その手に掴むすべてのものへ(1)

 初めて出逢ったとき、彼は山の中で怪我をしていて、猫によく似たしなやかな獣の姿をしていた。銀色に紅い瞳がとても奇麗だった。2度目に会ったときは、私の父に連れられて、やっぱり怪我をして。そして、一人の少年の姿をしていた。


 斎の一族は国を持たない。山や杜を住処とし、獣を飼いならし生きてきた。
 それでも、地に足を着け情報収集を主な糧とする地の者と、実際に仕事をうけ行動する空の者と二手に分かれて生活しており、私の家は、蒋國にあり地の者として父も母も蒋国の民として生活をしていた。だから自分は斎の一族であると聞かされてはいたけれど、どこか一族の血なまぐささとは無縁のような、気がしていた。
 父も母も兄も、妹でさえすでに獣と契りを交わし、一人前とみなされていたのに、15にもなる私は未だ一匹の獣も見つける事ができずにいた。それでも家族は暖かく、私は愛されており、獣など使役せずとも生きていく術など沢山あると笑っていた。

「刹那!刹那はどこ?」
「…なんだよ」
 家中に響き渡るくらいの大声で名を呼ぶ少女に億劫そうに少年がこたえた。
「今日、買い物付き合ってくれるって約束でしょう?もうお昼になっちゃうよ」
「…あぁ……そうだったっけ…?」
「もう!そうなの。ほら、行こう?」
「……へぇへぇ」
 その様子を端で見ていた母親が笑いながら云う、
「氷花はほんとに刹那がお気に入りねぇ。」
「…だって、兄さんは学舎だし、楊花(ヨウカ)は友達の家に行ったし…」
 と口を尖らせながら云う娘に優しく微笑み、
「あら、悪いって言ってるわけじゃないのよ?ただね、何時も刹那刹那だから、たまに刹那が可愛そうになっちゃう」
「…もっと云ってやってよ、藤花(トウカ)」
 してやったり、という顔をしながら刹那と呼ばれた少年が少女をみやる。
「なによ、刹那は父さまに助けられて此処にいるんでしょ?すこしくらい恩返しをしようって気にはならないわけ?」
「…だったら、顕生(ケンセイ)に直接返すけど」
 しれっとそういってのける少年を恨めしげに見遣る娘にこれまた後ろで黙って様子を見ていた父親が助け舟を出す。
「じゃあ、刹那、俺への恩がえしの変わりに、ウチのお嬢さんと買い物へ行ってきてはくれないか?」
「…了解。」
「ありがとう!父さま!」
 途端に対照的な表情を見せる二人に噴出しながら、顕生は言う。
「最近蒋国も治安が良くないという噂だから、気をつけるように。暗くなる前には戻りなさい」
「はぁい!」


 元気の良い返事を残し、仲良く言い合いをしながらでていく二人の姿を見送りながら、藤花は夫を見やっていった。
「…いつまでも刹那をウチに置いといていいのかしら。」
「…」
「彼は、王の獣、でしょう?私の中の”獣”がそういってる。獣は自分たちの王を本能で察知することができるのよ」
「そうだな、俺の中でもそう聞こえてる」
「だったら…」
「でもここへとどまることを選んでいるのは、ほかでもない刹那だよ、藤花。あの日山の中で怪我をしているところを偶然通りかかって助けたのは他ならない俺だけれど。」
「…それは」
「私たちの王は、生涯一匹の獣しか従えることはできない。…氷花が、今以って獣を一匹も従えることができないのは、何故だと思う?」
「…顕生…」
「可能性の問題だよ。藤花。刹那を山で助けたのは本当に偶然だったけど、偶然が重なって彼はこの家に来た。そして、家には氷花がいる。まだ、一匹も獣を従えることができない、娘が」
「王は、獣が選ぶのよ。偶然とか可能性じゃなくて」
「刹那がこの家に来ることを選んだ、ここにどまることを選んだ。そういうことかもしれないよ。……藤花は、氷花が王になることには反対?」
「反対よ。王になったら…あの子はずっとながい時間を一人で生きていかなきゃいけないのよ。私が死んでも、あなたがしんでも。長い時をいきなきゃいけない。まだ15才なのよ?これから恋だってして、たくさんの事を学ぶはずなのよ。王になったら、不老不死にはなれても、永遠に15の姿のまま生きていくんだわ」
「王は、違うんだよ。我々とは。あの子にとって、何が一番幸せなことなのかは、あの子が決めるんだろう?」
「でも」
「まだ、決まったわけじゃないし、これは推測だけどね。まだ氷花は私たちの子供だし、刹那は居候だよ。けれど、条件をすべて提示しないで道を決めつけるのはフェアじゃないよね。」
夫の言葉に目を伏せた藤花は、小さくため息をこぼす。
「…そうね、道を決めるのは、氷花だわ。でも、心配なのよ」
「うん、ソレは俺も同じ。でも見守るしかできないだろう?」


 街の喧騒はいつもと変わりなく、天気は上々。欲しかった本も買えたし、氷花は気分よく刹那と話をしていた。
「斎の一族?」
「そう、アタシ達のことそういうんだって。父さまがそういってた」
「へぇ」
「知ってる?」
「…知ってるよ、よく、ね」
「…でもアタシ一族の能力ってやつが然使えなくて…妹も使えるのに、アタシは使えないの。父さまも母さまも、気にしなくていいって言ってくれるけど…」
「……氷花も、獣が使えるようになりたい、か?」
「…なれるならね」
「なれるよ」
「………どうやって」
 そういって振り向いた瞬間の、刹那の顔を一生忘れない。飢えた獣のような、鋭い瞳をして逃げ切れない強さで彼は私を見つめた。
「後は、お前の気持ち次第。ただ、是と答えれば、すべてを与えると約束する」
 瞳をそらすことなく、そいういった刹那は、審判をまつかのようにそのままたたずんだ。
「どういう、こと」
「王の獣って知ってる?」
「…知ってる」
「選ばれると、不老不死になる、たくさんのものを手に入れる。けれど、今の生活全部と引き換えだ。成長も止まる。家族とも…たぶん離れる時がくる」
 心臓が、ドキリと音を立てた。
「それでも、俺はオマエに誓える、なによりも得がたいものを与えると。」


 全身が心臓になったみたいだった。


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