「全く…冗談じゃないわ」
独り呟いてみても、返る返事はなく。いつも彼女の側に付き従ってる刹那は、今は別行動をとってるため彼女の呟きは風にまぎれて消えるだけ。アタシはただ、近道をしたかっただけなのに。
氷花は怪我した左足をうらめしげに見つめる。Y39区のスラムへ抜けるには、清都を突っ切って抜けていくのが一番早い。刹那に言ったら怒られるのは必至のルートだけれど、今回は口うるさいのが居ないからと強行した。簡単に抜けられる自信もあったし。
つくづく、冗談じゃない。清都の民と揉めるのは本意ではない、ただ通行したいだけ。でも他国との交流を断って久しい清都はやすやすと人を受け入れない。たとえ通行だけでも。
だからこっそり通してもらおうと想って人気のない森林の中を敢えて通ったっていうのに。油断が無かったと言うわけじゃないけれど、まさかこんな森の中に獣捕獲用の罠が仕掛けてあるなんて思わなかった。罠にかかった左足を無理やり引き抜いたら、あたりに血の臭いが立ちこめた。
大きく溜め息を一つついて天を仰ぐ。刹那と落ち合う約束は明日だし、その頃には傷も癒えているはずだから今日はここで野宿だわ。
王になっといて良かったと思うのはこんなとき。このくらいの怪我ならば自己治癒能力のおかげでしばらくまてばやがて痕もなく消える。それよりも、血の臭いをかぎつけて、野生の獣とかが集まってこなければいいけれど…清都の民となんか逢いたくもないわ。できることならば穏便に切り抜けたい。
木陰に身を潜めて、大きく溜め息をついて気を緩めた瞬間、背後で動く気配を感じた。
「誰」
鋭い声になったのは警戒がにじんだせい。それに返る声は場違いなほど、穏やかな声で
「怪我、してるの?」
瞬間、諦めの溜め息を吐く。今の会話で聡い清都の民はアタシの気配に気付いたに違いないから。これは、穏便に抜けるのは無理かもね、と内心で思う。
「…そういういアンタこそ、こんなトコで何してるの」
「この辺は薬草が沢山生えているの。詰みに来たのよ」
やけののんびりと答える相手に呆れる。軽いため息をついて、
「一人で入るには物騒な森だと思うけど?」
「それは、慣れてないからよ。」
私は罠の位置も危険な箇所も知っているもの。とことばを続ける相手を軽くにらんで、
「それで?この状況は危険じゃないって云うわけ?」
「え?」
「得体の知れない女がアンタの目の前にいるのよ?」
そういうと相手はなぜか吹き出して。
「ホントに怪しい相手だったら警戒もするけれど。けが人でしょう?」
「装ってるだけかもよ。」
「じゃ、どうぞ、遠慮なくやってちょうだい?」
くすくすとおさまらない笑い声のまま、相手が手を伸ばしてきたことにわずかにカラダを緊張させる。その手が器用に薬草をすりつぶし、怪我したところに布を巻いていく様を、止める間もなく眺めやる。
「…アンタ、ヘンだって云われるでしょ」
「そうでもないけれど。」
さ、できた。女の子がカラダに傷を作るのはよくないのよ、なんて保護者じみた台詞でにこりと笑って。
「…そういえば、どうしてこんなところにいるの?」
と呟く声に脱力した。
しばらくそのまま黙っていると、やわらかく微笑んで。
「ともかく、行きましょう?」
「どこへ」
「私の家。此処から近いの」
「…よそ者よ」
「私のお客様よ」
呆れてモノもいえないでいると、悪戯っぽく笑って。これでも王様の従兄弟だから、優遇されてるの。問題ないわよ?って手を引かれる。しぶしぶ立ち上がったとき、茂みの向こうから、一人の少年。年のころはまだ10歳かそこら。
「
「あら。瀏斗。見付かってしまったわね。」
茂みから飛び出してきた少年は、見つけた相手と手を繋いだ氷花を怪訝そうに見遣る。その視線をものともせずに翠藍と呼ばれた女性は氷花に向き合って、
「いま隠れ鬼をしていたところだったの」
と穏やかに笑う。
「翠藍、そっちの人は?」
「ん?私のお友達。」
「…氷花よ」
