放たれた願いの行方を知る者は(3)

 梁國と蒋国が領土の問題で争いを始めたのは、数年前のこと。国の勢いとトップの力量の差で、梁國の有利なのは明白。それでもこうして両国がいまだ均衡を保っているのは、裏で斎王が手を引いていたから。
 うすうすは感じていたことだけれど。
 ……まだまだ、認められないってことだよな。
 一人ごちる声は、蒋国の王城の広い廊下に吸い込まれていく。俺に足りないものは、何だ?経験か、年かそれとももっと別のものだろうか。全てを手に入れたいと望むわけじゃない、けれど。せめて、自国の民の幸せくらい願ってもいいんじゃないかと想う。


 叉牙から妹を見つけたと連絡があったのは、昨日の晩。ヤルと言った以上は必ずやり遂げるのが、梁國騎士団の誇り。さすが今回は仕事も速いなと儀月に笑いかけたら「いつもです」ときり返されて苦笑した。
 それから時間を空けずに蒋国から提示された条件は、思ったとおり和平交渉。表向きは、外交交渉。指定の日にちに蒋国へ出向いて、王城の中を一人歩く。

 長い廊下の先にある、ひときわ大きな部屋の扉の前で一つ呼吸をしてから、中へ入る。
「梁國王、凍冴です。お久しぶりですね、蒋王?」
 なるべくにこやかに見えるよう、穏やかに微笑みかける。視線をめぐらせても俺と蒋王以外の姿はなく。すこし意外に想いながら部屋を見渡す。
「…何か?」
 俺の視線に気付いた蒋王が問いかける。もう壮年と言ったほうがいいほどの歳になったであろう目の前の男とは、もう10年以上も敵同士で。
「いいえ?」
 考えを読まれないようにするのにも、もう慣れた。蒋王のことだ、てっきり斎王を同席させるかと思っていたが。あるいは、羅紗を盾にとるかと……いや、切り札は、最後、かな。
 思考をめぐらせながら、改めて蒋王に向き合う。
「で、今日は何用です?」

「用と言うほどではないよ。梁國王。久々にじっくり話し合いたいと思ってね」
 久々だろう、こんな風に戦場以外の場所で逢うのは。と以前に見えたときよりもいくぶん歳をとった顔でゆったりと喋る蒋王に、そうですねと答える。そのまましばらく蒋王のたわいも無い話に付き合って、俺は本題に入るきっかけをつかめないまま時間ばかりが過ぎていた。
「この王城から眺める蒋国の景観も、捨てたもんではないだろう?」
 突如ふられた話に戸惑う。そんな俺の様子に気づいたのか、気づかないフリをしているのか蒋王はかまわず続ける。
「梁國の景観も美しいと聴くが、この土地を私はずっと愛してきたから。世界で一番ドコが美しいかと問われれば迷い無く、この国を挙げる。」
 そこで、コチラを振り返って、
「凍冴、オマエが優秀な王であることも、蒋国がやがて梁國に呑まれていくであろう存在である事も理解している。……それが、一番の道であることも……でも、私にも意地がある。せめて、あと少しでいい、この景観を眺める事を許してはくれないか」


 正直に言って。
 和平を持ちかけられてもソレを受け入れる気などはほとんど無かった。それでも、あのときの蒋王の言葉にうなずいて、当面の間は和平を保つと約束したのは…同じ王として気持ちが理解できるからか、それとも…いまは飛ぶ鳥を落とす勢いといわれる梁國にも、そして俺にもやがてくる未来であると悟ったからか……
 来たときと同じ長い廊下を物思いに耽りながら歩いていると、前方にたたずむ人影。長い黒髪を頭の高い位置でひとまとめにした、小柄な少女。顔はあいにくゴーグルに隠されていて見ることは出来ないが。
「悪かったわね、妹をダシに使って」
 近づいてきて、すれ違いざまにささやかれた台詞に後ろを振り返るが、少女はコチラを振り返ることなく歩いていく。
「…っ、斎王?」
 呼びかけに、肩越しに振り返って、笑う。
「氷花、よ。凍冴」
 そのまま再び前を向いて歩いていく少女にかける言葉がみつからず、其の背を見送る。
 外で待つ儀月の元へ戻ると、叉牙から羅紗が城に戻ったと連絡があったと告げられる。

 最後に蒋国の王城を仰ぎ見て


「帰ろう、儀月」




 梁國が和平の取り決めを破棄し、蒋国を飲み込んだのは、それから2年後の話。


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