放たれた願いの行方を知る者は(1)

 ぎりぎりに振り絞られた矢が放たれる。
 突き刺さったのは、ほんの薄皮一枚のこした左頬のすぐわき、柱に深く。
「凍冴様…!」
 すぐ脇にいた側近たちの色めきたつ声が聴こえる。
「騒ぐな」
 静かに矢を柱から抜き取る。

「斎王から、返事が来たみたいだな」
 抜き取った矢を見つめながら呟く。随分深く刺さっていたから恐らくはかなりの近距離から放ったんだろう。そんな至近距離から狙っておきながら、かすりもしないということは
「わざとはずしたのかな」
 一人ごちる声に答えるものはない。
「…返事とは?」
 一番傍に居た、儀月(ぎげつ)が聞き返す。
「少し前に、斎王に仕事の依頼をしただろう?あれの返事だ、きっとこれは。」
「返事?コレが?!…おい、まだその辺に居るぞ、探せ…!」
 儀月が背後の部下に振り返って命じる声をさえぎる。
「…騒ぐなといっただろう。いい、捨て置け」
「しかし、王…!」
「殺せるほどの至近距離に居ながら、あえてはずしたってことだ、これは。つまり命をとる気はないってことだよ。」
「……」
「俺たちには俺たちの理想があるように、斎王には斎王の流儀がある。あの王は狙った獲物を仕留め損なうほど甘くはないんだよ、儀月。俺の命を狙って放ったものなら、確実に俺はもうココには居ないはずなんだ」
 矢はそれた。依頼は断られた、それはつまり
「今はまだ、時を待てって意味の忠告だと俺は想う」
「こんな、物騒な忠告がありますか!」
 憤懣やるかたないといった風情の儀月に苦笑しながらも俺は言葉を続けた。
「斎の一族は一度に1つの仕事しか請けないというし、今回は先約があったっていうことだけの話だろう?…まぁ、依頼はまたの機会にでもすればいいだけだ」
 と、まだ納得いかない顔の儀月の肩をかるく叩く。

 これはある程度予測できた事態だし。たとえ他に依頼の予定がなくとも断られるだろうことはうすうす予感していた。
 斎王はあれで結構情にもろい。梁國が他国を侵略し領土を広げつつあるこの現状に心痛めてるに違いないから。でも、一方で冷静な判断も出来る切れ者だし、鼻も効くから、時期を見てきっと動いてくる。ぎりぎりまであがいてそれでも冷静に流れを見際めて。
「しかし、王。斎の一族は本当に信頼に足るとお思いで?」
「そうだね……彼らはどんな仕事でもその報酬に見合うだけの働きを必ずする。だから今もって彼らには依頼が絶えない。違うか?」
「確かにそうですが…」
「下手に私怨が混ざるとなかなか思い切りよくはなれないものだよ、儀月。だったら彼らみたいに割り切って仕事をこなしてくれるのは、助かる。」
「しかし、金で動く連中など、いつ我らの敵に回ることか」
「彼らはそもそも誰の敵でも味方でもないんだよ。報酬がすべて。一つの依頼をやり遂げればそこで関係は終わるんだ。…でもまぁそれはお互い様だじゃないか?」
 契約が切れれば関係が終わるのはコチラも同じ。ならば、せいぜい利用させてもらうまでの話。


 同時刻、王城近くの民家の屋根の上。人目を避けるようにたたずむ影が二つ。
「…随分親切じゃないか、今回は」
 銀髪の男がつれの少女に声をかける。ゴーグルで顔が隠れているので表情まではわからないが、声が不満をありありと伝えてくる。その声に小さく笑いながら、少女が答える。
「別に、そういうわけじゃないわ。挨拶代わりよ」
 長い黒髪を頭の高い位置で一つに縛り後ろに流したスタイルでおそろいのゴーグルは額に上げている。
「それにしても」
 あんなに近くに矢を打ち込んでも動じることなく、声一つ上げないなんて。冷静にこちらの意図を正しく汲んでくれたのはいいけれど
「相変わらずムカツク男だわ」
 その発言にくっと喉の奥で笑ってから、
「そりゃ相手もそう想ってるだろうよ、お前の事を」
「刹那、アンタどっちの味方?」
「俺は俺の味方」
「…あぁそう」
「……氷花」
 それまで軽口を叩きながらも視線をとある方向に固定したままだった刹那が不意にトーンの違う声音で声をかけて来る。
「…あれか?」
 あごで軽く示す方向の先には、凍冴と同じ金髪碧眼の、どこか面差しのよく似た少女。
「そうね、彼女だわ。」今回の私たちの、大事なお客様。
「くれぐれも丁重にね」
「誰に言ってんだ」
 掠めるように微笑みあってから、音もなく走り出す。


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