリーブ、という言葉を使わないでアメリカンスリーブを表現する難しさ(笑)


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