「瀏斗、氷花怪我をしているの。向こうにいる甲斐と真子羅を呼んできて?」
その声に素直に従った少年の背を見送りながら、視線を向けてくる氷花に
「ウチの近所の子供たちなの。真子羅はね、従兄弟の妹。」
「そんなこと聴いてないわ。」
「そう?」
平然と受け答えをしながら、氷花は内心で警戒心を強める。真子羅っていったら、沙里阿の妹じゃないの……。
こんなとこで、清都の王ともめるのなんかゴメンだわ。…しかし、たやすく逃げ出せるような状況でもなく。初めて氷花は刹那の言いつけを護らなかった事を後悔した。
「そいえば、氷花は、いくつ?」
「…は?」
「見た感じ…そうね、13くらい?」
「15よ」
あら、と一瞬驚いた顔をみせたあと、破願して
「私にも娘がいるのよ?」
と秘密を打ち明けるように、もらす。
「今年、8つになるの。可愛いわよ」
「…へぇ」
「でもね、ちょっと訳アリで遠くにあずけてるの」
「へぇ」
「翠藍!」
背後からかけられた、少し高めの少女の声によってさえぎられた会話を、気にすることなく振り向いた翠藍は
「真子羅」振り向いて微笑む。
「怪我したってほんとう?」
「あぁ、私じゃないわ。お友達がね、怪我をしたの」
視線がこちらに向けられて、真子羅と呼ばれた少女がそっとこちらへ近づく
「大丈夫?」
「別に、なんともないわ。たいした怪我でもないし」
「だめよ、大事にしないと。…真子羅?今日は隠れ鬼、おしまいね。また、明日やりましょう?」
「うん、また明日ね、翠藍」
「瀏斗と甲斐にもそう伝えて。」
素直に頷いて立ち去る少女にゆるく手を振って、それからコチラを振り向いた瞳には、どこか陰りを帯びていて。
「…で、娘がどうしたって?」
「…清都の民がどんなものか知ってる?」
「まぁ、一般常識程度には」
「娘が、死ぬ未来をみた母親はどんな気持ちがするかしらね?」
「…」
黙って、微笑む翠藍の瞳をまっすぐ見据える。
「アンタ、見えたの?」
「見えちゃった。」
まるで、失敗しちゃったと、苦笑するような雰囲気でさらりと言ってのけた後
「だからね、救って欲しいの」
「…誰に」
「あなたに、よ。氷花」
「…魂胆が読めたわ」
それでアタシを助けたって訳。たいしたもんね。
「これでも、清都の中じゃ優秀な先見なの、私」
貴方が此処を通ることもあらかじめ予測してた。それでも占は100%確実っていうわけでもないから、来ない可能性もあったんだけれど。それでも、可能性にすがりたかった。
「取引を、しましょう?」
貴方を無事にここからにがす。代わりに、娘を助けて欲しいの。一度だけで良いから。どうか、殺されたりしないように。
「…」
「おろかだと笑ってもいい。娘が何で殺されなくちゃいけないのかも、わかった上で頼むの」
「…なんで、殺されるわけ。」
「清姫は、占で選定されるけれど、生まれやすい血筋ってあるものなの。それが王族って呼ばれる一族。…私の中にも、その血が流れてるの」
「…次代の清姫なら安泰じゃないの」
「でも、清姫になったら殺されるの」
「なんで」
「詳しくは占えなかったの。でも、そうなる事だけは、何度視ても同じ…だから、清姫になどしたくない。」
「それで、訳アリ、なわけ」
誰の目からも隠せるよう、母親からでさえも遠く離して。
「きっと、あのコは私の顔ですら覚えてない。それでもいいの、生きてくれれば」
真摯な瞳を振り払う術があったら、教えて欲しいくらいだ。ひとつため息をついて。
「…一度きりよ」
「ありがとう、氷花」
「斎王でいい」
依頼主と契約をかわした時点でアンタとはビジネス成立だから、仕事名で通してもらうわよ、と云う氷花にもゆるく首をふって
「…いいえ、氷花。斎王だから頼んだんじゃない。貴方だからお願いしたいと思ったの」
あの時森であったのが貴方じゃなかったら、頼まなかったかもしれないもの。だから、仕事名は呼ばない。
まったく、冗談じゃないわ。
ぼやきながら頭を振る彼女に再びアリガトウと呟いて、翠藍は、小さく微笑んだ。